141.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第20節「スーパーカーブーム・東映製作カーレース作品」
巨大ロボットブームの最中の1975年1月、集英社『少年ジャンプ』で池沢さとし作「サーキットの狼」の連載が始まりました。
そして子供たちの間でランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ・ベルリネッタボクサー、ポルシェ・911ターボ、ロータス・ヨーロッパなどスーパーカーブームが興り、学校ではスーパーカー消しゴムが大流行します。
そのブームを見た東映は、カーレースをテーマにしたアニメ・映画を他社に先駆け製作しました。
①NET系金曜19時『マシンハヤブサ』(1976/4/2~9/17 全21話)
1976年4月、NET系金曜19時『勇者ライディーン』の後番組としてNET、東映、旭通信社(現・ADKホールディングス)が共同製作したカーレースアニメ、『マシンハヤブサ』の放映が始まります。
同時に、永井豪設立のダイナミックプロに所属していた望月三起也が描いた『月刊少年ジャンプ』他、小学館『小学一年生』など複数の月刊少年誌にて「マシンハヤブサ」のマンガ連載がスタートしました。
望月三起也・ダイナミック企画が原作したこのカーレースアニメは、東映動画の山口康男が企画、キャラクターデザインを香西隆男、メカニックデザインは辻忠直が担当します。
音楽は筒井広志、オープニング主題歌「ダッシュ!マシンハヤブサ」、エンディング「グランプリ・ブギ」とも作詞は保富康午(ほとみ こうご)、作曲・編曲はすぎやまこういちで水木一郎が歌いました。
ポピーからはポピニカレーベルで「マシンハヤブサ」などの玩具、また、ゼンマイ仕掛けのプラモデルも発売します。
『マシンハヤブサ』は全21話で終了し、後番組として同じく東映動画制作の少女アニメ『キャンディ・キャンディ』が始まり大ヒットしました。
②東映ドキュメンタリー映画『池沢さとしと世界のスーパーカー』(1977/4/29公開)
翌1977年4月、東映は『ドカベン』(鈴木則文監督・橋本三智弘主演)、『恐竜怪鳥の伝説』(倉田準二監督・渡瀬恒彦主演)に併映で、短編ドキュメンタリー映画『池沢さとしと世界のスーパーカー』(深町秀煕監督・池沢さとし主演)を公開します。
この映画は、集英社『週刊少年ジャンプ』にて大ヒット連載中の「サーキットの狼」の原作者でスーパーカーブームの立役者、池沢さとしが案内役になり、ランボルギーニ・カウンタックLP400(イタリア)、フェラーリ365TBB(イタリア)、ロータスヨーロッパ、ポルシェ930ターボなど世界のスーパーカーを子供たちとともに見て歩く短編ドキュメンタリー作品でした。
この短編映画でスーパーカーブームを実感した東映は、「サーキットの狼」の実写映画化を決めます。
③東映劇映画『サーキットの狼』(1977/8/6公開)
東映東京撮影所の矢部恒と坂上順が企画、脚本は監督に起用した山口和彦と中西隆三が共同で書きました。
主演には新人の風吹真矢を抜擢し、星野一義、中島悟、高橋国光、長谷見昌弘など国内人気プロレーサーも特別出演します。
F1マシンの他にブームのスーパーカーが数多く登場し、迫力あるレースシーンが撮影されました。
鈴木宏昌が音楽を担当し、主題歌は原作の池沢さとしが作詞、子門真人が作った曲を鈴木が編曲、子門が自ら歌います。
完成した映画は、1977年8月に『トラック野郎 度胸一番星』(鈴木則文監督・菅原文太主演)と同時公開されました。
『トラック野郎』の人気もあり、『サーキットの狼』は配給収入10億9000万円の大ヒットとなります。
そして、秋にはカーレースアニメが続々始まりました。
中でも東映は各局にて製作、3番組の放映が開始されます。
④フジ系木曜19時『アローエンブレム グランプリの鷹』(1977/9/22~1978/8/31 全44話)
これまでフジテレビ系木曜19時は、東映動画制作でマッドハウスが制作協力した巨大ロボットアニメ『大空魔竜ガイキング』(1976/4/1~1977/1/27 全44話)、続いて同じ制作体制で、手塚治虫原作『鉄腕アトム』をリメイクしたロボットアニメ『ジェッターマルス』(1977/2/3~9/15 全27話)が放映されていました。
1977年9月、この枠にてこれまで続いてきたロボットアニメに代わり、カーレースアニメ『アローエンブレム グランプリの鷹』がスタートします。
東映動画の田宮武が企画、作詞家でモータースポーツに詳しい保富康午(ほとみ こうご)が原案・監修を行い、脚本の辻真先、上原正三で骨子を作りました。
