123.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第10節「1980年代東映配給香港映画」
1.東映配給ジャッキー・チェン主演映画大ヒット
1970年代中盤、東映は香港ゴールデン・ハーベスト(G・H)社製作のブルース・リー主演映画を配給し、日本におけるカンフー映画ブームの一翼を担いました。
その後東映はカンフー映画の輸入ばかりでなく、千葉真一主演空手映画などの輸出を通じ、香港映画界と密接な関係を築きます。
そして、1970年代の終わりに新たなカンフースターを見出しました。
①1979年7月東映公開『ドランクモンキー 酔拳』(ユアン・ウー・ピン監督)
1979年7月、東映は、洋画配給部が購入したジャッキー・チェン主演の思遠影業(シーゾナル・フィルム社)製作『ドランクモンキー 酔拳』(香港1978年10月思遠影業配給:ユアン・ウー・ピン監督)を新宿東急など3館にて先行ロードショー公開します。
この映画は、1978年3月、香港にて大ヒットしたジャッキー主演『蛇拳』(香港1978年3月思遠影業配給:ユアン・ウー・ピン監督)に続き10月に公開され大当たりした作品で、この2作の大ヒットでジャッキーは一躍香港の人気スターとなっていました。
しかしこの情報はまだ日本では知られておらず、いち早くその噂を耳にした東映営業部長兼洋画配給部長の鈴木常承は、早速日本での配給権を得るべく来日中のプロデューサーウン・シー・ユアン(呉思遠)と交渉、1979年1月にこのジャッキー主演映画を購入します。
東映洋画配給部はこの頃、大ヒットしたアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト』に続く『銀河鉄道999』の公開を控え盛り上がっていました。
8月4日に東映系にて『トラック野郎 熱風5000キロ』と2本立て全国公開されると大ヒット、配給収入(配収)10億5000万円を記録します。
ここにブルース・リーに続くカンフースタージャッキー・チェン(成龍)が日本初登場しました。
②1979年11月公開『スネーキーモンキー 蛇拳』(ユアン・ウー・ピン監督)
この大ヒットを受け東映は、8月末にすぐさまシーゾナル・フィルム社と『酔拳』の姉妹作『蛇拳』の配給契約を結び、『スネーキーモンキー 蛇拳』というタイトルにて、11月、松田優作主演『処刑遊戯』とともに全国公開します。
『スネーキーモンキー 蛇拳』もヒット、ジャッキー人気は日本でもますます高まりました。
しかし、香港では、ジャッキー・チェンが主演デビュー以来所属していたロー・ウェイ(羅維)プロダクションから離れ、新たにレイモンド・チョウ率いるゴールデン・ハーベスト(G・H)社と契約する話が進んでいました。
色々とありましたが契約が締結された結果、ジャッキーが主演する新作映画の日本での興行は、G・H社と提携していた東宝東和がすべて配給することになります。
これに対し東映は、ロー・ウェイがこれまでに製作したジャッキー・チェン主演映画の日本での配給契約を次々と結び、東宝東和の新作に先立ち公開して行きました。
③1980年4月公開『クレージーモンキー 笑拳』(ジャッキー・チェン監督)
1980年4月、東映はジャッキーの日本公開3作目『クレージーモンキー 笑拳』(香港1979年2月羅維影業配給:ジャッキー・チェン監督)を、舘ひろし主演『薔薇の標的』(村川透監督)と2本立てで全国公開します。
この作品はジャッキー離脱前、ロー・ウェイとジャッキーが話し合いジャッキーの個人プロダクションとなった豊年影業(グッドイヤー・ムービー)が製作、ジャッキー自ら初監督、主演した映画でした。
『蛇拳』の契約に先立つ1979年3月に羅維影業及び豊年影業と契約していた東映は、『酔拳』『蛇拳』に続く『モンキーシリーズ』第3弾『クレージーモンキー 笑拳』として売り出します。
4月に公開したこの映画もヒットしました。
以後東映が配給したジャッキー・チェン主演作品
④1980年6月公開『拳精』(ロー・ウェイ監督)
同時公開作品:『不良少年』(後藤幸一監督・金田健一主演)
1980年9月、ジャッキー・チェンのハリウッド進出第1作、G・H社とワーナーブラザーズ社の提携作品『バトルクリーク・ブロー』(ロバート・クローズ監督)が東宝東和の配給で日本公開されました。
⑤1981年2月公開『少林寺木人拳』(チェン・チーホワ、ロー・ウェイ監督)
同時公開作品:『太陽のきずあと』(曽根中生監督・金田賢一主演)
1981年3月、東宝東和配給でG・H社でのジャッキー・チェン初主演作『ヤングマスター 師弟出馬』(ジャッキー・チェン監督)が全国公開されました。
⑥1982年2月『龍拳』(ロー・ウェイ監督)
同時公開作品:『忍者武芸帖 百地三太夫(再映)』(鈴木則文監督・真田広之主演)
千葉真一率いるジャパン・アクション・クラブ(JAC)の若手アクションスター真田広之は、ウー・スーユエン(呉思遠)の思遠影業(シーゾナル・フィルム社)製作の『龍の忍者』(ユアン・ケイ監督)に主演。初の海外進出を果たします。
