31歳になりました。
31歳を迎えた日の朝は3時過ぎに起きた。朝4時からトレッキングに向かうためだ。温泉に入って帰ってきたら夜6時過ぎになっていた。全長25㎞オーバーのルートで9時間くらい山中を歩いたんじゃないかと思う。修行僧のようだ。なにになりたいのかはわからない。たぶん、エネルギーを持て余しているんだと思う。
去年、29歳から30歳になったときは特になにも思わなかったんだけれど、30歳になって1年過ごしてみて、20代と30代はやっぱり結構感覚が違うなと思った。端的に言って悩みが増えた。自覚したと言ってもいいかもしれない。
そんなわけでつらつらと感じていることを書き留めていく。
いつまでこんなことできるんだろう
最近すごく思うようになった。ぼくはいろんなところに行ってみたいという欲望を持っている。けれど、大学生じゃないんだし、数か月の休みなんて気軽に取れるわけじゃない。でも行きたい。
じゃあいっそ海外で働けばいいかって考えなんだけれど、その考えでこれまで来たんだけれど、30歳になってから1年経って、第2次くらいに周囲に結婚ブームが来てるのもあって、例えば今後2~3年ごとに転勤で国ごと変わる、引っ越すとなると、ぼく結婚したいんだけどどこで出会うよ?ついてきてくれる特異な人はいるかね?出産子育てどうするの?って疑問がわく。
なんというか大学生から社会人になって、メンタルとして明日を気にするようになる。オールに躊躇するようになる。翌日の仕事が常に頭の片隅にちらつく。その感覚に似ている。
31歳になって、いつまでこんなこと(シェアハウスに住んだり、気軽に海外旅行に行ったり、海外に住んだり)ができるのかなと思うようになった。
これはこの1年ほぼ働いてないから自分のことを考える時間が十分にあったということもあるし、「結婚はまだいいかなぁ」なんて言っていた友達がシレっと籍を入れてたり、しっかりパートナーいたりして、気づけばまた取り残された気分になっている。
いや現実として取り残されていっている。結婚したり子供ができた友達とは疎遠とはまでは言わないまでも、それまでよりも気軽るに会えなくなっている。
そんなふうに遊びに行ける友達が減っているのも、いつまでこんなことできるんだろうと思う要因でもある。周りがどんどんライフステージが変わっているのに自分は同じところにいるというか。似たようなことを夢に見て10年前と同じことをやろうとしていたりやっている。
これは自分が出世していないとか、キャリアが行き詰まってるだとかもある。自粛が多く、仕事的に動きがない分、不安になっているというのもある。
あと、もうひとつ大きな要因があって、能力ある人(≒国際機関でも継続的にポスト確保できてた人)が40歳を過ぎて拠点を日本にした、帰国したというのを最近聞いて、移動に疲れたとか子育てとかいろいろその人なりの理由があるんだろうけれど、ぼくも同じような道をたどるとすると、ぼくの描くこれからのキャリア(海外を転々としながら仕事する)というのは、あと10年未満ということになる。
ぼくはこれからイギリスの大学院に進学しようと思っているわけだけど、果たしてその1年というぼくの人生の時間と500~600万円というお金は、割に合うのかという疑問がでる。改めて。実際にポストを確保できるかどうかもわからない、ただ修士という資格で挑戦権を与えられるというのは、20代だったら全然問題なかっただろうけど、32歳で卒業して33歳で就職・赴任となると、「もういいじゃないか、よくやったよお前は」みたいな、身の丈に合った生活に戻るべきだという考えが頭をちらつく。
ほんとは、ぼくの興味ある職種的にMBAの方があった方が良い。けれど、ぼくの経歴と資金面で難しいから、まずは開発とビジネスでキャリアを切り開くのが、現状ぼくにとっては最善だと思っているのだけど、後にやっぱりMBAも必要になりそうな雰囲気があって、そうすると、今度は1,000万円くらいのお金と1~2年の人生+無職期間。
今回の留学資金だっていくらかは借りることになる。すると、もうドツボにハマりそうな気しかしない。まだ大学の奨学金の返済も残っているし、今度は大学院分の借金の返済も足されて…ほら、「もういいじゃないか、よくやったよお前は」みたいな、身の丈に合った生活に戻るべきだ、立身出世ではない人生設計を描くべきだと、囁いてくるわけだ。
去年はちらっと、がんばっているんだけどやりたいことができていない状況を、ずっと売れない若手芸人をやっている気分だと書いたけれど、芽が出なかった/運が悪かったと認めて、次の人生へ進む方が、幸せなんじゃないかと。
競争社会に疲れ始めているのかも知れない。最近、Iターンとか、田舎暮らしを始めた人たちが目につくんだけど、お金はそこそこで良いと割り切った決断をした彼らに無意識的に憧れているんだと思う。
27歳くらいの頃に、一度万能感が来て、もう人生で迷うことはないなと思っていたんだけれど、相変わらずいろんなことに悩んでいる。たぶん、これからもずっといろんなことに悩み続けるんだろうと思う。
仏教では「この世は苦である」(一切皆苦=人生は思い通りにならない)という教えから始まるけれど、そういうことかとようやく身を持って感じ始めている。
背伸びはしなくなった
最近、大学生とか20代前半の人たちと話したりする機会があって気づいたことではある。
昔、それこそ大学生とか25歳くらいまでの時は血気盛んで、俺ならもっと上手くやれるはずだって思ってたし、意識高いtweetしたり、えらそーに上から目線で○○はダメだ!って言ってた。
精いっぱい背伸びして、ちょっとでも自分が優秀であるように魅せようと腐心してたし、そうであるように振舞っていた。何者かになりたかったし、ちやほやされたかった。
ちょっと思い返すだけで、ごめんなさいと謝りたい人が多い。ほんとうに申し訳ございませんでした。
いまもその欲がないとは言わない。たぶん、強がったりはしてると思う。負けず嫌いであるし、煩悩は多い。
けれど、かなり謙虚になったように思う。
それは少しばかり実務であったり現場の力学を経験したのが大きい。現場で、課題解決というのは1人の優秀な人がズバッと解決するものではないとちゃんと頭で理解した。
多くの人に協力してもらわないと上手くいかないわけで、それはつまり間接、直接的に人を動かさないといけない。人間はみな合理的に行動、意思決定しているわけではないから、目的を達成するためにはうまく感情をコントロールしてあげないといけない。
目的を達成すればいいんだから、自分が目立つことは必須要素ではないし、場合によっては自己顕示欲が邪魔になる。
この当たり前のことに気づくまでに結構な時間がかかった。ぼくは26歳のときにフリーランスから日系メーカーに転職したんだけれど、組織に入らなかったら、チームで仕事しなければ、目立ってなんぼのフリーのままだと気づけなかったろう。机上の空論だったり、理想論を語ってはいつまでも1人で悦に浸っていたと思う。
実際に自分でいろいろ経験してみて、例えば営業でもできることできないことの場合分けが自然とされる(新規営業は厳しいけど、マーケティングはできるなとか)んだけど、やっぱり主観的には自分のできないことの方が目立つし、デキる人は目についてしまうので、あの人に比べればまだまだだなぁと思ってしまうのだと思う。
実際に自分でやってみることで、脳内の自分の実力と現実の能力の差に気づいたし、できてる人との距離もわりと冷静に推して量ることができるようになったと思う。
これが丸くなったということなのか、良いことなのか悪いことなのかはわからない。けれど、自然と謙虚になった。
故に、自分をガンガン売り込んでいかないといけないジョブインタビューやネットワーキングってめちゃくちゃ苦手だったりするんだけど。
困った困った。