
174.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第35節「東映メディアミックス・キャラクタービジネス確立(まとめ)後編」
9. 巨大ロボットアニメブーム続く
1972年12月、東映動画が制作しフジテレビ日曜19時枠で始まった永井豪とダイナミックプロ原作『マジンガーZ』が大ヒットしました。
この作品から始まった巨大ロボットアニメ人気は、後番組『グレートマジンガー』(1974/9/8~1975/9/28)、『UFOロボ グレンダイザー』(1975/10/5~1977/2/27)と拡大します。
同じく東映動画が制作した永井豪・石川賢とダイナミックプロ原作によるフジテレビ木曜19時枠の『ゲッターロボ』(1974/4/4~1975/5/8)、続く『ゲッターロボG』(1975/5/15~1976/3/25)も人気を博しました。
永井豪とダイナミックプロが作った巨大ロボットマンガは、東映動画のアニメによって現在まで続く巨大ロボットアニメブームの先駆けとなります。
また、巨大ロボットアニメの大ヒットは、ポピーの「超合金」などのロボット玩具やミニカー玩具「ポピニカ」の売り上げを拡大させ、玩具業界の発展に寄与しました。
1973年3月、東映ビデオ社長に就任した今田智憲は、翌1974年8月に東映動画社長も兼務します。
ここから、東映取締役としてテレビ部門を統括する渡邊亮徳との二人三脚がスタートしました。
10. ロボット特撮ホームコメディ『がんばれ!!ロボコン』の大ヒット
1974年10月、NET系にて石森章太郎(後・石ノ森章太郎)原作のロボット特撮ホームコメディ『がんばれ!!ロボコン』(1974/10/4~1977/3/25)が始まります。
これまでの特撮ヒーロー物とは異なるお友達ロボットは、子供たちの共感を集め大ヒットしました。
全26種作られた「超合金」は売れに売れ、ポピーのキャラクター商品の中で売り上げトップを記録、ポピーの玩具業界1位に大きく貢献します。
『がんばれ!!ロボコン』の大ヒットは、東映特撮ヒーローの新たな鉱脈となり「東映不思議コメディシリーズ」へつながって行きました。
「東映不思議コメディシリーズ」
11. 「スーパー戦隊シリーズ」の始まり
1975年4月、NET(現テレビ朝日)は、関西地区において毎日放送(MBS)から朝日放送(ABC)にネットチェンジします。
これによってNETは、MBS製作の人気番組「仮面ライダーシリーズ」の放映がなくなるため、渡邊亮徳と平山亨は石森章太郎のデザインで仮面ライダーに代わるニューヒーロー『秘密戦隊ゴレンジャー』を生み出しました。
『秘密戦隊ゴレンジャー』は大ヒット。この作品から現在まで続く「スーパー戦隊シリーズ」が始まります。
12.東映動画名作アニメ『一休さん』『キャンディ・キャンディ』
1970年代、東映動画は人気マンガとのメディアミックスで数多くの名作アニメを制作しました。
1972年7月からNET系土曜20時30分から放映開始した永井豪原作『デビルマン』(1972/7/8~1973/3/31)は、年齢層が高めの子供を魅了します。
続く手塚治虫原作の『ミクロイドS』(1973/4/7~10/6)の後、お色気の要素が強い永井豪原作『キューティーハニー』(1973/10/13~1974/3/30)が話題を集めました。
永井豪原作の『デビルマン』『キューティーハニー』は名作としてその後何度もリメイクされます。
また、NET系で1975年10月に始まった『一休さん』(1975/10/15~1982/6/28)は、子供たちの心を捉え、6年9ヵ月全296話を記録する長寿アニメとなりました。
『一休さん』は、海外へも輸出され、仏教国のタイはもとより、中国、台湾、香港など中華圏でも大ヒットし、何度も再放送を重ねたことでこれらの国では今も大きな知名度を有しています。
1976年10月からテレビ朝日系でスタートした、講談社『なかよし』連載中の人気少女マンガ(水木杏子原作・いがらしゆみこ作画)『キャンディ・キャンディ』(1976/10/1~1979/2/2 全115話)は、2クール目からは少女の間で圧倒的な人気を得ました。
ポピーが発売した『キャンディ・キャンディ』の女児向け玩具は爆発的ヒットします。
ポピーは『仮面ライダー』『マジンガーZ』が作った男児玩具に加え、女児玩具でも市場を確立しました。
