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何もしないことをしに行こう

夫婦二人共会社員として働く我が家は、以前学童保育にお世話になっていた。NPO法人となっていて、預けている保護者自身が運営する。その学童保育の運営責任者である保護者会会長に、何の間違いか就任してしまった事がある。
ぼくを会長にするとは、当時の保護者の皆さんは相当肝っ玉が座っていたのにちがいない。




学童保育には、創設に携わった歴代のツワモノ保護者が築き上げた年間行事がある。年間行事は、新入生歓迎会、春バザー、夏キャンプ、冬バザー、冬キャンプなどなど。およそ四半期ごとにみっちり存在する。そしてそのそれぞれに保護者の実行委員会立ち上げ、実施に向けて詰めていくのだ。




年間行事のなかで、皆が特に楽しみにしていたのが夏キャンプだった。娘が学童保育に入所してから既に2回夏キャンプに参加したのだが、実はぼくは不満を抱えていた。キャンプのスケジュールに大人が用意した遊びの予定が満載だったのだ。川遊び、魚の手づかみ、野菜摘み、ローラーコースター、星空鑑賞、おばけ大会、キャンプファイヤーなどなど、次からつぎへと予定をこなしてゆく。実行委員会で大人がみっちり準備をして与えた遊びを子どもが楽しむ。な~んか、おかしい。




大人が「準備して与えた」遊びは、本当に子どもの成長の助けになるんだろうか。普段から与えられた予定と課題をこなすので精一杯な子どもたちに必要なのは、持て余すほどの暇と、遊びつくせないほどの自然じゃないだろうか。何もないところから遊びを自分で創り出す力こそ、子どもたちに養ってほしいモノなんだけど。




会長に就任してみたら、実は年間予算の中で夏キャンプが大きな負担になっているという。なあんだ、それじゃ決まり。キャンプの豪華な遊びの予定を大幅に減らしてしまった。携帯電話とゲームをキャンプ場に入った時点で取り上げ、ひたすら自由遊び、ひたすらご飯、ひたすら昼寝、ひたすら暇。ごはんを食べる事以外何も予定がない。あるのは澄んだ空気と森と川と空。大人は安全な環境だけを整えひたすら見守る。口を挟まない。




例年、興奮した子どもがなかなか寝ないことが問題視されていた学童キャンプ。しかしその年、子どもたちが深夜キャンプ場をうろつくことはなかった。自らが考えた遊びを朝から晩まで知力体力の限りに楽しみまくったら、グッスリ眠れるに決まっているのだ。夢中になって遊んだら、余力など残っているわけはない。




キャンプが終わり、翌週役員会でお金の収支を合わせた。何もしないキャンプは、例年に比べ6割程度の費用で済んだ。更に子どもたち同士の関係性がより深くなったと、指導員から報告をいただいた。本来、創造性や自発性社会性などの源でありトライ&エラーの場となるはずの遊び。「与えられた遊びの予定」がなくなった子どもたちは、時間の開放と自然の中で自らを解き放てたのだろう。




ああ、こんなこと書いていたらキャンプに行きたくなっちゃったではないか。週末ランタンの手入れでもして「何もしないことをしに行く」準備をしよう。

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