二次会
我が家では、よく二次会が催される。
夕食が終わり、後片付けをしたら二次会に突入だ。我が家にとってこの二次会は、家族のこころを整えるとっても大事な時間である。
今日あったこと、可笑しかったこと、愉快だったこと、腹がたったこと、感動したことなど、感じたこと、これからやりたいこと、聴いてほしい事、練っている考えやアイディアなどを夫婦で、親子で、家族で語り合う。へえ~、うんうん、面白いね、すごいね、わかるわかる、云える、それな~、などと互いに相づちを打ち、聴きあう。話に花が咲き、深夜に及ぶことも少なくない。
興味深いのは、夫婦の真剣な話題のときにも、子どもたちが席を外さないことだ。子どもにとっては少し難しいんじゃないかなあと思う話でも、席を外さずに聴いている。ある事象についての意見の相違、感じたことの違いを逃げることなく、夫婦で真剣に語り合い聴きあう。そんな親の姿に関心があるのかもしれない。
もしそうだとしたら、それ自体が子どもにとって既に結婚生活のシュミレーションにもなっているのだろう。夫婦の在り方、認め合い方、尊重の仕方、主張の仕方など、夫婦関係に必要不可欠なことを肌で学んでいるにちがいない。社会的な事象の解釈、起きている現象、そしてそれについての分析。そんなことのすり合わせを夫婦でしていると、子どもが大変良く理解していて、親であるぼくたちが驚くほどである。
最近二次会も後半に差し掛かると、子どもたちの助けが必要となることが多くなった。
「おとーさん、それ、さっきも云ってたよ。もう3回目。」
「んん? まじ?」
「大丈夫?もう、酔っぱらっちゃってるんじゃない?」
「ナニおゆう。オレは酔っパラってなんかいにゃい。その証拠に~い、ぃ酔ってません!」
「あーはじまったよ、もう。」
「なあにが、はじまったってゆうんだ。何べんでも云っちゃったらったって、いぃ、ぃい~ぢゃないかってんだ、んんん?」
「わかったわかった。ほらほら、こぼしてるヨ。」
年々年を重ね、衰え、老いてゆく親の姿。
まことにだらしがないですなあ。
でも、それもまた愉悦の時間であったりもする。人は生まれてから真っ直ぐ死に向かって歩んでいく。だから、老いとは人生そのものなのだ。きっと、二次会で子どもたちは大切なことを感じ取ってくれているだと、信じたいものである。