
56. 第4章「行け行け東映・積極経営
第5節「東映娯楽時代劇黄金期の名監督④ 萩原遼と河野寿一」
経営に苦しむ東映が、一気に形勢を逆転して日本一の映画製作配給会社に成長できた一番の要因は東映娯楽版の大成功にありました。
その娯楽版初作品『忍術猿飛佐助』を監督したのが河野寿一(としかず)。
そして、娯楽版を大成功に導いた第4弾『笛吹童子』、第10弾『紅孔雀』の監督が、戦前に活躍した脚本家集団鳴滝組に最年少で参加した萩原遼(遼は二点しんにょう)。
今回は、現在の東映特撮番組の原点である東映娯楽版を作った二人の娯楽映画監督を紹介いたします。
萩原遼 鳴滝組出身 東映娯楽版の大ヒットメーカー
1930年、20歳の萩原は御室のマキノ・プロダクションに入社しますがその年12月にマキノプロは解散します。
1934年、改めて日活太秦撮影所の門をたたき、助監督となって一歳上の監督山中貞雄に師事しました。
そして、山中と共に、脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、鈴木桃作と所属会社の異なる8名で鳴滝組を結成。共同で脚本を書く際のペンネームとして梶原金八を名乗ります。
山中の下で監督修業に励んだ萩原は、1936年7月公開の山中原作高勢実乗主演の喜劇映画『お茶づけ侍』で監督デビューしました。

この作品に注目した片岡千恵蔵に呼ばれ、日活と配給提携していた千恵プロで1936年10月公開梶原金八脚本千恵蔵主演『荒木又右衛門』、1937年1月公開板見逸太郎脚本『修羅山彦 前篇』2月公開山城伸作脚本『修羅山彦 後篇』を監督します。

その年日活を出てJ.O.スタヂオに移り、そこが東宝京都撮影所に改編後の1937年12月に公開した小笠原章二郎主演『日本一の殿様』、1938年4月公開鳥羽陽之助主演『浮世小路』と2本の喜劇映画を監督。そして、出征中に29歳で病死した師匠、山中貞雄のいた東宝東京撮影所に移籍しました。
そこで萩原は、1938年9月公開大河内伝次郎主演『清水次郎長』、戦前の代表作と言われる1939年10月公開前進座河原崎長十郎主演『その前夜』、1940年1月公開大河内主演『新篇 丹下左膳 恋車の巻』、7月公開大河内主演『嵐に咲く花』、12月公開岡譲二主演『蔦』、1942年11月公開長谷川一夫主演『おもかげの街』、1943年7月公開長谷川主演『名人長次彫』、1944年1月公開長谷川主演『韋駄天街道』と東宝スターの主演作を次々と監督します。






戦後、東宝で長谷川主演『霧の夜ばなし』を撮り新東宝に移って2本監督の後、1949年、東横映画に参加しました。
まずは11月公開松田定次監督の千恵蔵主演『獄門島』に監督助手として加わり、続いて松田監督と共同で1950年6月公開大友柳太朗主演『闇に光る眼』を監督します。その後は市川右太衛門主演『乱れ星荒神山』、マキノ雅弘監督と共同で千恵蔵主演『女賊と判官』、松田監督と共同で右太衛門主演『江戸恋双六』、千恵蔵主演『お馴染み判官 あばれ神輿』、『新選組』(三部作)など両御大主演作を中心に活躍して行きました。






その中で、GHQの規制で長く撮影できなかった東映念願の忠臣蔵映画を、1952年4月公開『赤穂城』5月公開『続赤穂城』と千恵蔵主演にて製作することになり、萩原に監督の白羽の矢が当たります。

戦後、大映、松竹、新東宝などで主演してきた嵐寛寿郎の1952年9月公開、東映初出演作『鞍馬天狗 一騎打ち』を監督。その後、両御大作品とともに東映での嵐寛鞍馬天狗シリーズを担当した萩原は、1953年12月公開『逆襲!鞍馬天狗』まで4作監督しました。


嵐に気に入られた萩原は、1953年7月公開宝プロ製作東映配給『源太時雨』、12月公開綜芸プロ製作新東宝配給『やくざ狼』など他社製作作品も監督しました。
両御大に大物ゲストの嵐寛の主演映画を手掛けた萩原は、東映京都において松田定次、佐々木康、渡辺邦男に次ぐエーズ監督となります。

それから、萩原は1954年の正月から始まった東映娯楽版の第4弾4月公開『新諸国物語 笛吹童子』(三部作)を担当します。

当時大流行していたNHK連続ラジオドラマを東千代之介と中村錦之助と言うフレッシュスター主演で映画化。特撮を駆使し、忍術、妖術が繰り広げられる子供向け娯楽アクション映画は子供たちの人気を集め大ヒットしました。
翌1955年の正月映画として公開された娯楽版第10弾『新諸国物語 紅孔雀』(五部作)を監督。この映画はその年日本映画第2位の配給収入を上げ、子供映画としては空前の大ヒットを記録します。

その後は、娯楽版の大ヒット監督として東映若手スター中村錦之助の主演映画、1955年2月公開『越後獅子祭り やくざ若衆』、5月公開『あばれ纏千両肌』、7月公開『源義経』、10月公開『獅子丸一平』シリーズ全5作を監督、錦之助の人気を増々高めました。




そして、錦之助に続き、スターを目指す大川橋蔵主演『江戸三国志』シリーズ(三部作)を手掛けます。

萩原は、続いて大川橋蔵主演で、1957年2月公開『修羅時鳥』、7月公開『緋ぼたん肌』、9月公開、主演美空ひばりとの共演作『ふり袖太鼓』を監督します。


中村錦之助、大川橋蔵の二人の若手スターを育てた萩原は、1958年3月公開東千代之介主演『江戸の花笠』を最後に時代劇絶頂期の東映を去りました。

東映を離れた萩原は、福島通人の歌舞伎座製作映画を経て松竹京都に移りましたが1961年に松竹を離れ、1969年、ピンク映画に取り組み、翌年、安藤昇主演のやくざ映画を最後に映画界を去りました。


