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80. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第13節「子供向け特撮キャラクタープロデューサー・平山亨 後編」

⑦人間の自由のために戦う『仮面ライダー』誕生

 1970年6月東映テレビ部テレビ企画営業部長渡邊亮徳(よしのり)は、日本教育テレビNET)の当時関西地区ネット局だった毎日放送MBS)映画部長庄野至から、翌年春の新番組企画提案の依頼を受けます。
 土曜夜7時半の30分枠は、関西では朝日放送ABC)『部長刑事』、関東ではTBSお笑い頭の体操』が圧倒的人気を持っており、MBSの番組は4%くらいしか視聴率を獲得できず、それ等人気番組に対抗できる新鮮な企画を探していました。
 渡邊は、プロデューサー平山を起用し、石森章太郎(後・石ノ森章太郎)のマネージャーで企画プランナーの加藤昇を交え企画を練り、MBSに『月光仮面』のような仮面のヒーロー物を提案します。
 平山が考えた最初の企画は仮面の等身大ヒーローマスクマンK』。次に脚本家の伊上勝市川森一上原正三も参加し企画をブラッシュアップ、『仮面天使 マスクエンジェル』というタイトルに変えMBSに提案します。
 そしてオートバイに乗ったヒーローというMBSからの要望を受けてリライトした『クロスファイア』の企画書を持って、『サイボーグ009』、『佐武と市捕物控』で人気の漫画家石森章太郎を訪ねました。実写企画に初めて取り組んだ石森から出たデザインは赤いⅩ文字のフルフェイスヘルメットでライダースーツに身を包んだバイクヒーローでした。平山はそのデザインをベースに『十字仮面』と名づけた企画書を作りMBSに提出し、良い感触を得ます。が、デザインに納得がいかなった石森からすぐに取り下げの連絡があり、髑髏をモチーフにした『仮面ライダー スカルマン』が再提案されました。しかしこの案は、MBSから反対され、それを受けた石森が新たに考案したキャラクターは、骸骨の顔によく似たバッタモチーフヒーロー仮面ライダー ホッパーキング』でした。
 石森が書いた異形のヒーローへのMBSの不安に対し、平山は丁寧に説明を重ねることで説得し、2月1日、『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/2/10)という短いタイトルでの制作が決定します。
 その交渉の際にMBSから出た石森によるマンガ雑誌連載の要望を受け、石森プロ加藤は、講談社週刊少年マガジン内田勝編集長に話を持ち込み、放送開始に合わせた『週刊ぼくらマガジン』での新連載も決まりました。
 プロデューサーに阿部征司が加わり、放送開始まで日程の余裕が全くない中で、平山は、脚本家伊上勝、監督竹本弘一をメインスタッフに、仮面ライダー本郷猛役には藤岡弘を起用して撮影を始めます。撮影予算も厳しく、お金のかかる特撮を使わず必殺技も光線などではなくライダーパンチライダーキックなど肉体によるアクションを多用、ハードで過酷なスケジュールの撮影が連日続きました。
 第9話、10話の撮影中、激しいバイクアクションに吹き替えなしで挑んでいた藤岡が、バイクで転倒し、左大腿部複雑骨折の大怪我で長期入院を余儀なくされます。このトラブルに際し、長年の映画撮影経験を持つ平山は、第1クールが終わる第13話まで、藤岡の撮影済映像や着ぐるみライダーを多用するなどあの手この手を使って何とかしのぎました。

 藤岡が入院中の1971年4月3日、大阪のMBS、東京のNETをキー局として放送が開始します。

『仮面ライダー』 ©石森プロ・東映

 第1話の視聴率、関東地区8.2%と低調でしたが、MBSの関西地区では20.1%を記録、大ヒットし、関東地区でも回を重ねるにつれ徐々に人気が上昇していきました。

『仮面ライダー』怪人蜘蛛男 ©石森プロ・東映
1971年6月発行 社内報『とうえい』第158号

 入院中の藤岡の復帰を待つことをMBSに訴えた平山は、本郷猛はヨーロッパに行った設定にして、第2クール第14話から、藤岡の劇団NLT研修所同期で、『柔道一直線』主役一条直也のライバル風祭右京役で人気の佐々木剛(たけし)を仮面ライダー2号として登場させます。 

