お風呂って結局絶対入らなきゃなのに毎日新鮮にダルいじゃないですか
ご無沙汰しております。todokeru,の久米です。
先日のネネさんのブログを読んで
「大事なことはめんどくさい」、ほんとそういうこと多いよなあと…。
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私は圧倒的に、お風呂がめんどくさい!
いやお風呂入って後悔した経験なんて1回も無いし、絶対明日までには入るんだし、入らなきゃ寝られないし、てか入ったらめっちゃサッパリして良かった~って思うし……!!!どう考えても大事なのに毎日新鮮にめんどくさい。わかります。
ここまでで既に3回、「めんどくさい」と書いている久米ですが実は、
中学生になるぐらいまで、「めんどくさい」という言葉が使えませんでした。
なんだかものすごく罪悪感が芽生えるのです。
「宿題めんどくさいな~」とか「掃除当番めんどくせ~」とか、同級生が話すのを耳にしては、そのくだけた言葉遣いやカジュアルに愚痴をこぼせるゆるい会話をどこか羨ましく、カッコよく感じたりしていました。
友達があまりにもそう言うから、一緒になって「めんどくさい」と発してみたときには「今わたしめんどくさいって言ったなあ。人生で3回目だ。」と、累計使用回数を数えていました。これほんとうです。
特にトラウマがあるとか、誰かから正されたとか理由があるわけではないのですが、生きている中でこういう“しこり”みたいなものが「めんどくさい」のほかにもいくつかあります。
演劇をしていると、こういった“しこり”を取り除かなければいけない場面に多々ぶち当たります。
自分の中に無い語彙を発するのに、行動を取るのに、すごくエネルギーが要ります。
登場人物の思考は頭では理解できる、けれど
自分の身体を通した瞬間どうしてもすぐにほぐれないものが確かにあるのです。
そんなとき、その役の魅力的なところを沢山抽出します。
こういうところ憧れるとか可愛いなとか憎めないなとか。
役を愛するうちに徐々に許容していける部分があります。
自分ひとりでどん詰まっていても、稽古場で楽しくやっているうちに勝手に解けていくこともあります。
ひとの言葉を聞いてハッとしたり、一人じゃ気付けなかった役のいびつさを感じたり、自分以外の誰かの眼に映る世界を知るたびに役が立体的になっていき、いつのまにかその”しこり”が取れていることがあります。
この過程が、実に苦しいです。
稽古中も無意識に防衛本能がはたらいてグダグダになったり、記号的に音を出すだけの機械になったり、役者として不甲斐ないなと悔しく恥ずかしいのです。
でもこれを避けている時間はもっと苦しい。
すぐそこにある課題を、
自覚しているハードルを、
必ずぶち当たることが目に見えている壁を、
寝かせている時間が何より苦しいです。
しこりが取れた瞬間ってすごく気持ちいいし、一気に視界がひらける感覚があります。人間としてひとつ豊かになれたような気すらします。
どうしても曲げたくない信念とか根幹とかは無論大事にするべきだけれど、少なくとも私は役者として、人間の多様な感情を知りたいし体現してみたいなと思っています。
そのために、演劇をやっているのかもなと感じたりします。
吉田拓郎の〈全部だきしめて〉という曲の中にこんな一節があります。
これまでの人生で形成されてきたものを手放す勇気を持ちたいものです。
間違ったって間抜けだったって笑い飛ばせる人でありたいものです。
良きも悪しきも全部だきしめられる役者でありたい。
偉大な仲間たちと言葉を交わし、悩みもがきながら、楽しく稽古しております。
『幕間ダイアログ』、登場人物全員が魅力的なのです。
誰かに感情移入してしまうかもしれないし、
誰にも共感できなくても、きっとひとの奥行きを感じてもらえると思います。
3/16(土)、北島町創世ホールにて。目撃しに来てください。