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この国は退屈よ、Yuki。退屈過ぎて死にそう
ー おーい、Yuki!
この国でぼくの名前を呼ぶ人は少ない。若い女の子ともなれば皆無だ。けれど、その呼びかけの声は若かった。
アメリカにUkee Washingtonという黒人アナウンサーがいる。その発音がYukiと非常に良く似ている。そんなことをセントルシアで聞いた。黒人にもYukiと同じ音の名前は結構いるのかもしれない。
そんなこともあって、絶対にぼくに対してではないヘンな自信があった。
結論から言うと、それはぼくに対してだった。
そしてその若い女の子は、以前先輩隊員の学校の授業を見学しに行った時のクラスの1人だったらしい。
そういえばぼくは軽く自己紹介をしていたっけ。
女の子は名前をケイと言った。
その時ぼくはダウンタウンでまな板を探していて、彼女にどこで手に入るか聞いた。
ー さぁ、わかんない。だって私この国の人間じゃないもん
え?どういうこと?他のカリブ諸国から来てるってこと?
たしかにそういうことは十分にあり得る。だって、このカリブ諸国は1つ1つの国の人口が少ないために合同で西インド諸島大学というのを運営していてキャンパスもジャマイカやバルバドスなど各国に散っている。先輩は職業専門学校で働いていたけれど、似たようなものなんだろう思い至る前に
ー ナイジェリアよ
驚いた。アフリカから留学生が来る国だとは。ナイジェリアといえば、ボコ・ハラムやタレントのボビーオロゴンが有名だけれど、人口は2億人に迫るアフリカ最大の経済大国。
ナイジェリアの方が進んでいそうなものだけれど、そういうプログラムがあるのかもしれない。大英帝国時代のつながりかもしれない。
セントビンセントに留学することは決して人気ではないけれど、自分以外にもナイジェリア人は結構来ていると言った。
彼女はここでの食事はナイジェリアのそれと似ているから物価を除けばそれほど苦労していないらしい。羨ましい限りだ。ぼくはもうずいぶん現地料理には手を出していない。完全自炊生活。現地料理は、決して嫌いなわけではないが、気づけば避けている。詳しくはぼくにはわからないが、どうやらそうしなければいけない理由があるらしい。
ケイは自分から話しかけてきたくせに愛想がない。むすっとしている。返答も最低限でそっけない。
気づけばぼくが必死で会話をつなげようとあれこれ質問をしていた。なんだこれ。
それでもぼくは良いチャンスだと思った。ぼくはこの国の娯楽を知らないから。若い人たちがどんな遊びをするのかも興味があった。ぼくを含むこの国のアジア人たちはこの国の娯楽のなさに辟易しているから。
すると、ケイは鼻で笑ってそんなものは存在しないと答えた。まるで宇宙人なんているわけないじゃないとでも言うように。
ー 退屈よ。基本的に家にずっといるしかない。ビーチは嫌いじゃないけど、泳げないから長居はできないし、しない。眺めるだけ。雰囲気を味わうだけね。ナイジェリアの内陸出身だから海は初めて見たわ。ビーチに行ったのは2回、人生でね。
そうか、そんなこともあるか。人生初めての海とビーチ。きっと写真や想像と違っていただろうけれど、それは彼女の人生を変えるほどの衝撃や感動はなかったようだ。左の口角を少し上げて、にやっと笑うだけだった。冷笑的なタイプなのかもしれない。
話のネタのストックが尽きて、手持ち無沙汰になってしまったから適当な理由をつけてサヨナラした。
ケイとはその後も何度か道の反対側から呼びかけあったりする関係が続いたあと、この間ダウンタウンのスーパーへ行く途中でまたばったり会った。
イースター休暇はどうだったと聞くものだから、離島へ行ったりパーティーをしたりしてゆっくりしたよと素直に答えた。
ケイは羨ましいとかそういうことは一切言わず、
ー 私はずっと家にいたわ。ねぇ、ここは退屈よ、Yuki。退屈で死にそう。なんにもやることがないんだもの。おばあちゃんになったみたい。知ってる?5月の末から9月まで私夏休みなの。同じよ、ただ家にいるだけ。基本的にはね。あなたにはこの苦しみがわかるかしら。私がこの国で望む唯一のこと、それはさっさと学校のプログラムを終わらせることよ。そして、カナダに永住して私の望む人生を送るの。
と遠くを見ながら語った。思いもよらないタイミングで少し重めの話が飛び込んできた。なぜ自分の国を出たいと思っているのかは聞けなかった。家族はなんと言っているのかも聞けなかった。まだそのタイミングではない気がしたし、なんとなく事情は察せた。治安もそうだろうし、より良い暮らしを求める経済難民の1人ということだろう。このころにはケイは時折笑顔を見せるようにはなっていたけれど、それでもやっぱりどこか寂し気で孤独だった。満たされない気持ちを常に抱えているように見えた。
ー 看護師は需要あるし、仕事が見つかれば永住できるのよ。私のナイジェリア人の知り合いはね、アメリカにいるの。アメリカの場合は修士をそこで取らないといけないんだけど、でもそれも考えてるのよ。だって、将来子どもができたらバスケをやらせたいから。私のちょっと先の目標ね
ぼくが今まで見てきた中で1番のとびきりの明るさで将来を語った。ほんとはこういう子なんだと思った。とても純粋できれいな目だった。そういえば、意識してなかったけれど彼女は21歳。成人しているとはいえ、まだまだ女の子だ。
ささやかだけど良い夢だなぁと思った。
きっとこれから、特に学位を取った後、カナダで仕事を見つけるまでいろんな困難に遭遇するだろうけれど、悪いニュースもたくさん入ってくるだろうけれど、乗り越えて欲しいなぁと思う。できれば、その純粋さも残したままで。それはきっとケイの魅力になると思うから。
プログラムの終わる12月までまだまだ退屈な時間が果てしなく続くけれど、それでも12月で終わるのだから、それまでに、同じようにささやかな楽しみを自分で見つけて欲しいと思う。でないと、きっとカナダに移住しても退屈だろうから。せっかく大きな決断をしてセントビンセントまでやってきているのだから。
幸福論のフランスの哲学者アランは、
悲観主義は気分だが、楽観主義は意志による
と語った。
だから何だ、うるさいよ、バーカと言われそうだけれど、物事は捉え方次第だと彼女には言いたい。なんだか説教臭いけれど。
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