『仮面ライダー』ライダー2号 ©石森プロ・東映

 これまでの藤岡ライダーはバイクに乗って風の力で変身しました。新たな主役の佐々木ライダーでは自らの力で変身を行うことが検討されます。
 そして大野剣友会殺陣師高橋一俊(かずとし)が振り付けた変身ポーズは「ヘーンシン!」の掛け声とともに大反響を呼び、子供たちは皆、変身ポーズで仮面ライダーになりきりました。高橋はその著書で「殺陣の二刀流日本舞踊とが合致して、仮面ライダーの変身ポーズが出来上がった。」と述べています。平山は高橋からこの提案を受けて「まるで、時代劇だね。」と語りました。
 1号の第5話からオープニングの最後の画面に、仮面ライダーがライダージャンプやチョップに入る前に両手を横に構えるファイティングポーズが登場します。これは時代劇のチャンバラ前に見得を切るのと同じ。2号ライダーはこのポーズから変身に入りました。

1972年『仮面ライダー対ショッカー』一文字隼人役佐々木剛 ©石森プロ・東映

 そして、明るい2号ライダーの登場と共に番組のテイストがより子供向けに変わります。
 子供が見やすいように蜘蛛男、蝙蝠男、さそり男、蜂女など不気味な怪人名が、事故後はゲバコンドルやサボテグロンなどカタカナ怪人名になり、おどろおどろしい恐怖演出も減らしました。
 メインセットも、小林昭二演じるおやっさん立花藤兵衛のお店だった喫茶店「スナックアミーゴ」から、オートバイ用品店「立花オートコーナー」にかわります。アミーゴでアルバイトとして働いていたヒロイン緑川ルリ子は本郷を追ってヨーロッパに行き、アルバイト仲間の島田陽子演じる野原ひろみは、立花が立ち上げた立花レーシングクラブで働き、新たにひろみの友人マリ役で山本リンダがレギュラー出演。他にも女性出演者が増え全体に明るくなりました。
 第11話から登場し、FBI特命捜査官滝和也役の好演で藤岡弘の穴を埋めた千葉治郎千葉真一実弟で、2号ライダーの相棒役として引き続きそのままレギュラー出演します。
 大野剣友会のアクターたちが演じるショッカー戦闘員は、これまでは素面にメイクでしたが、折田至監督の発案で新たにプロレス風マスクをかぶって登場します。これで同じスーツアクターが戦闘員として何度も繰り返し登場しても違和感が無くなりました。

『仮面ライダー』旧ショッカー戦闘員 ©石森プロ・東映
『仮面ライダー』新ショッカー戦闘員 ©石森プロ・東映

 また、オープニングテーマソング「レッツゴー!!ライダーキック」もこれまでは藤岡弘が歌っていましたが、2号ライダー登場後は、エンディング『仮面ライダーのうた』を歌う藤浩一に代わり、藤のパンチのある歌声は子どもたちの人気を呼び、レコード売上数130万枚を超える大ヒットとなります。
 ちなみには、これ以降、谷あきら子門真人などの名で数多くのアニメ、特撮作品の主題歌を歌い、フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』でリリースされた童謡「およげ!たいやきくん」は1975年12月に発売と同時に大ヒット、オリコンシングルチャート初登場1位・11週連続1位を記録し、総数450万枚以上を売り上げる驚異的なヒットをとばしました。