大ヒットした少女大河アニメ『キャンディ・キャンディ』は、1979年2月まで2年4か月続き、全115話で終了します。
13. テレビ版権営業部創設
1975年10月、東映はテレビのマーチャンダイジングに関わる営業を強化するため、テレビ事業部の関連事業室をテレビ版権営業部に発展的に改組、渡邊亮徳が部長を兼務しました。
テレビ版権営業部では商品化権に関する業務の他、原盤制作、出版、テレビ映画に関連した各種事業の企画開発などを担当します。
14. 巨大ロボットアニメと玩具の拡大
『マジンガーZ』『ゲッターロボ』などフジテレビ巨大ロボットアニメシリーズの大ヒットに対抗し、1975年10月、NETも東映動画制作で永井豪・安田達矢とダイナミックプロ原作『鋼鉄ジーグ』(1975/10/5~1976/8/29)の放映を開始しました。
メインスポンサーはポピーに対抗するタカラ(現タカラトミー)で、タカラがポピーの「超合金」に対抗して開発した、マグネットの磁力で身体のパーツを自在に組み替えて遊べる「マグネモ」フィギュアが人気を集めます。
視聴率的には今一つでしたが、玩具の売り上げが好調だったことで放送を延長しました。
そして『鋼鉄ジーグ』の終了後も『マグネロボ ガ★キーン』(1976/9/5~1977/6/26)、『超人戦隊バラタック』(1977/7/3~1978/3/26)と続きます。
一方、フジテレビでは大ヒットした『ゲッターロボG』(1975/5/15~1976/3/25)の後継番組として東映動画初のオリジナルロボットアニメ『大空魔竜ガイキング』(1976/4/1~1977/1/27)が始まりました。
恐竜型移動要塞「大空魔竜」の3つのパーツが合体して誕生する超巨大ロボット「ガイキング」の奇抜なデザインは、子供たちにインパクトを与えます。
また、大人気『UFOロボ グレンダイザー』(1975/10/5~1977/2/27)の後番組として東映動画が引き続き制作した松本零士原作巨大ロボットアニメ『惑星ロボ ダンガードA』(1977/3/6~1978/3/26)も人気を集めました。
変形ロボット玩具「ダンガードA」の1977年度売り上げは「マジンガーZ」を越える27億円という大ヒットを記録します。
ブームの中、東映動画制作の巨大ロボットアニメは『大空魔竜ガイキング』と『惑星ロボ ダンガードA』で終了しました。
15. 東映テレビ事業部製作巨大ロボットアニメ「長浜ロマンロボシリーズ」
1976年4月、東映テレビ事業部は、渡邊亮徳の指示でNET、東映エージエンシ-と共同製作した巨大ロボットアニメ『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976/4/17~1977/5/28)の放映が始まります。
八手三郎の名で企画し『勇者ライディーン』の東北新社・創映社(現サンライズ)に制作を委託したこの作品は、東映動画制作の『UFOロボ グレンダイザー』『鋼鉄ジーグ』『大空魔竜ガイキング』についで今シーズン4作目となる巨大ロボットアニメで、東映テレビ事業部が初めて東映動画以外で製作するテレビアニメでした。
長浜忠夫が総監督を務めた巨大ロボットアニメは、後にアニメファンの間で「長浜ロマンロボシリーズ」と名づけられ、『超電磁ロボ コン・バトラーV』はその第1作と呼ばれます。
5機のバトルマシンが合体して完成する巨大ロボットコン・バトラーVは、現実的な合体が可能となった初めてのロボットで、長浜のこだわりもありポピーが苦労した末に完成した玩具は大ヒットしました。
続く第2作『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(1977/6/4~1978/3/25)、第3作『闘将ダイモス』(1978/4/1~1979/1/27)も熱いファンの支持を集め人気も高く、高額の超合金玩具がヒットします。
『超電磁マシーン ボルテスV』はフィリピンに輸出され国民的ヒット作となりました。
2023年にはフィリピンにて『ボルテスV:レガシー』(2023/5/8~9/8 全97話)というタイトルで実写特撮ドラマとしてリメイク、GMAネットワークで放送されます。
長浜ロマンシリーズに登場する美形キャラと大河ドラマのような人間劇はその後の巨大ロボットアニメに大きな影響を与えました。
