101.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み③文芸エロス映画・風俗エロス映画」
3.岡田茂好色路線のはじまりと主演女優陣の誕生:文芸エロス、風俗エロス
東京撮影所(東撮)所長時代、ギャング映画路線に次いで任俠映画路線を志向する岡田は、続いて女優を主役に据えた成人向け好色路線にも乗り出します。
岡田にとって、拡大するテレビ人気に対抗するべくテレビでは扱えない映画ならではの素材として、エロスは絶対に外せない路線でした。
① 文芸エロスと風俗エロス
谷崎潤一郎、川端康成、永井荷風などに見られるごとく、文芸のなかでエロスは極めて重要なテーマ、要素です。
同じように、映画でもこれまで多くのエロスが表現されてきました。
戦前はエロスに対しても検閲が厳しく映画でエロティックシーンを描くことはきわめて難しい状況にあり、キスシーンの始まりも戦後1946年5月公開、松竹の佐々木康監督『はたちの青春』からでした。
その後、徐々に制限が解かれ、各社にて文芸物、廓物、売春婦物などの映画の中でエロティックなシーンが展開されます。
まずは大映東京撮影所にて宇野重吉主演で製作された谷崎潤一郎原作木村恵吾監督『痴人の愛』が1949年10月に公開されました。
この作品に出演した京マチ子は下着姿やビキニ姿の官能的な肉体を披露し、宇野とのエロティックな場面も話題を呼びます。
この後大映は、京マチ子、若尾文子を中心に溝口健二監督『赤線地帯』、谷崎潤一郎原作木村恵吾監督『瘋癲老人日記』など文芸エロス映画を製作公開して行きました。
1955年末に新東宝社長に就任した大蔵貢は、エロ・グロを掲げて、グラマーな肉感女優三原葉子などを使った石井輝男監督『肉体女優殺し 五人の犯罪者』『女体桟橋』『地帯シリーズ』『女体渦巻島』など、大蔵が命名した過激なタイトルの作品による安価な暴力&風俗エロス映画路線を進めます。
しかし、1961年6月に新東宝は倒産。前年に退陣していた大蔵は1962年1月、自身で大蔵映画を設立しピンク映画製作に乗り出しました。
② 1963年 文芸エロス映画『五番町夕霧楼』 岡田好色路線への第一歩
好色路線を目指す岡田は、1963年3月に公開された任俠映画『人生劇場 飛車角』の中で「おとよ」を演じた、第4期ニューフェース入社以来の清純派、佐久間良子に目を付けます。
そして、東撮でこの清純派女優を主演に文芸エロス映画として水上勉原作『五番町夕霧楼』を映画化しました。
巨匠田坂具隆が監督し、裸を見せずにエロティックなシーンを演出したカラー文芸大作は、この年11月に公開され、成人映画ながら評判を呼び大ヒット。キネ旬3位にも選ばれます。
ここから岡田の成人映画好色路線に向けた第1歩がソフトにスタートしました。
③ 『二匹の牝犬』東撮・風俗エロス映画
続いて岡田は、新東宝出身の渡辺祐介監督を起用し、テレビで悪女を演じた文学座の小川真由美と、渡辺が抜擢し岡田自ら芸名を付けた新人緑魔子が姉妹の娼婦役を演じる『二匹の牝犬』を企画します。
初めてスクリーン上に女性のバストトップを露出した風俗エロス映画は、小川、緑による体当たりの演技でモノクロながらヒットします。
そして、2月に京都撮影所(京撮)所長に異動した岡田の路線を継いだ東撮は、小川と緑、渡辺監督で続けて『悪女』を企画、7月に公開しました。
硬派のカラー作品『日本侠客伝』と軟派のモノクロ作品『悪女』の2本立ては大ヒットします。
『悪女』でも小川と緑の体当たり演技は高く評価されました。
④ 佐久間良子・三田佳子・緑魔子、東撮女優陣の台頭
美空ひばりを除きこれまで男性スターが中心だった東映で、『五番町夕霧楼』の佐久間良子を契機に、映画の主役として三田佳子、緑魔子など東撮女優陣の活躍が始まります。