 第3クール第26話からは宮口二郎演じるショッカー日本支部初代大幹部ゾル大佐が登場。首領の下の大幹部が部下の怪人や戦闘員を指揮する悪の組織の定番構図がここから始まります。このシステムは組織の大きさ、分厚さを示すものであり、『ワタリ』などで見られる忍者組織、上忍、中忍、下忍など時代劇でおなじみの構図です。

『仮面ライダー』ゾル大佐 ©石森プロ・東映

 1972年1月1日放送の正月特番第4クール第40話から、藤岡弘演じる仮面ライダー1号がヨーロッパから再び戻ってきます。

 ゾル大佐に代わり日本支部二代目大幹部として天本英世演じる不気味な死神博士が新たに登場、子供たちを震え上がらせました。

『仮面ライダー』死神博士 ©石森プロ・東映

 子供たちが待ちに待ったダブルライダー共演で番組人気に拍車がかかります。この回の視聴率は30%を越えました。

1972年『仮面ライダー対ショッカー』2号(左)と1号 ©石森プロ・東映
『仮面ライダー』本郷猛(左)と一文字隼人 ©石森プロ・東映

 しかし、まだ藤岡の治療は続いており、一文字隼人仮面ライダー2号活躍は続き、藤岡はゲストとして出演します。

 第5クール第53話から、今度は一文字が日本を離れ、死神博士を追って南米に行き、「ライダー……へんしん!」という掛け声とともに新しい変身ポーズで2本線の新1号に変身する、パワーアップした本郷猛が活躍しました。

『仮面ライダー』本郷猛 ©石森プロ・東映
『仮面ライダー』新1号 ©石森プロ・東映

 そして、ライバルのショッカー日本支部3代目大幹部として、潮健児演じる地獄大使が登場します。

『仮面ライダー』地獄大使 ©石森プロ・東映

 ショッカー戦闘員も強化され骨戦闘員に変わりました。

『仮面ライダー』ショッカー骨戦闘員 ©石森プロ・東映

 インパクトのある地獄大使は人気が高く、第6クールも敵役として登場、第79話でライダーに破れ「ショッカー軍団万歳!」と叫んで爆死するまで出演します。

『仮面ライダー』地獄大使と白戦闘員 ©石森プロ・東映

 第7クール第80話からショッカー首領は、アフリカ奥地に拠点を構えるゲルダム団を併合したゲルショッカーを設立、丹羽又三郎演じる大幹部ブラック将軍を着任させました。

『仮面ライダー』ブラック将軍 ©石森プロ・東映

 『仮面ライダー』最終回第98話でダブルライダーによってアジトは破壊され、ブラック将軍は「我が偉大なる首領に栄光あれ!」と叫んで爆死、ゲルショッカー壊滅します。
 逃げのびた首領は、新番組『仮面ライダーV3』(1973/2/17~1974/2/9)でデストロンという悪の新組織を結成、新たなスタートをきりました。

『仮面ライダーV3』 ©石森プロ・東映

 平山亨が企画した『仮面ライダー』は、7クールおよそ2年間にわたって放送され、その後、現在の『仮面ライダーギーツ』まで続く人気シリーズとなり、長きにわたり東映を支えています。

 そして、『仮面ライダー』生誕50周年企画作品、庵野秀明脚本・監督『シン・仮面ライダー』が、3月17日(金曜日)18時より全国最速公開、18日全国公開されます。

『シン・仮面ライダー』©石森プロ・東映/2023「シン・仮面ライダー」製作委員会 


 平山は、その著書の中で「現代が舞台の時代劇『仮面ライダー』」「現代の風俗なのに、出てくる人物は完全に時代劇」と語っています。平山の京都撮影所で培った時代劇ノウハウが現代劇に活かされた作品が『仮面ライダー』でした。

 『仮面ライダーの後も平山の活躍は続きますが、今章ではひとまず筆をおき、後日、改めてご紹介いたします。

 次回は『仮面ライダー』から誕生した東映特撮ビジネスモデルとそれを支えた黎明期のキャラクター玩具業界についてお話させていただきます。