107.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑦天尾完次企画映画 東京撮影所後編」
7.プロデューサー天尾完次の偉業 東京撮影所後編
(6)『トラック野郎』企画者・天尾完次の挑戦
〇『温泉芸者シリーズ』番外編
1975年8月公開鈴木則文監督『トラック野郎 御意見無用』の大ヒットで波に乗る天尾は、岡田の指示にて再び不良性感度の高い映画➁『東京ふんどし芸者』をプロデューサー高村賢治とともに企画します。(➁は、天尾が東京撮影所(東撮)にて企画としてクレジットされている映画の公開順番号です。①は前回の『新幹線大爆破』)
京都撮影所(京撮)で天尾が企画してきた『温泉芸者シリーズ』の第7作、1973年7月公開『温泉おさな芸者』は東撮にて太田浩児の企画で作られました。いつものように岡田茂が命名した『東京ふんどし芸者』は舞台を温泉から東京に移した『温泉芸者シリーズ』番外編と言えます。
野田幸男が監督し新人の堀めぐみが主演したこの映画は、かつて石井輝男監督『徳川女系図』で話題を呼んだ「ふんどし相撲」合戦を芸者たちが繰り広げるシーンが売りでした。
天尾企画作品でおなじみの三原葉子や由利徹、南利明、山城新伍、小松方正などが出演しています。
1975年10月に公開されましたが、かつての成績にははるかに及びませんでした。
〇「健全喜劇・スポーツ映画路線」への試み
1976年、岡田はヤクザ映画、ポルノ映画の不振から『トラック野郎』の連続大ヒットを見て「健全喜劇・スポーツ映画」路線を提唱します。
そこで、天尾は『トラック野郎シリーズ』のアイデアを持ち込んだ愛川欽也が提案する③『キンキンのルンペン大将』を岡田に提出しました。
この作品は、売れない頃の愛川の実体験をもとに、チャップリンの『街の灯』をモデルにした映画で、久しぶりに石井輝男監督とコンビを組んで企画した健全人情喜劇でした。
岡田の了承を得た企画は1976年4月に公開されます。
また、天尾は、5月公開の松方主演・鈴木則文監督④『お祭り野郎 魚河岸の兄弟分』の企画を担当します。
この作品は4月に公開した京撮作品の松方弘樹主演・小沢茂弘監督『テキヤの石松』を引き継ぎ、東撮にて作った娯楽映画でしたが両作品ともに振るわずに終わりました。
スポーツ映画では、1976年12月、天尾は『トラック野郎』で勢いのある鈴木則文に、水島新司原作の人気野球漫画『ドカベン』の実写映画の監督を依頼します。
永島敏行のデビュー作であるこの作品は翌1977年5月に公開されヒットしましたが、クレジットに天尾の名前はありません。
1977年、『オーメン』の大ヒットを見た岡田の命を受け、天尾は安斎昭夫とホラー映画⑦『犬神の悪霊(たたり)』(伊藤俊也監督・大和田伸也主演)を企画します。
伊藤俊也が脚本と監督を務めたこの作品は、伊藤自ら日本各地にある「犬神のたたり」を取材し書き上げた自信作でした。
6月に公開されると興行的には失敗に終わりましたが、密かにカルト人気を呼び、先年公開された『犬鳴村』の清水崇監督にも影響を与えました。
〇天井桟敷・寺山修司監督『ボクサー』
『トラック野郎シリーズ』でヒットを連発する天尾は、菅原文太が長年にわたり温めて来たボクシング映画を企画し岡田に提案しましたが、こんなものは当たらないと却下されていました。
そんな中、前年に米国で公開され大きな話題を呼んだ『ロッキー』が1977年4月に日本で公開され大ヒットします。
これを見た岡田は一転して天尾の企画を承認し⑨『ボクサー』というタイトルで映画化します。
前衛演劇グループ「天井桟敷」を主宰する寺山修司を監督に、菅原が主演したこの映画は、当時デビュー曲「失恋レストラン」が大ヒットし人気絶頂の清水健太郎が出演。
日本ボクシング界の協力も得て、具志堅用高を始め、輪島功一、ファイティング原田、ガッツ石松、柴田国明、白井義男ら、現役、元世界チャンピオンたちが特別出演しました。