まずは佐久間が、ベテラン八木保太郎の脚本で巨匠今村正が監督した水上勉原作第2弾のカラー文芸エロス大作『越後つついし親不知』に主演しました。
5月に公開されたこの映画でも清純派佐久間のエロティシズムが話題を呼び、大ヒットします。
続いて東撮は、佐久間のライバル三田佳子を主演に廓物第2弾、佐藤純彌監督『廓育ち』を企画、9月にカラー作品で公開しました。
清純派三田の体当たり演技も高い評判を呼び、三田は佐久間と共に東撮女性映画の看板女優となりました。
また、『二匹の牝犬』『悪女』で個性的な演技を見せた緑魔子も、11月、渡辺祐介監督にてモノクロ映画『牝』に主演、性に奔放な不良少女を演じます。
佐久間と三田は文芸エロス作品、緑は風俗エロス映画で個性を発揮し、この後、3人の女優の活躍で岡田の狙う東映好色路線へまた一歩進めることができました。
⑤ 山田風太郎『くノ一忍法』 京撮・好色映画始動
京撮に赴任した岡田は、京撮でも任俠映画とともに裸露出の多いストレートな好色映画に取り組みます。
ベテラン監督を合理化し、新人監督の抜擢を目指す岡田は、京撮若手助監督たちに企画を募り、中島貞夫がアイデアを出した『くノ一忍法』を映画化しました。
この作品は、忍法ブームを作った大衆作家山田風太郎『くノ一忍法帖』を原作に、中島と彼の大学時代からの親友倉本聰が共同で脚本を書いたもので、中島にとって初めての監督作、京撮で初めてOSミュージックダンサーの協力によるヌードを前面に出した時代劇好色映画となります。
10月にカラー作品で公開されると、不振の時代劇の中でヒットしました。
岡田は、続けて山田の『外道忍法帖』を原作に中島監督『くノ一化粧』をカラー映画化。OSミュージックダンサーの裸だけではなく、岡田から東映女優を脱がせるように指示された中島は、苦労しながら東映ニューフェース7期の三島ゆり子を説得、三島の身体を張った演技が注目を集めます。
後に三島は『まむしの兄弟』シリーズなど中島監督作品にレギュラー出演しました。
12月に公開されたこの好色映画第2弾もヒットし、岡田の指示で山田『くノ一』シリーズ第3弾が企画されます。
しかし、京撮の中でエロス映画に対する抵抗も強く中島が断ったため、長谷川安人が監督し丹波哲郎主演『忍法忠臣蔵』がモノクロで公開されました。
鶴田浩二主演の沢島忠監督カラー作品『いれずみ判官』に併映されたこの映画は、興行的に失敗。京撮の好色映画くノ一シリーズはしばらく休止して企画を練り、京撮は男の世界である任俠映画を中心に稼働して行きます。
⑥ 1965年 東撮風俗映画 梅宮辰夫・緑魔子主演『夜の青春シリーズ』誕生
一方、岡田が去った東撮では、『悪女』の演技で評価を高めた緑魔子とそこで色悪を演じた梅宮辰夫、この不良ペアがこの後東撮風俗エロス映画を代表するシリーズを生み出します。
1965年1月、東撮は、『きけ、わだつみの声』の関川秀雄監督を起用し、緑魔子と梅宮辰夫のコンビによるモノクロ風俗エロス映画『ひも』を公開しました。
この作品は、マキノ雅弘監督カラー作品高倉健主演『日本侠客伝・浪花篇』の併映で、正月公開の『徳川家康』や第二弾『飢餓海峡』などの大作に負けない大ヒットを記録。
ここから、園田実彦(みつひこ)企画、梅宮主演のモノクロ風俗エロス映画シリーズが始まります。
梅宮・緑コンビの第2弾は、6月公開の村山新治監督『いろ』。この作品から大原麗子が出演しました。
その後も梅宮主演で、8月関川監督『梅宮辰夫 夜の盛り場シリーズ ダニ』、梅宮・緑コンビ復活で10月関川監督『かも』、12月村山監督『夜の青春シリーズ 夜の悪女』、1966年2月村山監督『夜の青春シリーズ 夜の牝犬』、6月村山監督『夜の青春シリーズ 赤い夜光虫』と続きます。
途中から『夜の青春シリーズ』と名づけられたこの成人映画シリーズは7作を数えました。
梅宮主演のこの成人映画シリーズ7作のうち緑は6作コンビを組み、脚本の成沢昌茂は6作担当、緑と同じ6作に助演した大原はこの後人気女優となりました。