チーフディレクターはりんたろう、オリジナルデザインは『あしたのジョー』『大空魔竜ガイキング』『ジェッターマルス』などの作画監督杉野昭夫、メカは小林檀が担当します。
音楽と主題歌の作曲・編曲は宮川泰、作詞は保富康午、水木一郎が歌いました。
『アローエンブレム グランプリの鷹』は、カーレースアニメの中で人気を集め、翌1978年夏まで約1年間44話続きます。
⑤東京12チャンネル系水曜19時30分『とびだせ!マシーン飛竜』(1977/10/5~1978/3/29 21話全26回)
スーパーカーブームに沸く1977年秋、東京12チャンネル水曜19時30分『快傑ズバット』の後番組として、東京12チャンネル、東映テレビ部とタツノコプロ共同製作のカーレースアニメ『とびだせ!マシーン飛竜』がスタートしました。
東映エージエンシーが枠を買い切り、前作に引き続きタカトクトイス(1984年経営破綻)がメインスポンサーとなります。
この作品は、当時「タイムボカンシリーズ」の『ヤッターマン』(1977/1/1~1979/1/27 全108話)が大ヒットしていたタツノコプロらしいコメディ調のカーレースアニメで、タツノコプロ企画室の脚本家鳥海尽三の原作をもとに、東映テレビ部の飯島敬(たかし)、小野耕人(こうじん)が企画しました。
メイン脚本は吉野次郎(飯島敬のペンネーム)、チーフディレクターは原征太郎、キャラクターデザインを天野嘉孝・遠藤克己、メカニックデザインは大河原邦男が担当します。
音楽及び主題歌の作曲・編曲は筒井広志。作詞はオープニングを加賀進、エンディングは八手三郎が書き、こおろぎ’73が歌いました。
『とびだせ!マシーン飛竜』は、2クール全21話で終了。アニメ番組の再放送でつないだ後、マーベルコミックと東映の提携作品巨大ロボット特撮『スパイダーマン』が始まります。
⑥テレビ朝日系月曜19時『激走!ルーベンカイザー』(1977/10/10~1978/2/6 全17話)
1977年秋シーズンのカーレースアニメ第1作としてフジ系『アローエンブレム グランプリの鷹』、東京12チャンネル系火曜19時30分枠にて永和、日本経済広告社、東京12チャンネルが共同製作した第2作『超スーパーカー ガッタイガー』(1977/10/4~1978/3/28 全26話)、そして同系にて第3作『とびだせ!マシーン飛竜』が開始した後の10月10日、テレビ朝日系月曜19時にて第4作『激走!ルーベンカイザー』が始動しました。
この枠の番組は、1976年4月『ザ・カゲスター』、11月『5年3組魔法組』と、東映の平山亨、阿部征司、大広の松永英が続けて企画しており、『激走!ルーベンカイザー』の原作としてクレジットされている大堂勲は長石多可男のペンネームと言われています。
この作品では東映テレビ部の飯島敬と阿部が大広の松永と企画に取り組み、ドラマ部分では平山もアドバイスしました。
メイン脚本は田村多津夫、アニメ制作の元請がグリーンボックスで和光プロダクション(現・ワコープロ)が協力します。
レース監修はプロレーサーの星野一義と自動車関連の専門家稲垣謙三。モータースポーツマニアの漫画家すがやみつるがキャラクター原案を書き、かつてカーデザイナーを目指していたポピーの村上克司とデザインオフィス・メカマンの大河原邦男がメカニックデザインを手掛けました。
タツノコプロで演出を行ってきた布川ゆうじ(後にスタジオぴえろ設立、社長就任)が初めてチーフ・ディレクターを担当し、人気声優の田中真弓はこの作品の涼子役で声優デビューしています。
音楽、主題歌の作曲・編曲は菊池俊輔、八手三郎が作詞し、例によってささきいさおが歌いました。
この作品は17話で終了し、後番組としてテレビ朝日・大広・東映テレビ部共同製作で日本サンライズ制作の魔女っ子アニメ、永井豪とダイナミックプロ原作『魔女っ子チックル』が始まります。
1975年1月の『週刊少年ジャンプ』池沢さとし作「サーキットの狼」から始まったスーパーカーブームは、カーレースをテーマにした東映製作の映画やテレビアニメによって拡大します。
3年半後の1978年夏、フジテレビ系にて約1年間続いたレースアニメ『アローエンブレム グランプリの鷹』が終了した時にはスーパーカーブームも落ち着きました。
そして、後番組の松本零士原作スペースファンタジーアニメ『銀河鉄道999』が大ヒット、ブルートレインなどの鉄道ブームが興ります。
翌1979年には『サーキットの狼』の連載が終了し、子供たちの間でスーパーカーブームは終息しました。