16.東映芸能ビデオ誕生、今田・渡邊、副社長就任
1977年8月末、東映芸能が東映ビデオを吸収合併する形で東映芸能ビデオ株式会社が誕生します。
岡田茂が社長に、副社長には今田智憲と渡邊亮徳が就任しました。
この会社を通じ東映動画の今田と東映テレビの渡邊、2人の連携が強化されます。
東映の映画、テレビドラマ、東映動画のアニメ、東映芸能ビデオのビデオとイベント。東映グループのメディアミックスが進んで行きました。
17.松本零士「宇宙SFアニメ」の大ヒット
1977年8月、『宇宙戦艦ヤマト』が東映洋画部配給で劇場公開され、SF宇宙アニメの大ブームを呼びます。
そのため『マジンガーZ』から始まったフジテレビ系日曜19時枠での東映動画制作巨大ロボットアニメは『惑星ロボ ダンガードA』で終了し、次の番組はブームで盛り上がる松本原作のSF宇宙アニメ『SF西遊記スタージンガー』(1978/4/2~1979/8/26)に替わりました。
また、1978年3月14日からテレビ朝日系火曜19時枠にて、東映動画が制作した松本零士原作『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978/3/14~1979/2/13)の放映が始まります。
9月には、少年画報社『少年キング』連載中の松本零士原作『銀河鉄道999』(1978/9/14~ 1981/3/26)の放映が、フジテレビ系にてスタートしました。
SLの懐かしさと宇宙へのSFロマンが融合したこのアニメは、1981年3月まで全113話 + テレビスペシャル3話の計116話も続く大ブームとなります。
18. 東映特撮巨大ロボのはじまりと定番化
1977年3月、『惑星ロボ ダンガードA』『マグネロボ ガ・キーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』と3作の東映テレビ部製作巨大ロボットアニメが放映される中、『ジャイアントロボ』以来の東映巨大ロボット特撮『大鉄人17(ワンセブン)』(1977/3/18~11/11 全35話)がMBS・TBS系金曜19時からスタートしました。

©石森プロ・東映
1977年11月、東映取締役テレビ事業部長の渡邊亮徳はマーベル・コミックス・グループ社長James Galton(ジェームズ・ゴートン)と3年間にわたるキャラクターライセンス使用契約を締結します。
この契約に基づき、翌1978年5月から東京12チャンネルの水曜19時30分枠で東映版『スパイダーマン』(1978/5/17~1979/3/14)の放映が始まりました。
東京12チャンネルの水曜19時30分枠は、1976年4月の『忍者キャプター』(1976/4/7~1977/1/26)から『快傑ズバット』(1977/2/2~9/28)まで東映エージエンシー窓口の東映特撮作品が続いており、ポピーがメインスポンサーのこの作品の中で、スパイダーマンが操縦する宇宙戦闘艦が変形して完成する巨大ロボット「レオパルドン」が登場します。
東映版『スパイダーマン』は、東京12チャンネルで上位となる平均14%の高視聴率を獲得、超合金を始めとするトイフィギュアも大ヒットしました。
1979年2月、テレビ朝日系土曜18時枠にて、東映製作巨大ロボットアニメ『闘将ダイモス』の後番組として「スーパー戦隊シリーズ」第3作『バトルフィーバーJ』が始まります。
この作品は、『スパイダーマン』同様マーベル提携作品で、原作がこれまでの石森章太郎から八手三郎に替わり、当初『秘密戦隊ゴレンジャー』以来のチーフプロデューサーだった平山亨が企画骨子を作りましたが初期段階で降板しました。
吉川進と折田至が引き継ぎ、この作品以降吉川が「スーパー戦隊シリーズ」のチーフプロデューサーとして活躍して行きます。
『スパイダーマン』に登場した巨大ロボット「レオパルドン」のヒットを受け、第5話から登場した「スーパー戦隊シリーズ」初登場の巨大ロボット「バトルフィーバーロボ」は子供たちの人気を集め、フィギュアや巨大母艦など玩具が大ブレイクしました。
続く第4作『電子戦隊デンジマン』(1980/2/2~1981/1/31)もマーベルとの提携作品でしたが、第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』で使用された「戦隊」が番組タイトルに使用され、以降のタイトルの定番形式となったことで「戦隊シリーズ」と呼ばれるようになります。