台湾でのロケ撮影が行われ、撮影見学ツアーには日本から多くの広之ファンが詰めかけました。
日本では1982年4月、東映の配給でひかる一平主演『胸騒ぎの放課後』(石山昭信監督)と同時公開されました。
⑦1983年2月『蛇鶴八拳』(ローウェイ製作・チェン・チーホワ監督)
同時公開作品:『龍の忍者(再映)』(ユアン・ケイ監督・真田広之主演)
⑧1983年8月『カンニング・モンキー 天中拳』(ロー・ウェイ製作・チェン・チーホワ監督)
同時公開作品:『伊賀野カバ丸』(鈴木則文監督・黒崎輝主演)
配収:10.4億円
1984年1月、横山やすし主演『唐獅子株式会社』(曽根中生監督)の同時上映作品としてジミー・ウォング(王羽)主演のカンフー映画『ドラゴン特攻隊 鉄拳』(シェ・エン・ピン監督)が公開されました。
この映画は、ジャッキーのG・H社移籍に際し尽力したジミー・ウォングが製作、主演した作品で、ジャッキーも準主役で出演しているため、東映はジャッキー推しの宣伝を展開します。
この2本立ては配収7.8億円とヒットしました。
この年2月、ジャッキー・チェンが監督・原案・脚本・武術指導・アクション監督・主題歌を担当したG・H社製作『プロジェクトA』が東宝東和配給で日本公開され、16億円を超える配収を記録する大ヒットとなりました。
⑨1984年5月『成龍拳』(ローウェイ製作・ロー・ウェイ監督)
同時公開作品:『魔女卵』(和泉聖治監督・渡辺祐子主演)
⑩1986年3月『醒拳』(ロー・ウェイ製作総指揮・チェン・チュアン監督)
同時公開作品:アニメ映画『北斗の拳』(芦田豊雄監督・神谷明主演)
配収:8.8億円
東宝東和が配給する新作の大ヒットで日本でのジャッキー・チェン人気が増々拡大する中で、東映が配給した過去作も堅実な数字をあげ、東映営業部の収益に貢献しました。
2.ジャッキーに続く香港カンフー映画のヒット
ジャッキー主演初期映画の主な作品を公開した東映は、ジャッキーとともにカンフースターとしてサモ・ハン・キンポー(洪 金寶)、ユン・ピョウ(元 彪)を売り出します。
①1984年7月公開『五福星』(サモ・ハン・キンポー製作・監督・主演)
1984年7月、東映は黒崎輝主演『コーターローまかりとおる!』(鈴木則文監督)の同時上映作品としてサモ・ハン・キンポーがG・H社にて製作、監督、主演した『五福星』を公開しました。
公開に先立ち、出演したジャッキー・チェン、サモ・ハン・キン・ポー、ユン・ピョウの3人は記者会見を行い、翌日武道館コンサートを開催、映画を盛り上げます。
8月に公開すると、JACファンも詰め掛け配収9億円と大ヒットしました。
②1985年2月、ユン・ピョウ主演『チャンピオン鷹』(ユアン・シャン・チョン監督)
1985年2月、ユン・ピョウ主演『チャンピオン鷹』(ユアン・シャン・チョン監督)が公開され、併映として香港未公開NGカット版付『五福星』が再映されます。
この作品はユン・ピョウ人気でまずまずの堅調な成績となりました。
③1985年8月公開『香港発活劇エクスプレス 大福星』(サモ・ハン・キンポー監督・主演):『嵩山少林寺』(ホア・サン監督・ファン・タンユー主演)
8月には『五福星』に次ぐサモ・ハン・キンポー主演・監督の福星シリーズ第2弾『香港発活劇エクスプレス 大福星』、ファン・タンユー主演『嵩山少林寺』(ホア・サン監督)を公開します。
この映画もジャッキーとユン・ピョウを前面にPRしましたが、配収6.5億円と『五福星』の勢いには届きませんでした。
この後東映は、以下4作品の公開をもってカンフー映画の配給を休止します。
④1987年2月公開、イェン・センコウ主演台湾映画『カンフーキッドー好小子-』(チャン・メイシュン、チュー・イエピン監督)
同時上映:南野陽子主演『スケバン刑事』(田中秀夫監督)
配収:6.3億円
⑤1987年4月公開、ユン・ピョウ主演『蜀山奇傳 天空の剣』(ツイ・ハーク監督)
同時上映:江口洋介主演『湘南爆走族』(山田大樹監督)
⑥1987年12月公開、サモ・ハン・キンポー監督・主演『七福星』
同時上映:舘ひろし、柴田恭兵主演『あぶない刑事』(長谷部安春監督)
配収:15億円
⑦1988年2月公開、ミッシェル・キング主演、真田広之出演『皇家戦士』(デビッド・チャン監督)
同時上映:浅香唯主演『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』(田中秀夫監督)
東映洋画配給部は、香港映画の配給を通じ、ブルース・リーに続くジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ、3人のカンフースターを日本に紹介しカンフーブームを生み出しました。
洋画配給部門の責任者だった鈴木常承は社内報『とうえい』にて「映画商売は出会い」というタイトルで、西崎義展、角川春樹、呉思遠、3人のプロデューサーとの出会いについて語っています。