陰陽論12精神の発生6

魂魄について、少し続きます。これを理解することは、伝統医学による臨床上でも、かなり重要な意義を持つと私は考えています。

生きている人間の魂がどこにあるかは、五蔵の肝にあると、この巻でも他の巻でも記されています。肝が担当しているというようなことです。ただし、今の医学でいう肝臓とは全く違います。その辺のことは、他の説明でも何度もしなければならなくなるでしょうが、とにかく「名前が同じで全然違うもの」くらいに考えた方が良いです。なお、伝統医学では臓ではなく、蔵の字を使うことが多いです。

臓器の名前は、杉田玄白がオランダ語を翻訳するときに、漢方で使われている言葉を当てはめました。それは、ある意味では当然でした。古代chinaでは解剖をした形跡があります。肺も、心臓も肝臓も腎臓もモノとして認識して記述しています。なので現実と重なっていることも多いのですが、それは当時の科学力でたまたま理解できた範囲でしかありません。

肝(伝統医学)の働きは、肝臓(現代医学)の機能の一部と、他の様々な部位の機能の一部を合わせたものになります。

だから、とりあえず現代の肝臓のことは一旦忘れたフリをした方が早いかもしれません。ここでは、他の記述とあわせて、魂の在り処である肝が何かを考えていきましょう。

肝の字ですが、左側はご存知の肉月で身体を、表していますね。右は戦闘で使う盾の形を表していると考えられています。魂は無機物や植物には無く、動物にしかありません。自らを守ろうとする能動的な力です。魄も身体全体や細胞を囲うことで個体の形を維持していますが、それだけでは植物と同じです。自らを守るために戦おうとするのは魂の役目なのです。




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