お弁当
「お母さん、弁当コレ? うおっ、チョーうまそう。」
高校に通う息子に、妻は毎日お弁当をこしらえている。お弁当は大抵どんぶり飯だ。ごはんの上に、これでもか、と肉がのっている。サッカー部に所属する息子は、それこそアホみたいに食うから、お弁当は限りなく大きく、おむすびを何個も追加して持ってゆく。
妻のこしらえるお弁当は、本当においしそうで、娘とふたりで密かに羨んでいる。
なんと、恵まれたヤツであろうか。
そういえば、ぼくも高校生のころ、母にお弁当をこしらえてもらっていた。
母もがっつり会社員として働いていたから、前日の夕飯の残りがメインだった。なんとか旨い弁当にしてほしくて、いくつか提案をしたが手間のかかるものは却下され、ぼくの弁当は海苔弁が基本であった。
ところが、母は、そういう決まりきったコトをするのが大嫌い。栄養のバランスだとか云って、海苔弁の脇にサラダだのフルーツだのをいっしょくたに詰め込むのだ。すると、せっかく醤油を含んだおかかがお米に浸みて良い感じになっているところへ、フルーツの味が混じり、この世のものとは思えない風味となる。更に、昔の弁当箱は今のように密閉性がなかったので、汁がこぼれ包んでいたハンカチが沁みて、カバンの中はいつもつゆだく醤油フルーツ汁風味であった。
そういった数々の不満を、母に愚痴ると、もれなく叱られた。
そんなわがまま云うのだったら、自分でやれ、とおっしゃる。
ごもっともである。
しかし、人間の出来ていない男子高校生。自分でやるワケもない。なんとか母をなだめ、また、お弁当をこしらえてもらうのであるが、カバンの中がつゆだく醤油フルーツ味になるのを防ぐことはできなかった。
カバンとは別にお弁当パックを持っていけば済むことに気づくのは、学生カバンにカビが生え、黒色と緑色のアーミーカラーになってから間もなくのことだ。