戦闘母艦「デンジタイガー」から発進する巨大戦闘機「デンジファイター」が変形して完成する「ダイデンジン」は、戦隊初の巨大変形ロボでした。
1981年2月、第5作マーベル提携『太陽戦隊サンバルカン』ではチーフの吉川進に加えて新たに鈴木武幸(後に東映専務取締役就任)がプロデューサーとして参加します。
バルイーグルが操縦する大型戦闘機「コズモバルカン」とバルシャークとバルパンサーが操縦する重戦車「ブルバルカン」が合体して誕生する巨大ロボット「サンバルカンロボ」は、「スーパー戦隊シリーズ」初の合体ロボットとなりました。
この後、東映の巨大合体ロボットは「スーパー戦隊シリーズ」で定番化します。
「スーパー戦隊シリーズ」
19. 東映テレビ事業部製作巨大ロボットアニメシリーズ
東映テレビ事業部は、東京12チャンネル系水曜19時30分枠にて、東映実写版『スパイダーマン』(1978/5/17~1979/3/14)、後番組、長浜ロマンロボシリーズ最終作日本サンライズ制作アニメ『未来ロボ ダルタニアス』(1979/3/21~1980/3/5)と巨大ロボット登場作品を続けて製作しました。
この後も、
『宇宙大帝ゴッドシグマ』(1980/3/19~1981/2/25)
『百獣王ゴライオン』(1981/3/4~1982/2/24)
『機甲艦隊ダイラガーXV(フィフティーン)』(1982/3/3~1983/3/23)
『光速電神アルベガス』(1983/3/30~1984/2/8)
と、枠が変わりながらも巨大ロボットアニメが1984年まで続きます。
その中でも、『百獣王ゴライオン』『機甲艦隊ダイラガーXV』は『ボルトロン』というタイトルで再編集され全米で大ヒットしました。
その後スタートした、TBS系日曜17時の『ビデオ戦士レザリオン』(1984/3/4~1985/2/3)で、9シリーズ続いた東映テレビ事業部製作巨大ロボットアニメが終了します。
この作品をもって東映及び東映動画は巨大ロボットアニメから撤退し、日本の巨大ロボットアニメ制作は「機動戦士ガンダムシリーズ」の日本サンライズや『超獣機神ダンクーガ』の葦プロダクションなどが牽引して行きました。
20. 「三大宇宙刑事」ヒット、「東映メタルヒーローシリーズ」の始まり
1982年3月、テレビ朝日金曜19時30分枠『ハロー!サンディベル』の後番組として「仮面ライダー」「スーパー戦隊」に続く第3のヒーロー『宇宙刑事ギャバン』(1982/3/5~1983/2/25)がスタートしました。
「スーパー戦隊シリーズ」の基礎を確立した企画営業第二部次長の吉川進が企画した『宇宙刑事ギャバン』は、平均視聴率14.9%と大ヒットします。
続く『宇宙刑事シャリバン』(1983/3/4~ 1984/2/24)『宇宙刑事シャイダー』(1984/3/2~1985/3/8)も好成績をあげシリーズ化。「仮面ライダーシリーズ」「スーパー戦隊シリーズ」に次ぐ第3の東映実写特撮作品「メタルヒーローシリーズ」が始まりました。
「メタルヒーローシリーズ」
21. 集英社『週刊少年ジャンプ』との連携
1980年2月、集英社『週刊少年ジャンプ』5・6合併号から連載が始まった鳥山明作のギャグマンガ『Dr.スランプ』は、斬新なデザイン、かわいいキャラクター、秀逸なギャグセンスで青少年の人気を集めていました。
東映動画企画部に配属された若手高橋尚子がこの作品のアニメ化を提案し、東映動画社長の今田智憲は企画を進めるべく、渡邊亮徳に集英社の説得を頼みます。
渡辺は旧来の友人である『週刊少年ジャンプ』初代編集長で集英社専務の長野規に初めて仕事でのお願いをすることで、アニメ化を危惧する編集部を説得しました。
そして、1981年4月から水曜19時枠にて『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981/4/8~1986/2/19)というタイトルでフジテレビ系にて放映が始まります。
このアニメは平均視聴率22.7%、最高視聴率36.9%を記録、キャラクター商品も爆発的に売れ大ヒット。ここから東映動画と集英社の長い関係が始まりした。