なお、東映ビデオでは一般映画ですが1968年4月公開梅宮主演村山新治監督、夜の手配師シリーズ第1弾『夜の手配師』も『夜の青春シリーズ』作品としています。
梅宮とのペアで『夜の青春シリーズ』の人気を支えた緑魔子は、1966年3月、後に大監督となる降旗康男の監督デビュー作『非行少女ヨーコ』に主演、60年代の退廃的な若者の姿を描いたこの作品で鮮烈な印象を刻み、緑の東映代表作となります。
『二匹の牝犬』から始まり、『悪女』『夜の青春シリーズ』、『非行少女ヨーコ』などで、多くの若い男性の人気を集めた緑は、時代を象徴するエロティックスターでした。
その後、出演方針をめぐり岡田と対立した緑は、1967年以降出演を減らし、1968年に東映を離れます。
現代を表す独特の退廃的なムードを持つ緑魔子は、岡田が進めた東映好色路線の一端を支え大きく貢献しました。
⑦ 三田、佐久間、京撮エロス映画での活躍
三田佳子は岡田が所長の京撮にて、1965年4月公開の田坂具隆監督による山本周五郎原作のオムニバス文芸大作『冷飯とおさんとちゃん』にセクシャルな性癖を持つ妻おさん役で出演します。
しかしながら岡田はこの時代劇大作の興行的に振るわなかったので、京撮での時代劇映画から不良性感度の高い任俠映画や好色映画への方針転換を決意しました。
東撮同様に京撮での好色映画路線の確立をめざした岡田は、1966年2月、永井荷風『四畳半襖の下張』を原作にした文芸エロス映画『四畳半物語 娼婦しの』を公開します。
三田佳子を主演に起用したこの映画は、脚本家の成沢昌茂が監督したモノクロ成人映画で、三田の演技は評判を呼び京都市民映画祭主演女優賞を受賞しました。
そして4月公開の東撮映画、佐藤純彌監督『愛欲』にて佐久間良子と火花を散らすライバル役で共演します。
加藤泰監督『沓掛時次郎 遊侠一匹』と併映のこの三角関係映画は、二人のライバル関係を煽る宣伝によってマスコミの話題となりました。
この年10月、岡田は常務に昇進します。
岡田の進めようとする裸を前提とする好色路線に距離を置きたい三田は、『愛欲』を最後に東映映画に出演することがないまま年末の専属契約を継続せず、1967年3月、東映を離れフリーになりました。
一方、佐久間は、『五番町夕霧楼』の鈴木尚之脚本・田坂具隆監督で水上勉原作『湖の琴』に主演します。
この年から現代劇に乗り出した京撮で撮影され、11月に公開されたこのカラー文芸エロス大作は大ヒットし、キネマ旬報4位に選出されました。
この作品に主演した佐久間は、東映を代表する女優となります。
1967年、好色路線を確立したい京撮所長岡田は、翁長孝雄に企画を任せ、八木保太郎と巨匠今井正が『大奥㊙物語』の脚本作りに取り掛かりました。
しかし岡田の意図とは異なった二人の脚本を蹴り、エロス度を増幅した脚本に改めて作り直させ、『くノ一忍法』の中島貞夫に監督を交代させます。
中島が監督した東映女優オールスターオムニバス成人映画は大ヒットしました。
続けて11月に中島監督で、前作で良い演技をした新人の小川知子を主演に緑魔子も出演する『続・大奥㊙物語』を公開します。
直接的なエロスを前面に出したい岡田の方針に反対する佐久間の出演拒否もあり、この作品の興行成績は低調に終わりました。
中島は続けて岡田の意を受け翁長と三村敬三が企画した『尼寺㊙物語』を監督します。この作品は俊藤浩滋の娘藤純子の初主演作で三田佳子も出演し、1968年2月に公開されました。
残念ながら藤の初主演作も『続大奥㊙物語』に続き失敗します。
そしてこの後藤は、9月公開の任俠映画山下耕作監督『緋牡丹博徒』に主演し任俠映画の大スターになりました。
岡田は、裸が少なく直接的な刺激が足りないことが失敗の原因と考え、大奥物から文芸志向の中島を外し、東撮から『網走番外地』シリーズで大ヒットを飛ばす石井輝男監督を呼びます。
