ありがとう
あなたは毎朝、家族に、おはようと声をかけているだろうか。
職場や学校などの公の場であいさつをしていても、家族にはどうだろう。
返事をしない夫。声をかけるなりグチが返ってくる妻。反応しない子ども。
どうせ返事なんか返ってこないんだから、あいさつなんかしたって意味がない、なんて思っていないだろうか。反応がないのに自分だけあいさつするのは、バカらしいだろうか。
リアクションがないのに続けるのは、確かに難しいのかもしれない。
では、あなたは、なぜあいさつをするのだろう。
「お互いに」あいさつしたほうが雰囲気がよくなるから?
あいさつしましょうって、学校で先生に言われたから?
大人なのにあいさつひとつできない、と批判されるから?
あいさつしないと、子どものお手本にならないから?
あいさつは、「すべき」だから?
「知らんぷりして通り過ぎちゃえばいいのに、わざわざ私の背中から大きな声であいさつしてくれたのよ。それも結構遠くから、ニコニコして。わたし、それが嬉しくって嬉しくて。」
お向かいのEさんから、こう褒められたのは、当時中学生だった娘のことだった。
「みんな、こんなおばあちゃんなんか知らんぷりしていくのに。あいさつなんか面倒臭いわよねえ。いったい、どういう躾をするとあんな気持ちのいい子に育つのかしら。」
躾など、していなかった。していたのは娘への毎日のプレゼントだ。
おはよう、ありがとう、ごめんね、気分はどう、いってらっしゃい、おかえり。。。。。。
あいさつは、ことばは、相手へのプレゼント。
あなたのこころの在りようを、相手に対して表現するものだ。
たとえ返事がなくても、反応がなくても、あなたのこころのプレゼントを毎日受け取ると、相手はどう思うのだろう。どう、感じるのだろう。
人はこころに幾重にも頑丈なバリアを張る。
批判され、比較され、批評され、区別され、無視され、裁かれ、理解してもらえない毎日からこころを守るためだ。温かくて柔らかくて傷つきやすいこころを守らなければならないからだ。
しかし、そのバリアは同時に心地よいものも跳ね返してしまう。
だから、毎日毎日一日も欠かさず、くっついたバリアを一枚一枚丁寧に、プレゼントで剥がしてゆく必要があるのだ。プレゼントされまくったこころは、温かくて柔らかいまま活き活きと溌溂と満ちてゆく。
いつも家族からのプレゼントでこころの満ちていた娘は、おばあちゃんに笑顔とあいさつのプレゼントがしたかったのだろう。
娘は、きっと、プレゼントをあげられる人、そういう人で在りたいのだ。
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