1977年10月公開された『ボクサー』は、同時期に『人間の証明』、『八つ墓村』、『幸福の黄色いハンカチ』など強力作品が公開されたこともあり思ったほどの数字は上がりませんでしたが、キネマ旬報ベスト・テン8位に選ばれるなど高い評価を得ます。
〇小林旭演じる『多羅尾伴内』の復活
1978年、講談社『週刊少年マガジン』にて小池一夫(作)、石森章太郎(画)コンビによる劇画「七つの顔を持つ男 多羅尾伴内」の連載が始まりました。
かつて片岡千恵蔵が演じ大ヒットした名作が劇画の連載開始で再び注目を集め、リメイク映画⑪『多羅尾伴内』として復活。企画を天尾が担当し、鈴木則文監督、小林旭主演で4月に公開されます。
小林旭、八代亜紀、アン・ルイス、キャッツ・アイなどが劇中で歌う歌謡サスペンス映画は大人の人気を集めヒット、続編が作られました。
1978年8月公開の第2作⑬『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』は、『トラック野郎 突撃一番星』と同時上映されました。
〇ポルノ映画への再挑戦
1979年、天尾は、京撮から関本郁夫監督を呼び、久しぶりのポルノ映画⑯『天使の欲望』を企画します。
この作品は10月に石井輝男監督『暴力戦士』と2本立てで公開されました。
(7)天尾完次、幸田清東撮所長と戦争映画ブーム創出
『トラック野郎シリーズ』が大ヒットしていた1977年頃、東撮所長の幸田清と企画部長の天尾完次は今後の企画として、日本近代の転換点をテーマにした作品はどうかという話になり、天尾が日露戦争を題材にした映画を提案しました。
幸田が本社で社長の岡田茂に話をすると、「日露戦争の映画など今どき誰が見るか」と一蹴されます。しかしあきらめない幸田は、東撮に岡田が来所した際、天尾も交えて再度話を振り、「乃木大将と日露戦争」という内容でとりあえず企画を検討するという話にこぎつけました。
幸田と天尾は、太田浩児、若手の瀬戸恒雄の3人のプロデューサーを企画者として立て、『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫に相談して企画書を作り本社の企画会議に提案します。
営業サイドから反対意見が続出する中で、岡田の提案でとりあえず脚本を作ることが了承されました。
〇『二百三高地』大ヒット
これまで新東宝や東宝で日露戦争の映画が製作されているため、天尾は今まで取り上げられたことがない旅順攻防戦に焦点を絞り、多くの犠牲者が出た二百三高地を舞台に脚本化を進め完成させます。
この脚本を読んだ岡田からは褒められますが、多額の製作費がかかることが見込まれ、社内からの反対の声はまずます強くなりました。
幸田と天尾は日活のヒットメーカー舛田利雄を監督に招き、シナリオの最終稿を作成の上、敢えて少し低く見積もった予算案を作成します。それを持って岡田に相談した幸田は、東撮で10万枚の前売り券販売する条件にて内諾を得ました。
その後、仲代達矢を主演にタイトルは⑱『二百三高地』に決まり、周囲が危惧する中、岡田の押しで15億5000万円と言う大規模な予算をかけて製作することが決定しました。
1979年3月にクランクインしてからも、幸田は各部署への協力お願いと前売り券販売を地道に行って行きます。
苦労しながらも完成した185分にわたる大作の試写を見た人々から極めて高い評価を得ますが、なかなか試写に見に来きてもらうことができませんでした。
そこで幸田は各支社に協力してもらい全国で何回も試写会を開催することで口コミの拡大を目指します。
様々な意見が飛び交う中、いよいよ運命の1980年8月の公開を迎えました。
そしてこの映画は配収18億を記録する大ヒット、1980年度年間邦画配収3位となります。
ちなみに1位は黒澤明監督・東宝『影武者』27億円、2位は深作欣二監督・角川春樹事務所/TBS『復活の日』24億円でした。
さだまさしが作詞作曲し唄った主題歌「防人の詩」もシングル65万枚を売り上げ大ヒット。さだは年末のNHK紅白歌合戦で唄います。
