110.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑩千葉真一JACアクション映画 前編」
10.千葉真一、JACアクションスター育成
(1)千葉真一、ジャパン・アクション・クラブ創設
1970年4月、千葉真一は自分とアクションで絡むことができるアクションスター・スタントマンを育成するためジャパン・アクション・クラブ(JAC)を創設しました。そこに、後年独立してジャパン・アクション・エンタープライズを創設した金田治たちが研究生として入所、翌年から始まった『仮面ライダー』などのトランポリンアクションを担当します。
JACは、1973年に東映テレビ部の平山亨が企画したフジテレビ系『ロボット刑事』(1973/4/5~9/27)にて初めて全体のアクションを仕切りました。また、この作品の主役、ロボット刑事のスーツアクターに金田が抜擢されます。
その年11月、千葉はJACを法人化しました。
(2)JACが生んだアクション女優スター志穂美悦子
1972年10月、岡山から上京しJACに入会した塩見悦子は、翌1973年5月公開、東映東京撮影所(東撮)製作・千葉真一主演・鷹森立一監督『ボディーガード牙』にて千葉の妹役渡辺やよいのアクション吹き替えで映画デビューします。
この作品では本名でしたが、当時千葉夫人だった野際陽子が命名した志穂美悦子の芸名にて、この年9月に毎日放送(MBS)・日本教育テレビ(NET)系で放映された東映テレビ・プロダクション制作『現代鬼婆考・殺愛』に主演千葉の妹役で出演しました。
また、10月公開の東撮『ボディガード牙 必殺三角飛び』で今度は吹き替えではない千葉の妹役で共演します。
そして、12月に放映されたNET系『キカイダー01』第30話から変身前のビジンダー・マリ役にてレギュラーに抜擢されました。
① 志穂美悦子主演『女必殺拳シリーズ』
〇第1作 1974年8月公開 東撮『女必殺拳』山口和彦監督
志穂美悦子は、1974年2月公開の京都撮影所(京撮)製作・千葉真一主演・小沢茂弘監督『激突!殺人拳』にて千葉と相対する石橋雅史の妹役で出演します。
この作品での志穂美の華麗なアクション演技は高く評価されました。
その月、東映社長岡田茂のもとに香港支社から、岡田が考えた空手版『緋牡丹博徒』の主演を『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹役を務めたアンジェラ・マオが了解した、との連絡が入ります。
「緋牡丹お竜」を創作した鈴木則文監督を呼んだ岡田は、鈴木と話し合いカンフー版『緋牡丹博徒』主役の名前をブルース・リーとお竜から李紅竜と決めました。
東撮のプロデューサー吉峰甲子夫と高村賢治が担当し、鈴木とともに脚本作りに取り掛かります。
千葉真一から志穂美の出演を依頼された鈴木は、かつて池玲子と杉本美樹のツートップ・スターシステムで東映ポルノ全盛を作り出した経験もあり、重要な役での志穂美の起用を考えました。
そんな折、突然、アンジェラ・マオの出演がキャンセルとなり、志穂美の主演抜擢が決まります。
ただ、鈴木は俊藤浩滋から新たな企画の脚本を頼まれたため、監督はアクションの名手山口和彦に交代しました。
そして、志穂美悦子が少林寺拳法の達人・李紅竜として主演を務めた『女必殺拳』が8月に公開されます。
中島貞夫監督・若山富三郎主演『極道VSまむし』と同時上映されたこの作品はヒットし、シリーズ化しました。
ここに、1972年に引退した藤純子、この年東映を離れた梶芽衣子に次ぐ新たな東映スター女優が誕生します。
〇第2作 1974年12月公開 東撮『女必殺拳 危機一髪』山口和彦監督
志穂美主演李紅竜シリーズ第2作『女必殺拳 危機一髪』は、12月に『脱獄広島殺人囚』(中島貞夫監督・松方弘樹主演)に合わせて公開されました。
