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なんだって?キューバに行っても良いだって?

4月中頃から協力隊の間で任国外旅行の制限がなくなるらしい、という噂が駆け巡った。(青年海外協力隊は年間20日間に限り派遣国以外の国を旅行できる。有給休暇のようなものだと考えてくれてよい。そしてその渡航先はかなり制限されている。セントビンセントの場合はアメリカ本土、ベリーズ、メキシコなど6か国ほど)

にわかには信じ難かった。だって協力隊の制度って〇◆~§※◇みたいなことが多くまかり通っていて、ぼくは訓練時からΔΘ※@%だと思ってたから。

それで、噂がでる以上いくらかは緩和されるんだろうなぁでもぼくらの派遣中は望めないだろうなと思っていた。なんせお役所仕事だから。

ところが、今年の10月1日から解禁ですよ!という文書が4月末に届いた。

あらゆるケースに対応できるように抽象的に書かれ過ぎていて何言ってるかわからない法律の条文のような内容だった。

確実に言えるのは、先進国は制限なくどこに行っても良い。そして派遣されてる地域も安全基準クリアしてればどこいっても良い、ということだった。

文書を読む限り、キューバは行けないっぽかった。たしかではないけれど、曖昧にどっちともとれるようなことでネガティブ目に表現されてるようにぼくには見えた。

新所長のビンセント行脚

セントビンセントにはJICA事務所がない。隊員総会も隣国のセントルシアに行かねばならない。研修もルシアだった。

だから、アレどういうことなんですかと気軽に事務所に聞きに行けなかったんだけれど、タイミングよく昨日、最近新たに赴任した所長のビンセント行脚でみんなで食事しようという話になった。チャンスだ。

その男、中東帰りにつき…

前の所長は気さくな人で、よく隊員を自宅に読んではパーティーをしていた。ぼくらは研修中の1度しか行けなかったけれど。

それで、今度の人はどんな人だろう?お堅い人なんだろうか?どんな人なのかしっかり見極めないといけない。

6時から夕食会の予定だったけれど、所長たちの前の予定が押して7時過ぎのスタートになった。ぼくらは仕事終わりの4時過ぎくらいから飲んでいたから既に結構でき上っていた。

所長は長年、中東ヨルダンにいた男だった。屈強な男かというと良くも悪くもそんなことはない。前の所長と雰囲気は似ていた。そのへんの飲み屋に普通にいそうなおじさんだった。

同行した調整員も元協力隊@バングラデシュで、メンバー的にか、時期的にかテロの話が多かったように思う。ぼくは出来上がっていてほとんど覚えてない。

スリランカの一件で、スリランカはJICA含め隊員もみんな引き上げたらしい。どんどん爆弾が見つかっていて安全とはとても言えない情勢のようだ。

そうなってくると、隊員はどうするのよ?って話になるんだけれど、しばらく待機だけれど、かなりめんどくさいところで、任期が残り3か月とかなら任期満了にすることもできる。で、任期が残っている人に関しては任地変更を検討していくことになるんだけれど、今回のスリランカの場合、言語はシンハラ語でマイナー言語。スリランカでしか使われていない。つぶしが効かないから、さあどうするということになるらしい。

いやぁ、大変。

その他、こんな公の場では言えない国際機関の話などなど酔いで薄れゆく意識の中でも深く貴重な話を聞くことができた…と思う。覚えてないけど。

キューバ行けます!

最後に、任国外旅行どこでも行けるってアツくないですかと調整員さんが口火を切ってくれた。自分が水を飲んでいるのかカクテルを飲んでいるのかもわからないなかで、そういえばそれを聞かないとわざわざ来た意味がないと、みんないろいろ疑問を聞いていた。ぼくはもう完全に出来上がっていてみんなが何を言ってるかよくわからないくらいだったけれど、

遠くの方でにゅうまはれれすんへふか?という言葉は聞こえた。これは今日計6時間ほどの飲み会で個人的に1番大事なポイントだ。これはキューバは行けるんですかという質問に他ならないからだ。たぶん。

そしてその回答は行けますよ!だって今休暇でSさん(もう1人の調整員さん)行ってますしね。ということだった。

よし!ありがとう。今日の仕事はここで終わり!と思って気づいたら自宅でのベッドで二日酔いの朝を迎えていた。

二日酔いで脈略のない文章になってしまったけれど、いつか行きたいと思っていたキューバがこんなタイミングでチャンスが飛び込んでくるとは思ってもなかったもんだから、なんとか時間をつくって、社会主義とは計画経済とは市場開放とはなんだどういうことだ、というのを自分の目で見てきたい。

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yuki oka
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