映画の大ヒットを受け、翌1981年1月から田村高廣主演『二百三高地 愛は死にますか』(全8話)がTBS系にて放送されました。
旅順の二百三高地攻防戦では多くの兵隊が亡くなっています。
中国遼寧省大連市にある203高地には今も多くの観光客が訪れています。
『二百三高地』の大ヒットにより、すぐさま岡田から続く作品の製作が指示されます。企画幸田清、天尾完次、太田浩児、瀬戸恒雄、脚本笠原和夫、監督舛田利雄と『二百三高地』と同じメンバーが組まれ、翌年公開を目指し、日本近代の転換点である「太平洋戦争」を主題とした企画が始まりました。
しかし、翌年8月に東宝にて松林宗恵監督小林桂樹主演『連合艦隊』が公開されることが決まり、競合を避け公開が翌々年に伸びます。谷村新司が主題歌「群青」を歌った『連合艦隊』は配収19億円をあげる予想通りの大ヒット、この年邦画配収1位に輝きました。
〇第2弾『大日本帝国』続けて大ヒット
その中で、岡田が命名した㉑『大日本帝国』が3時間にわたる大作として完成します。
主役の東条英機を丹波哲郎が演じ、右翼からは天皇批判左翼映画と言われ、左翼からは戦争賛美右翼映画と批判された戦争映画は、1982年8月に公開され14億円の配収、邦画年間3位になる大ヒットを記録しました。
ちなみに1位は薬師丸ひろ子主演角川春樹事務所製作東映配給『セーラー服と機関銃』23億円。
五木ひろしが作曲し唄った主題歌「契り(ちぎり)」もヒット。この年のNHK紅白歌合戦で五木はこの曲を歌います。
作詞した阿久悠が亡くなった2007年の紅白でも五木は大トリで熱唱しました。
〇第3弾『日本海大海戦 海ゆかば』戦争映画シリーズ終了
前2作の大ヒットにより企画された第3作、日露戦争での日本海海戦を舞台にした㉓『日本海大海戦 海ゆかば』の製作発表が、1983年2月7日北方領土の日、横須賀ワシントンホテルにて行われます。
『二百三高地』『大日本帝国』と同じく、寺田清、天尾完次、太田浩児、瀬戸恒雄、脚本笠原和夫、監督舛田利雄というチームで企画され、主役の東郷平八郎には1969年東宝で公開された『日本海大海戦』でも東郷役を演じた三船敏郎をキャスティングしました。
笠原は、これまでの作品のように東郷平八郎による海戦勝利を勇ましく描き出すのではなく、この映画で戦艦三笠に乗り込んだ軍楽隊の若者を通して戦争の苦悩や悲しみを書きます。
1983年6月に公開されたこの大作は厳しい結果に結果に終わり東映戦争映画シリーズは3作にて終了します。
笠原和夫と舛田利雄のコンビは東宝にて翌年9月公開『零戦燃ゆ』を手掛けました。しかしながら大ヒットコンビの戦争映画もここで終わりを告げます。
(8)天尾完次、1980年代以降の企画作品
〇実録映画『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』
1980年8月公開『二百三高地』の後の11月、天尾が京撮から中島貞夫監督を呼び磯部勉主演で企画した⑲『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』が公開されました。
天尾が企画した中島による実録映画は、公開前に急遽10代がターゲットの真田広之初主演作『忍者武芸帖 百地三太夫』と二本立になったミスマッチもあり、興行的に苦戦します。
〇『トラック野郎』から『ダンプ渡り鳥』へ
続いて天尾は、岡田からトラック運転手より数の多いダンプ運転手による新シリーズの企画を命じられ、京撮から再び関本郁夫を招聘、黒沢年男主演で⑳『ダンプ渡り鳥』を作りました。
黒沢と梅宮辰夫によるダンプ映画は振るわず、シリーズ化は断念されます。
〇『誘拐報道』高評価獲得
1982年、岡田は、『犬神の悪霊』から5年間にわたって監督作品がなかった伊藤俊也から読売新聞社会部によるドキュメンタリーを映画化すべく熱いオファーを受けました。そこで、日本テレビと初提携し天尾を企画者として『誘拐報道』を製作しました。