河野寿一(としかず) 東映娯楽版を始めたプログラムピクチャーの名手
1943年4月、日本大学芸術学部映画科を卒業した河野寿一は、大映東京撮影所に入社、田中重雄、千葉泰樹らに師事しました。
戦後1947年6月、東横映画京都撮影所に助監督として入り、松田定次に師事。1953年5月、東映と契約した宝プロ作品『アチャコ・エンタツ ちゃんばら手帖』で監督デビューします。

11月に大友柳太朗主演で『快傑黒頭巾』を監督すると子どもたちの人気を集めました。

実績ができた河野は、1954年正月から始まる2本立て全作品製作配給のために考えられた子供向け東映娯楽版第1弾、1月21日公開『真田十勇士忍術猿飛佐助』(三部作)を任されます。
撮影した作品を連続活劇として三話に分けて公開したこの作品は子供連れ家族を集客してヒット。話ごとに公開日を変えて上映する娯楽版成功の手ごたえをつかむことができました。

ヒットを受け、河野は続けて第2弾、2月公開堀雄二主演『謎の黄金嶋』(三部作)、第3弾、3月公開東千代之介映画デビュー主演作『雪之丞変化』(三部作)、と担当します。


『謎の黄金嶋』から週替わりで次の部を公開するシステムを導入。若い女性を中心とした東千代之介人気により、続く『雪之丞変化』において、週替わり公開が成功しました。
第4弾『笛吹童子』は萩原遼が監督し、第5弾、5月公開千代之介主演『里見八犬傳』(五部作)、第7弾、9月公開千代之介主演『蛇姫様』(三部作)を再び河野が受け持ちます。


娯楽版成功の功績もあり、11月公開片岡千恵蔵主演『新撰組鬼隊長』、1955年4月公開市川右太衛門主演『阿修羅四天王』と初めて両御大作品を監督しました。


右太衛門に気に入られた河野は、続けて、6月公開『虚無僧系図』、11月公開『薩摩飛脚 前後篇』、翌1956年11月公開『朱鞘罷り通る』と右太衛門主演作を監督しました。



河野が監督した『雪之丞変化』で映画デビューした東千代之介、萩原監督『笛吹童子』からコンビを組んだ中村錦之助の二人は、『新諸国物語 紅孔雀』で大ブレイクし、トップアイドルスターになりました。
河野は、それぞれの主演長編を監督し、二人を次のステップに導きます。
まずは、中村錦之助で、1955年9月公開『紅顔の若武者 織田信長』、1956年1月公開『晴姿一番纏』と監督しました。


続いて、千代之介主演で1956年2月公開『名君剣の舞』、3月公開『白扇 みだれ黒髪』と監督し、四谷怪談を映画化した後者は高い評価を得ます。


再び、錦之助、千代之介主演で4月公開の娯楽版『異国物語 ヒマラヤの魔王』(三部作)を監督した萩原は、その後も錦之助、千代之介の主演作を担当しました。





次に、娯楽版でアイドルを育てた実績のある河野は、大川橋蔵、錦之助の弟で松竹から移籍してきた中村賀津雄の主演作を任されます。


そして、役者として成長を続ける中村錦之助主演作を監督。錦之助が颯爽とした旅鴉・浅間の伊太郎を演じた1958年12月公開『浅間の暴れん坊』、若き暴れん坊大名伊達政宗を演じた翌1959年5月公開『独眼竜政宗』、紅顔の若武者から成長した織田信長を演じた10月公開『風雲児 織田信長』の三作は、錦之助の進化を示しました。



また、美空ひばり、新スター里見浩太郎共演作の監督も手掛け始めます。

1960年、第二東映が誕生し、他社から多くのスターが東映に移籍してきます。河野は、7月公開、『まぼろし大名(二部作)』、翌1961年1月公開『お役者変化捕物帖 弁天屋敷』、4月公開『又四郎行状記 神変美女蝙蝠』、5月公開『お役者変化捕物帖 血どくろ屋敷』と松竹から来た大スター高田浩吉の主演作を手掛けました。



引き続き、河野は、大川橋蔵、大友柳太朗、東千代之介、里見浩太郎など主演のプログラムピクチャーを次々と演出します。




1964年2月、岡田茂が京都撮影所長に復帰し、東映京都テレビ・プロダクションを設立。河野寿一は、3月公開里見浩太郎主演『第三の忍者』を最後に京都テレビ・プロに移りました。


プログラムピクチャーの名手河野寿一は、テレビ時代劇で水を得た魚のように大活躍します。
京都テレビ・プロ第1回作品、品川隆二主演『忍びの者』、栗塚旭主演『新撰組血風録』、松山容子主演『旅がらすくれないお仙』、栗塚旭主演『燃えよ剣』、中村梅之助主演『遠山の金さん捕物帳』、渡瀬恒彦主演『影同心』、松平健主演『吉宗評判記 暴れん坊将軍』、里見浩太朗主演『長七郎天下ご免!』など次々と人気シリーズを生み出し、時代劇の大御所監督として晩年に至るまでテレビ界で活躍しました。


河野寿一と萩原遼。二人のプログラムピクチャーの名匠が育てた東千代之介と中村錦之助は人気スターに成長し、東映の配収日本一に大きく貢献します。
河野が形を作り、萩原が大きく育てた東映娯楽版は、東映の経営を安定させ、現在に至る東映の映像作りの基盤となりました。
