それは中毒とおなじ
「今」その目の前の楽しみのなかに、思いっきり息をすること、、、体験Y。
それに対して、何かをつくりあげたいという欲求。音楽、文章、、、表現X。
その二つがどうやら、ゆっくりとゆっくりと乖離していっていることに、コヤノと一年ぶりくらいに長電話して気づいてしまった。
大陸が割れて離れていくように。
そしてその距離が生み出しているのはただの苦痛かもしんれません。
超簡単に言うと「なにもつくれていない」という気持ちのせいで、今夜のご飯、まずくなっていないですか?ということ。
僕たちはアマチュアだ。本気でアマチュア。
だけどToDoListの最上位に「執筆」「作曲」なんていうタスクが20年にわたってずっと居座ったまま消えない、ずっと消化不良のまま。目にするたびに「やらなきゃ」ってずっと思う、思い続けてる。
「その(書きたいという)欲求がなかったら、あの頃登った山はもっと美しかったんだろうな」と彼は言う。こんなことをしてていいのか?楽しんでる時間は与えられてるのか?って狼狽しながら尾根を踏む。
泣く子の手を引きながら縁日をあるくように。いまは楽しい時間だよ?って手を引かれて泣いているのは私やん。
「ぼくはやはり何か書けてからじゃないと君には会えない」とも、彼は言った。
なんで!?けど、その気持ちたぶん全員知ってる。けど、穏やかじゃないんだよ、それじゃあ、だって「楽しくない」んだもの。あれ?
「もう表現(X)辞めませんか?二人で約束しようよ、せーので。すんごく楽になれると思うし、もっといっぱい楽しいことできるんだよ!」
「今日じゃない気がする。期限を決めますか?50歳は?」
「・・・」
「40歳は?」
「・・・この期限っての、僕らのことやから20代の最後とかに絶対すでに定めてるはずじゃない?」
「したかもな。けど覚えてないや。」
「じゃあこの期限もまた忘れちゃうよ」
「・・・」
「・・・」
「結局おれたちなめてたんだよ、主題なんかなくても作品をつくれるって本気で思ってたろ」
「思ってますよ」
だからぼくはパッチベイズに帰ってきた。
仲間を連れて。
そう中毒とおなじ。