1982年9月に公開され興行的には今一つでしたが、主役の誘拐犯萩原健一の妻役を人気歌手の小柳ルミ子が演じ、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。作品もモントリオール世界映画祭審査員特別賞を受賞するなど高い評価を受けます。
〇日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞・小柳ルミ子『白蛇抄』
翌1983年、天尾は水上勉の文芸エロス小説㉔『白蛇抄』の映画化を伊藤俊也監督で企画します。主演には『誘拐報道』の演技で高い評価を得た小柳ルミ子を考え、小柳の演技を発掘した伊藤が出演を交渉し了解を得ました。
1983年11月に公開すると、小柳の体当たりのエロティックな熱演、インパクトのある宣伝コピー「うちら、もう……したらあかん」などが話題を呼びます。
この作品は、小柳の相手役の一人を演じた杉本哲太のデビュー作でした。
『白蛇抄』の演技で小柳ルミ子は日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しますが、この作品以降は歌手活動に専念しました。
〇「天才芸人横山やすし」懐かしの主演映画
1980年に興ったマンザイブームの立役者の一人横山やすしは、
1978年から小林信彦の短編シリーズ『唐獅子株式会社』のラジオドラマに主演していました。
天尾は、笠原和夫から横山主演で進めている映画化の話を聞き、岡田に了解を取るべく動きますがなかなか了解は得られません。
そんな中、1982年10月から横山が『久米宏のTVスクランブル』に出演し、その破天荒な言動で人気を博し、ようやく岡田の了解を得ます。
島田紳助や山田スミ子など吉本芸人が数多く出演した㉕『唐獅子株式会社』(曽根中生監督)は1983年12月に公開され、配収7.8億円で予算の8億にわずかに届きませんでしたが健闘しました。
天尾はシリーズ化の代わりに横山主演で『別冊漫画アクション』(双葉社)連載中の新田たつおの人気劇画㉖『ビッグマグナム 黒岩先生』の実写映画を山口和彦監督で企画します。
1985年4月に公開されたこの映画にも、西川のりおをはじめ数多くの吉本芸人が登場、また、おニャン子クラブ加入前の工藤静香が出演しています。
〇天尾企画の青春映画
㉖『ビックマグナム 黒岩先生』の併映作㉗『パンツの穴 花柄畑でインプット』も、天尾の企画でした。
『パンツの穴』は、1984年、学研パブリッシング発行の月刊雑誌『BOMB』の投稿コーナー「パンツの穴」の投書をまとめて映画化したもので、オーディションで選ばれた菊池桃子と山本陽一が主演しました。
この青春映画は、鈴木則文が作った製作会社アジャックスとジョイパックフィルムが共同企画した作品で、菊池桃子が人気を呼び大ヒットします。
天尾は東映で続篇を作るべく鈴木に話を通し、人気が爆発しスケジュールが取れない菊池に代わり、新たにオーディションで選んだ志村香を主演に山本を相手役として小平裕監督で企画しました。
天尾が企画した『ビックマグナム 黒岩先生』『パンツの穴 花柄畑でインプット』の2本立て興行は今ひとつの結果に終わります。
『パンツの穴 花柄畑でインプット』で学研と関係ができた天尾は、『BOMB』の姉妹誌『Momoco』の読者投稿コーナーをもとに『童貞物語』を企画、学研ヤング編集部・ネットワーク・BACコーポレーションで製作、東映が配給を担当しました。
(9)天尾完次、退職後の東映企画担当作品
1987年2月、天尾は53歳で東映を退職します。そして、その後も契約者として数は少なくなりますが東映ヤクザ映画の企画を担当しました。
㉙1988年6月公開東撮『極道渡世の素敵な面々』和泉聖治監督・陣内孝則主演
㉚1988年12月公開東撮『恋子の毎日』和泉聖治監督・松村雄基主演・長山洋子出演
㉛1989年9月公開京撮『悲しきヒットマン』一倉治雄監督・三浦友和主演
㉜1993年5月公開東撮『極東黒社会』馬場昭格監督・役所広司主演
天尾はその他に東映ビデオにて1992年5月『白昼の処刑』、1994年3月『ザ・格闘王』『ザ・格闘王2』、1994年7月『狂犬 Mad Dog』などのビデオ作品を企画しています。
