白い秋、漂う舟。
秋はM-1の季節です。久米です。
大木代表、藤井ソーニャ氏に続く、todokeru,お笑い三人衆のひとりを自負している久米ですが、(お笑い好き、のほうね。決してお笑い担当ではありません。)私にとってM-1といえば秋なのです。
夏から始まった予選も進み、3回戦や準々決勝といったいわば”佳境”に突入するのがほかならぬこの時期。注目の実力派ルーキーやファイナル進出経験のある有名コンビも落選しはじめる季節、それが秋。
結成15年目のラストイヤーで大博打してあえなく敗退したロングコートダディも、「イチウケだがネタがあまりにも反則」との前評判通り大メタコピー漫才を披露し盛大に散っていったラパルフェも、今年ぐらいは秋の季語にして良いのではと思ったりします。
お笑いというのは、思ったよりも、哀愁のある世界です。
この世界を生き抜こうとする大人たちが、目の前の子どもひとり笑わせようとバカをやってたり、がむしゃらに頭使ってたり、そういうところが大好きなのです(たぶんあまりいいファンではないね)。
私はお笑いを、時に実用書のように、時に薬のように鑑賞しています。
なんかウェットな感じで鳥肌ですが、久米は意外とパワー系のお漫才が好きです。
さて、しかしながらお笑いばかり見ているわけにもいきません。
カブフェスin琴平で上演する『ちょうちょむすび』、日々稽古中です。
『ちょうちょむすび』は、同級生の結婚披露宴参列中の女子4人のトークから始まる物語。どこにでもあるような、しかしここにしかない、ハートフルなストーリーです。
同級生4人、まあ喋る喋る喋る。そして結婚披露宴ということで華やかな衣装!todokeru,名物(?)の舞台美術も形になりつつあり、目でも耳でも楽しめるお芝居になっております。
本番まであと約2週間、実のところ久米は昨日今日になってようやく、このお芝居の輪郭というものが見えてきたような気がしています。
不思議です。
台詞覚えも遅くなかったし、先週すでに通し稽古も実施したのですが。
todokeru,で参加した作品において、はじめての感覚です。
最初に戯曲を読んだときの感覚、ファーストインプレッションというのはめちゃくちゃ大事にしたいもので、自分が何に面白さを感じたのか、何に違和感を覚えたのか、登場人物をどんな風に捉えたのか、常に鮮度高く頭の片隅に置いておきたいと思っています。
でも、
演出が加わって、衣装や美術や音響も加わって、
役者たちのお芝居が加わって、
稽古中にどんどん作品の進む方向は変わっていきます。
私たち役者は常に演出の舵取りに身を任せ、5分前まで南へ向かっていたとしても北へと言われれば全力で北を目指す。
私は私生活では比較的プライドの高い人間だと思いますが(なおしたい)、稽古場では基本、空っぽにして乗っかり飛び込める役者でありたいと思っているし、「船頭多くして~」というように一役者が舵取りとかバランス取るみたいなことばかり考えすぎない方がいいと思っています。
ただ一昨日ぐらいまでの私は、方位磁針を失っていたような気がします。
自身の方位磁針片手に立つ船頭から「右に切って」と言われたらそうやろうと努めるんだけど、マイ方位磁針ないからどの方角に向かってるのか不安で不安でうまくハンドルが切れない。なんかおおよそ北方面に行ってるのかな~って感じだけど北北西か北北東かによってどれくらいの深さで右に切るか変わるしなあ、そんな感覚でした。
補足しておくと、これは船頭の責任ではないです。
船頭は残りの行程や私という船員の資質を鑑みてあえて「右」とだけ言っているかもしれませんし、
私が不安であれば船頭に聞いてみたって、ほかの船員と話しあってみたっていいことですからね。
さて、たいして詳しくもない船に例え始めたことを少し後悔してますが、演劇の話に戻します。
今回で言うと、視覚情報が加わったことが私にとってすごく大きな転換点でした。
田代さんによる装置、ほわさんによる美術(装置に使用されているイラストを担当してくださってます)、なぎさんによる衣装、これらが加わって正直戯曲を読んだときのファーストインプレッションからガラッとイメージが変わりました。
イメージが変わったことはとてもポジティブに捉えていたんです。どれも素敵だと思ったし、凄いと思った。モチベーションぐわっと上がりました。実際、みなさんそれぞれ演出の意図を汲んで仕上げたものだと思いますから、私の抱いていたイメージとの乖離というのはまったくもって問題ではなくって、それからの稽古で我々役者たちが芝居を変えながら互いの目線を合わせていけば良いことだと思います。
ただ、戯曲へ対しての自身の解釈、それを私は過信しすぎていたのかもしれません。
日々変わっていく演出に、昨日と違う論理に、
ちょっとパニックを起こしていた。
方向が変わったのは分かるけど、方角がはっきりとは分からないまま乗っかることで強烈な船酔いを感じていた。
船の話が戻ってきてしまった。
多分私は、自身の解釈、それを方位磁針だと思っていた。
めちゃくちゃ誤解だった。
きっと、私の解釈というものも絶望的にズレているわけではないです。
何度も何度も本を読んで考えたこと、稽古場で掴み取った感覚、みんなと夜中まで話し合った役の造形、演出の言葉、毎度毎度される指摘、自分以外の人がされている指摘、それらだって全部ぜんぶ吸い取ってやろう血肉にしてやろうとこれまでも思ってやってきたから。
このくらいのこと特段意識しなくたってやってます。演劇経験も、人生経験も浅い分、人の倍は学ばなきゃやらなきゃって思う、だからやってる、誰の倍かは知らんけど。義務感とかはないけど、生きてたら勝手にやる。し、それが楽しい。
多分それができるのは、向いてるってことなんだと思う。
別に今はまったく上手くないけど、これを続けたとて上手くなれるのか分かんないけど、少なくともこういう生き方には向いてるんだと思う。
それを驕っていた。
ひとつの演劇作品を作るのに、それぞれの方位磁針とかマジ要らなくて、努力してる自負とか才能の自覚とかまっっっっっったく要らなくて、その逆も、無知であることへの引け目とか、他人と比べたコンプレックスとかも、要らない。
なんかそういう当たり前のことを、最近忘れてたなって思います。驕りです。
てか、方位磁針だったら船員がそれぞれ持ってようが全部同じ方向示してるはずだしな。ジャンク品みたいな私物持ってきて「は?俺のが正しいんじゃね?」と言い張るやつは船に乗せないほうがいい。
だから私は、演出の言葉を聞いて、というか信じて、役者たちに本気で身を預け、対話をサボらず、スタッフたちに最上のリスペクトを抱き、刺激をもらって、あと2週間ですか、良いものだけつくります。
いや~~~~今気づいてよかった。
気づかぬままうっかり立ってたらと思うとね、ゾッとしますね。
『ちょうちょむすび』という船に、todokeru,という船に、まだ乗っていたいです。乗らせてもらえる人になろ。
こんなことをね、一昨日の夜中というか朝方ですか、モグライダーの漫才観てたら思いました。
は?
お笑いの見方キショすぎるやろ。
多分お笑いには向いてないな。
良いのです。お芝居に還元しますので。
それでは、すっかり寒くなりもはや去りかけている秋のハイライトでお別れ!
良い秋、ありがとう。
真っ白な気持ちで出直すぞ。
カブフェスきてね。
次回、いよいよ四季ブログ最終回!?
ではまた、玄い冬の日に。
まだ寒くなるってありえんのやが。