タオルはなぜ白い?
「いやぁ子ども三人もおってたいへんですわぁ、いや可愛いんですけどね!」
「うちは子ども欲しくないんですよ。」
という会話はなぜかあまり交わされない。
いまの日本での回答例はおそらく以下のようなものである。
「いやぁ子ども三人もおってたいへんですわぁ、いや可愛いんですけどね」
「可愛いでしょうね!こどもは本当に好きなんですけどね、自分達はイメージ”まだ”わいてなくて」
そりゃそうなんだ、誰にとっても「子ども欲しくない」「子どもいらない」という言葉が少しキツく聞こえてしまう、特に相手が子を持つ親なら尚更。
だから上に述べたように、けっこう明るい感じで、子供は好きだと前置きをした上で、やんわりと自分達の「選択」を伝える、のが常套手段。
タオルはなぜ白い?
どうして彼らの「選択」はこのような形で伝えることしか事実上できないのだろう。
「僕たちは、好きで一緒になったこの2人で、この社会を、コミュニティーを思う存分生きていきたい」と夫婦が思い、決定し(いや未来にわたって決定はする必要ないのか!)、大切にしている選択を、もっとカジュアルに話し伝えることができたら素敵じゃないかな。誰を相手にしても。自分の親も、子供がいる友人にも、近所の住人にも!!
エビスにする、キリンにする?、私たちハイブリッド車を買ったよ〜、というくらいの普通の会話のトーンで。
ここ何年かで「ノンアル」という言葉が市井に大いに広まった。世界にニーズがあり、ビール会社によって商品が開発され、広告が大々的にうたれ、スーパーにずらりとならび、ぼくが飲んでいる。嘘でした、今は缶チューハイをのんでいます。
そんな感じで、これから考える言葉が、夫婦の選択を表明するその言葉が世界に広まって行けばいいのに。けどその言葉は「ノン〇〇」ではないんだ。彼らの選択した文化的な営みは決して「〇〇ではない」という否定の接頭語を必要としていないはず。
もしよかったら、これを読んだみんなに考えてもらいたいんや。その言葉を。
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