そして、同じ成人映画でも、間接的な文芸エロス映画を休止し、ピンク映画などの脱げる女優を使い、裸の女性がたくさん出演するリアル度をエスカレートさせた好色映画を撮らせました。
一方、中島には、竹中労が企画した風俗ドキュメンタリー映画『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』に時間をかけて取り掛かかるよう指示します。
岡田と天尾完次が企画した石井輝男監督・御影京子主演『徳川女系図』は、5月に公開されました。
東映の三島ゆり子、元新東宝の三原葉子、元東映ニューフェースの失神女優応蘭芳などのセクシー女優陣に加え、ピンク映画界から谷ナオミなど多くの裸女優を起用した好色映画にて、初めて時代劇を監督した石井輝男は、岡田の期待に存分に応えます。
紅白ふんどし相撲大会など女性の裸体が乱舞し、エロ・グロ満載、絢爛豪華でアナーキーな大奥大作は、メジャー映画会社が作った下品で最低な映画として評論家たちから散々な評価を浴び大きな話題を集め、大ヒットしました。
ここから天尾・石井による異常性愛シリーズも始まり、岡田の好色路線の作品が量産されて行きます。
続いて、岡田は、新東宝で中川信夫の助監督だった石川義寛(ぎかん)を監督に起用し宮園純子主演で『妖艶毒婦伝 般若のお百』を製作、1968年10月に公開しました。
歌舞伎の世界では『処女翫浮名横櫛』(むすめごのみうきなのよこぐし)の「切られお富」や『大船盛鰕顔見世』(おおふなもりえびのかおみせ)の「三日月おせん」、そして『善悪両面児手柏』(ぜんあくりょうめんこのてがしわ)「妲己のお百」など悪婆と呼ばれる役柄が登場する演目いわゆる毒婦物があります。
映画界でも1912年福宝堂「高橋お伝」から始まり、1914年日活尾上松之助の『姐妃(あねご)のお百』、田坂具隆や伊藤大輔が監督した『明治一代女』の『花井お梅』など数多くの毒婦物映画が作られました。
大倉貢の新東宝では中川信夫が『毒婦高橋お伝』を監督し、石川はこの作品でも助監督を担当しています。
1964年に京撮所長に就任した岡田茂は、翌年「高橋お伝」の好色毒婦物映画を企画しましたが藤純子や佐久間良子に拒絶され、成立しませんでした。
『徳川女系図』で好色路線に商機を見出した今回、岡田は宮園純子を主演に抜擢し、「妲己のお百」をモデルに好色毒婦物『妖艶毒婦伝 般若のお百』を製作。宮園の身体を張った演技が評判を呼びます。
宮園主演の次作には石川の師である中川を監督を起用し、カラー作品『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』を製作、翌1969年4月に公開しました。
続く第3作『妖艶毒婦伝 お勝兇状旅』も同じく中川が監督し、1969年10月に公開しました。
『妖艶毒婦伝シリーズ』の脚本を手掛けた高田宏冶は、後に五社英雄監督『鬼龍院花子の生涯』宮尾登美子シリーズや『極道の妻たちシリーズ』など女性が主役映画を手がけました。
過激エロス大作で大成功した岡田は、関西テレビ『大奥』の大ヒットを見て女性向け文芸映画に挑み、山下耕作監督で大奥シリーズ第3弾『大奥絵巻』を企画、11月に公開しました。
しかし、佐久間が主演したこの文芸大作も興行的には振るわないまま終わります。
9月に東映の映画本部長・ゼネラルプロデューサーに就任した岡田は、この結果から過激エロスに確信を得て、任俠路線を進める俊藤浩滋に対し岡田自ら陣頭指揮して各種好色映画をより積極過激に進め路線化を目指しました。
一方、佐久間は、小幡欣治の戯曲『あかさたな』を原作に岡田がタイトルを付けた、成沢昌茂監督『妾二十一人 ど助平一代』に出演した後、過激化を進める東映を去り、テレビ界で大女優となりました。
次回は、岡田茂が抜擢した梅宮辰夫主演の東撮不良映画をご紹介いたします。