男と女の間には〜

閑話休題。なんかLGBTの過激な活動家の事を追っていて思ったこと。

LGBTQ まずレズビアン、女性で女性を愛する方。ゲイ、男性で男性を愛する方。バイセクシャル、男女問わず性的に愛せる方。トランスジェンダー、実際の性別と心の性別が合わない方。クイアー、性自認がゆれ動いて性別のキメラがある方? 何となく漠然とそう言う定義なんだけど。私の中ではね。

ところがトランスジェンダーで性転換したFtoMの方って無理して俺とか言ってるような気がするんだよなあ。今どき「俺はさ〜」なんて言う男性って私の周りにはいないし。私も文章だと「私」と書いたり「トド子」って一人称使うけれど、気の置けない友人と話す時はなんて使うかなあ?ほとんど意識した事も無いけれど。なんとなく相手に対しては○○ちゃん、○○くん、○○さんで、使い分けてるけれど、本当に仲が良い子だと呼び捨てにしてるような気がするなあ。美希とか由佳里とか。

私は学生時代教師のことは○○ちゃんとか呼んでいたような?もちろん他の人がいるときは○○先生と呼ぶけれど。その先生呼びって実はすっごく私は嫌い。大学の時に中学受験予備校で講師のバイトをして先生と呼ばれてたけれど、貴方達と年齢が5歳しか変わらないからトド子ちゃんで良いわって言った記憶。

で話は逸れまくっているけれど、例えば政治家の方にお会いしても、私は苗字で呼ぶ。田中さんとか佐藤さんみたいにね。なんか先生とか安易に呼ぶのも失礼な気がして。だって別に師弟関係ある訳じゃ無いし。

相当相手がご年配だと先生と呼ぶのが一番無難なんだけどね。同級生で世間から先生と呼ばれてる友人にもニックネームで呼んだりするなあ。プライベートな場だと。

で性別の定義に戻るけれど、いわゆる男女の区別で男性脳100%とか女性脳100%なんて絶対に無いよね。私は女性の部分が60%、男性の部分が40%くらいかなあ?と自認してるんだけど。変な話で何かを創作する作業は女性的な感性が大切で、何かを分析するときは男性的な感性でと使い分けているような感じ。パソコンに例えるとメモリーが男性でCPUが女性みたいな。うーん🧐言い方が難しいなあ。私は炊事や洗濯は得意。でも掃除は大嫌い。女性だから炊事が得意なのではなくて、美味しいものをどこかで食べたら再現したいと言う感じかなあ?だからプラモデルとかフィギュア作りも得意。普通女性だと手芸が得意と言う方が多いけれど、私はパテから造形して彩色してと言うのが趣味だったりする。私が全く苦手なのはメカ関係。ああいう立体物をオリジナルで作れる人って真剣に尊敬しちゃうし。普通に車の運転してるだけですごいと思うくらいメカ音痴。私は車の車種とか全く解らない。色でしか識別出来ないんだよね。脳が拒絶するようなくらい無知。だから高校で化学や物理はもう教科書を丸暗記して中間や期末を乗り越えました。理系女子なんてそれだけで尊敬の対象。かと言って文系科目は機械的に暗記すれば良いだけだったし。日本史や世界史、古文、国語、英語なんてほぼ満点が普通だったけれど、あんなもの教科書と副読本全部覚えていたら誰でも出来ると思う。英語は出る単、出る熟を全部覚えていたら語彙を増やすだけだし。

で私的な結論。男と女は性差はあるけれど、100%男とか100%女とかはあり得ないと思う訳。だからLGBTQもいても普通よねって感じるんだよね。ただ、私がとっても嫌だと思うのが、彼ら彼女らの運動がマジョリティ差別にまで達しているところ。なんでマイノリティに配慮して生きなきゃ行けないの?と思う。特にお勉強が出来る社会学者とか法学者の認識って人をカテゴリーで分けてるだけでしょう?いくらでも揺らぎがあるのが人間なのに。そう言う分け方に当てはまらない人もいるし、学問上の言葉に踊らされてるのは馬鹿だと思うのよね。差別と言う魔法の言葉で私を縛っても無駄だよってちょっとだけ言いたい。

極論言うと性器と性器の接触がいわゆる性交であって、その組み合わせがどうだろうとごくごく個人的な事を大袈裟に言わないで欲しい。

誰も他人のケツとか見たく無いし。大袈裟に騒いでる活動家って私のケツを見なさい!とか言ってるんじゃないの?と言う気分。


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