その後東映動画は、日本テレビ系にてゆでたまご原作『キン肉マン』(1983/4/3~1986/10/1)、フジテレビ系原哲夫画、武論尊原作『北斗の拳』(1984/10/11~1987/3/5)と『週刊少年ジャンプ』の人気作品をアニメ化し大ヒットを連発します。
1986年2月からフジテレビ系で『Dr.スランプ アラレちゃん』の後番組として始まった『ドラゴンボール』(1986/2/26~1989/4/19)も大ヒット。3年強に渡り放映が続き平均視聴率21.2%、最高視聴率29.5%を記録しました。
その後もテレビ朝日系にて車田正美原作『聖闘士星矢』(1986/10/11~1989/4/1)など大ヒット作が続きます。
『聖闘士星矢』はフランスなどヨーロッパでも大ヒットしました。
東映動画と集英社『週刊少年ジャンプ』との連携は東映アニメーションと社名が変わった現在も続いています。
21. 朝日放送ニチアサアニメのはじまりと東映動画TVオリジナル作品
1984年3月、大阪の朝日放送(ABC)との初アニメ作品『とんがり帽子のメモル』(1984/3/3~1985/3/3)の放映がテレビ朝日系土曜19時から始まりました。
この作品は東映動画による社内オリジナル原作の女児向けファンタジーアニメで、10月からは日曜朝8時30分に枠が移り、朝日放送のこの枠はこの2月から放映が始まったオリジナル原作「キミとアイドルプリキュア♪」まで女児向け枠として東映アニメーション制作シリーズが続いています。
22. 東映ビデオオリジナルビデオ製作、大ヒット
1981年に東映動画社長の今田智憲が社長に就任した東映芸能ビデオは、1982年、ビデオソフトの売上が100億円を突破、翌1983年262億円と倍々ゲームで一気に拡大しました。
1983年5月、東映芸能ビデオは経営実態にあわせ東映ビデオに商号変更します。
1984年5月、東映は本社内にビデオ事業部を設置、常務取締役テレビ事業部長の渡邊亮徳がビデオ事業部長を兼務、東映ビデオ取締役事業部長の小黒俊雄がビデオ企画部長に就任しました。
12月、東映東京撮影所の企画者吉田達(とおる)が東映ビデオに異動、企画製作部部長になります。
1985年10月、東映ビデオは、個人向けレンタルビデオ市場に本格的に参入することを決定、11月、初のオリジナルビデオアニメ(OVA)『アモン・サーガ』(大賀俊二監督)の製作を発表。1986年7月19日、2本立てで劇場公開の後、21日からビデオリリースしました。
9月にOVA第3作東映動画制作『湘南爆走族 残された走り屋たち』(吉田聡原作・西沢信孝監督)をリリースすると、レンタル店出荷本数が2万3000本となる大ヒットを記録します。
1987年6月、講談社・スコラと提携し吉田達が企画した初のオリジナル実写ビデオ『ごめんね、Bボーイ』(赤石敏監督・岸本詩代主演)を、翌7月には第2弾として水木しげる原作のオリジナル実写ビデオ『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪奇伝・魔笛 エロイムエッサイム』(小林義明監督・和田求由主演)をレンタルリリースしました。
OVAが好調に推移する中、東映ビデオ副社長渡邊亮徳と取締役ビデオ第一企画製作部ヘッドプロデューサーとなった吉田達は、実写物オリジナルビデオ「東映Vシネマ」の製作に乗り出し、
1989年3月、「東映Vシネマ」第1弾世良公則主演『クライムハンター 怒りの銃弾』(大川俊道監督)をレンタルリリース、大ヒットします。
1989年6月、東映専務渡邊亮徳は東映ビデオ社長に就任しました。
この後、東映ビデオは「東映Vシネマ」や「東映Vアニメ」などオリジナルビデオ作品を次々とリリースして行きます。
23. 東映のメディアミックスとキャラクタービジネスを推進した渡邊亮徳
渡邊亮徳は、大川博、岡田茂、今田智憲の下で、東映のテレビ・ビデオ部門のゼネラルプロデューサーとして、出版社、テレビ局、新聞社などの大手メディア、電通や旭通信社、東急エージェンシー、東映エージエンシ-など広告代理店と連携、東映のテレビ、アニメ、映画、ビデオのメディアミックスを陣頭指揮し強力に推進、また、ポピー・バンダイと協力して東映グループのキャラクタービジネスを確立しました。
1994年6月、渡邊は東映副社長に就任、翌年には東映のビデオ事業とテレビ事業の統括を委嘱されます。
「両方得する”りょうとく”です。」が定番の自己紹介だった渡邊亮徳は、1996年4月副社長を辞任、東映を去りました。