フロム・街角・ティル・宇宙
永見です。
『幕間ダイアログ』にて、御茶屋町子という役と、総合美術を務めさせていただきました。
本番が無事終演したことに胸を撫で下ろしつつ、改めまして、本公演にお越しくださったお客様や、ご協力くださった皆々様に心より感謝申し上げます。
さて、わたしからお話しできる一番のことは、やっぱり総合美術のことでしょうか。
はじめて『幕間ダイアログ』という本を読んだとき、知識欲が満ち満ちて輝く春の夜のような、そんな質感や温度感を受け取りました。総合美術の資料には、初めにこんな感じのメモをしています。
"人生が進んでいく爽やかさを出したい"
さて、完全完璧感覚派・永見はここから「どうやってそれをカタチにしていくのか」を考えに考え、たくさん見て、探して、思い出していきました。
色づかいには特にこだわり、舞台美術のみならず、小道具や衣装にまでそれはそれは細かく指定をさせていただきました。(懲りずに付き合ってくれたみんな、ありがとう。)
物語の中で御茶屋さんが言っていたように、わたしも自分の大切だったと思える瞬間は、なぜだか色彩豊かに記憶しています。そんな色を出したかった。
そして、完全な嘘(作り物)になりすぎないようにも気をつけました。この物語をただのフィクションにしたくなかった。これは、作・演出のおーきさんとの初期の打ち合わせからの共通認識でした。
初めて本を読んだ時、わたしはわたしの人生と重ね合わせていたし、それが自分だけじゃないこともわかりました。これはたくさんの人の過去だし、今だし、未来だから、誰しもがそうしてしまうのではないかと思います。
橙山京子も、大桃かんなも、白洲由美も、金城晶も、みんなの知っているところと知らないところで生きている。そう思わせる説得力がありました。そんな作品を、「美術の嘘で固めてしまってはいけない」と念頭に置いてました。それは誰かの大切な瞬間を、陳腐に、粗雑に扱うのと一緒だと思ったからです。
それは、舞台に関わる全ての美術の選定や製作に、大きく影響しました。
また、舞台美術の随所に、映画パロや実在する絵画、人物写真等を盛り込みました。現実の世界に存在するということは、意味合いが必ずついてしまいます。美術的な"お洒落"として消費するだけにならないよう、その辺りのバランスも、おーきさんと話し合いを重ねて選定しました。
作品の解像度を深めることや、役者が登場人物として息衝く一助なっていれば良いのですが……。
すごく観念的なお話になりましたが、実際どんな風に仕上がっていったかは、各担当者さんに無理ない範囲でお任せしようかな。よろしくお願いします。
少しだけ、御茶屋町子のお話もしておきます。「不思議な居酒屋店員」です。おーきさんからは、「お好きなように楽しんで。」とのことで。なのでわたしの中にひとつの正解がありますが、みなさんにもお好きに考察や咀嚼していただければ幸いです。きっとそれも正解です。
色々書きましたが、みんなの目一杯がつくりあげた愛ある公演だったと思います。
まだまだ余韻に浸っていたいのですが、todokeru,は次の公演に向けて歩き出そうとしてるようです。ついていかねば。おーきさんが「いつか、もう少し小さいハコで映画をテーマにした作品に再チャレンジしたい」とも言っていたので、その時もまた一緒につくりたいなあ。客席と近いであろう分、もっと細かくたくさん詰め込みたい。今から楽しみ。それから、今回共演できた人たちとまた同じ舞台に立てるよう、役者力を鍛えておかねばなあ。あとみんなとお花見もしたいなあ。
なんだかわたしの人生まだまだ楽しみがいっぱいだなあ。あの日あの時も美しいけど、これからの未来も宝物だなあ。
ではでは、永見でした。