天尾完次企画クレジット東撮作品
京撮で石井輝男監督『異常性愛シリーズ』、鈴木則文監督『温泉芸者シリーズ』『女番長シリーズ』『エロ将軍と二十一人の愛妾』など5年にわたる東映ポルノ路線を生み出した天尾完次は、東撮では『新幹線大爆破』『トラック野郎シリーズ』『二百三高地』『大日本帝国』『誘拐報道』『白蛇抄』などの話題作を作りました。
①1975年7月『新幹線大爆破』佐藤純彌監督・高倉健主演
②1975年10月『東京ふんどし芸者』野田幸男監督・堀めぐみ主演
③1976年4月『キンキンのルンペン大将』石井輝男監督・愛川欽也主演
④1976年5月『お祭り野郎 魚河岸の兄弟分』鈴木則文監督・松方弘樹主演
⑤1976年8月『トラック野郎 望郷一番星』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑥1976年12月『トラック野郎 天下御免』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑦1976年6月『犬神の悪霊(たたり)を伊藤俊也監督・大和田伸也主演
⑧1977年8月『トラック野郎 度胸一番星』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑨1977年10月『ボクサー』 寺山修司監督・菅原文太主演
⑩1977年12月『トラック野郎 男一匹桃次郎』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑪1978年4月『多羅尾伴内』鈴木則文監督・小林旭主演
⑫1978年8月『トラック野郎 突撃一番星』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑬1978年8月『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』山口和彦監督・小林旭主演
⑭1978年12月『トラック野郎 一番星北へ帰る』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑮1979年8月『トラック野郎 熱風5000キロ』鈴木則文監督・菅原文太主演
⑯1979年10月『天使の欲望』関本郁夫監督・結城しのぶ主演
⑰1979年12月『トラック野郎 故郷(ふるさと)特急便』
⑱1980年8月『二百三高地』舛田利雄監督・仲代達矢主演
⑲1980年10月『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』中島貞夫監督・磯部勉主演
⑳1981年4月『ダンプ渡り鳥』関本郁夫監督・黒沢年男主演
㉑1982年8月『大日本帝国』舛田利雄監督・丹波哲郎主演
㉒1982年9月『誘拐報道』伊藤俊也監督・萩原健一主演
㉓1983年6月『日本海大海戦 海ゆかば 』舛田利雄監督・三船敏郎主演
㉔1983年11月『白蛇抄』伊藤俊也監督・小柳ルミ子主演
㉕1983年12月『唐獅子株式会社』曽根中生監督・横山やすし主演
㉖1985年4月『ビッグマグナム 黒岩先生』山口和彦監督・横山やすし主演
㉗1985年4月『パンツの穴 花柄畑でインプット』小平裕監督・志村香主演
㉘1986年2月『童貞物語』小平裕監督・光石研主演
㉙1988年6月『極道渡世の素敵な面々』和泉聖治監督・陣内孝則主演
㉚1988年12月『恋子の毎日』和泉聖治監督・松村雄基主演・長山洋子出演
㉛1989年9月『悲しきヒットマン』一倉治雄監督・三浦友和主演
㉜1993年5月『極東黒社会』馬場昭格監督・役所広司主演
京撮で50作、東撮に移ってからも名前がクレジットされている映画だけで32作。東映史に燦然と輝く数々の名作を企画した名物プロデューサーは、1994年に東映を離れて業界を去り、2011年に逝去しました。
トップ写真:1980年公開『二百三高地』より