ますます拡大する志穂美のアイドル人気とともにこの作品もヒットします。
〇第3作 1975年8月公開 東撮『帰ってきた女必殺拳』山口和彦監督
続く第3作は1975年8月公開、同じく山口和彦監督『帰って来た女必殺拳』。鈴木則文監督・菅原文太主演『トラック野郎 御意見無用』に併映されました。
これまで『女必殺拳シリーズ』の企画を担当してきた高村賢治は『トラック野郎』に回り、この2作は大ヒットします。そして以前ご紹介の通り『トラック野郎』もシリーズ化しました。
〇第4作 1976年5月公開 京撮『女必殺拳』小沢茂弘監督
第4作『女必殺拳』は京撮に移り、企画は松田乗道、監督は小沢茂弘に代わります。
志穂美の設定も日本正武館館長鈴木正文の娘で中川菊という空手の達人役になりました。
この作品には、『帰ってきた女必殺拳』にも出演したJAC所属のミッチー・ラブが重要な役で出演しています。
京都の撮影所長が悪の一味で、撮影所が犯罪者の拠点として描かれ、当時の所内風景が数多く撮影されています。ミッチーも倉庫に監禁されました。
ミッチーは、1977年4月から始まった戦隊シリーズ『ジャッカー電撃隊』でピンク戦士「カレン水木 / ハートクイン」役を演じ人気を集めました。
1976年5月に鈴木則文監督・松方弘樹主演『お祭り野郎 魚河岸の兄弟分』とともに公開されます。
期待通りの成績が上がらず、この作品で『女必殺拳シリーズ』は終了しました。
55歳の小沢茂弘監督はこの映画を最後に東映を離れ、日本正武館の鈴木正文と独立製作プロダクション正武プロを設立します。しかし、映画は作れないまま解散し、その後小沢は易者の道に転身しました。
➁ その他、志穂美悦子主演作
『女必殺拳シリーズ』のヒットで志穂美悦子の人気は急上昇し、シリーズ中にも主演作が次々と製作されます。
〇1975年3月公開 東撮『若い貴族たち 13階段のマキ』内藤誠監督
1975年3月、『番格ロック』でこれまでと異なるスケバン映画を生み出した内藤誠が監督した志穂美主演『若い貴族たち 13階段のマキ』が、中島貞夫監督・菅原文太主演『まむしと青大将』とともに公開されました。
この作品で志穂美は不良グループのボス役となり、空手を使って悪党暴力団組長と闘います。
これまでの東映スケバン映画の伝統を引き継ぎながらも、志穂美の本格的空手アクションの要素が加わったニュースケバン映画が誕生しました。
〇1975年4月公開 東撮『華麗なる追跡』鈴木則文監督
翌4月には、続けて鈴木則文監督による志穂美主演作『華麗なる追跡』と深作欣二監督・菅原文太主演『県警対組織暴力』が公開されます。
2月に公開された千葉主演『少林寺拳法』を監督した鈴木は、志穂美にアクションのみならず女優として大成する可能性を感じており、この作品で御大片岡千恵蔵が演じて大ヒットした多羅尾伴内七変化を再現させます。
後に、鈴木は小林旭主演で『多羅尾伴内』を復活させました。
〇1976年1月公開 東撮『必殺女拳士』小平裕監督
1976年1月、続く志穂美の主演作、東撮の若手監督小平裕による『必殺女拳士』が中島貞夫監督・松方弘樹主演『実録外伝 大阪電撃作戦』と同時公開されました。
この作品に主演の後、JACを中心に様々な映画やテレビ作品に出演した志穂美は、1985年にJACから独立、個人事務所を設立し、角川春樹事務所創立10周年記念映画井筒和幸監督『二代目はクリスチャン』に主演します。
東宝が配給したこの映画は大ヒット、志穂美悦子の代表作となり、その後1987年8月に歌手の長渕剛と結婚し、芸能界を引退しました。
次回は、志穂美悦子に続いて誕生した真田広之などJACのスターたちをご紹介いたします。
トップ写真:『女必殺拳』主演:志穂美悦子