3度目の平和記念朗読会を経て
大木です。
先日のブログに引き続き書かせていただきます。
(心なしかタイトルも似とります)
本日8月6日、七十九度目の広島原爆の日に、鳴門市賀川豊彦記念館にて行われた平和記念朗読会に参加させていただきました。
今年で3回目の参加となりました。
毎回この素晴らしい会にお声かけいただき、心よりありがたく思っております。
※昨年は体調不良者がおり(大木なんですが)直前で不参加となりました。その節は大変ご迷惑をおかけしました。
そういえばtodokeru,を作って一番最初に参加したのがこの会でした。(だったと思う)
そういうtodokeru,にとって大切な会なのですが、今回は大木・そうや・フィンの3人での参加。
とても冴えない面子でしたが、結構頑張りました。というか大変だったというか。
今回は水内喜久雄編著『子どもに伝えたい戦争と平和の詩』という詩集の中から七篇の詩を選んで読ませていただきました。
してその読み稽古を行った際にそうや・フィンに詩を読んでもらったのですが、
何か違うというか足りないというか。
大木は今年46歳なので当然ながら戦時下にいた経験はございません。
しかし沖縄で育ったという事もあり戦後教育は「しっかり」というか「強めに」受けてきていると思います。
※この辺りのニュアンスは沖縄の方ならわかるでしょうか
そんでもって戦後33年目に生まれた者が大木。
そしてそこから約20年後に生まれたのがそうや&フィン
学んできている事や考えている事に大きな乖離を感じました。
「今時の若いもんは戦争の事を知りもしないし考えもしない」的な事が言いたいのではありません。
もし万が一誰かを責めるとすれば、伝えてきてなかった我々の世代だろう、という事です。
伝えられてきた事が伝えていけてない。
「やべーな」位に思ってた事が、
「これは真剣に由々しき事態だな」と
焦りさえ出てきました。
して、目下の焦りは目の前の朗読会。
ご来場者は高齢者の方が多く、当然我々などより戦争を身近に感じて来られた方。その方々を相手に朗読する……
「対応策を」とか考えましたが、シンプルに問題は解決しました。
「詩を理解する」これでした。
2人とも全く何も知らない訳ではないので、しっかりと言葉の意味や状況、情景などをイメージしてもらえたら自ずと見えてくるものがあった様です。
そして、今日。
七篇の詩を交互に読んで参りましたが、途中からハンカチを手に取られる参加者の方がいらっしゃり、読み手の3人が3人とも稽古の時には無かった、何というか……「「詩」の持った言葉の力に引っ張られる」とでもいう様な状態になっていきました。
なんといいましょうか。
「詩」は凄いなと。
戦争を目の当たりにした(またはそういった方に触れて来られた)方々の「言葉」に託した想い。
普段戯曲を執筆する際、言葉を大事にする事が多いのですが、自身、ここまで一つの言葉に思いを託す事があるだろうかと。
3回目の平和記念朗読会にして、一つの大きな気付きでした。
またこれからも、ずっと参加させていただきたいと思っております。
幸いにも「来年もぜひ!」とのお声をいただきました。こちらこそ、ぜひ。
そして、来年からはもっと前がかり的に周りに観覧を勧めていきたいと思います。
いや、勧めていきます。
若い人に繋げていかなければなりません。
88歳で子供の頃に空襲を経験された女性の体験談を今日聞きました。
「体験談」というものは、至極当たり前ですが体験された方しか話せません。
伝聞した者は同じ話は出来ます。
能力があるものは話に抑揚をつけてより上手く話すことも出来るでしょう。
しかし、体験談には何ものもかないません。
そしてそれは、刻一刻と聞く機会が奪われていっているのです。
参加されているおそらく全員が同じ事を危惧されていると思います。
伝え、繋いでいきます。
生きましょう。