愛着についての困難感、向き合い方の一例 その3

<愛着についての困難感、向き合い方の一例>シリーズ、その3です。

前書きにて紹介しましたが、私は自分の愛着についての困難感と向き合う中で、自分の中に生じた変化として以下の3ステップを実感しました。
1. 自分の負の感情(つらい気持ち)に気付くこと
2. 負の感情を受けとめた上で、受け流せるようになること
3. 自分と他者とを同等に尊重できるようになること

本記事ではステップ3について、「どう社会生活になじんでいくか」を自律的に考えるという視点で、私が現在進行形で取り組んでいることや苦戦していることを簡単にまとめてみます。

他記事は以下リンクからどうぞ。

<愛着についての困難感、向き合い方の一例>シリーズ一覧
前書き:「愛着についての困難感と向き合うステップ概略」
具体例として、私の経験をかいつまんで紹介。
その1:ステップ1「自分の中の負の感情に気付く」→ステップ2「負の感情を受けとめた上で受け流す」
これができるようになる一般的な過程と、それができているときの私の主観的な実感・感覚について、できるだけ詳しく説明。
その2:ステップ2「負の感情を受けとめた上で受け流す」技術の習得
個人的に試してみた方法と、その効果の大小を主観的に比較。
★その3(本記事):ステップ3「自分と他者を同等に尊重する」
今後の抱負も兼ねて、今取り組んでいることを紹介。
最後に:「まとめとエール」
シリーズの総まとめとエール。

安心感の獲得後、できるようになったこと

前記事までに、安心感を学び、「負の感情を受けとめた上で受け流す」ことについて説明してきました。
それができるようになってきている今、私があらためて理屈抜きで認識できるようになったことがあります。
自分は尊重されるべきであって、他者もまたそれと同等に尊重されるべき」だということです。
人間それぞれ「本来的にダメな人」はいないな、と確信できるようになりました。
(もちろん、「それは道徳的にどうよ……」という言動をとる人はいて、そこに対しては健全な怒りも抱きますが。)

ここからは、私の個人的な価値観の話になります。
この「自分と他者は同等に尊重されるべき」という感覚を自分なりに咀嚼して我が身をふり返り、冷静に認識するようになった自分の課題というものもあります。
「社会人としての自分の未熟さ」や「人間としての自分の未熟さ」です。

これまで自分を安定させるために時間と労力を費やしてきた結果、私には同じ世代の社会人と比べたとき「できないこと」「空白期間」というものが目立ちます。
これは逃れようのない客観的事実です。

(だからといって、それについて「消え入りたいほどに酷く落ち込む」気持ちはありません。
「やってらんねえな!」と悲しくなることはありますが。
これが「精神的に安定する」ということなのだと思います。)

自分の未熟さを再認識すると、今度は「その未熟さを許し、自律的に生きるよう促してくれる、まわりの安定した愛着スタイルの人々」への感謝をしみじみと感じられるようになりました。
これをふまえ、私は「社会で役割を持っていて、その役割を満足させるだけの働きができていないなら、もっと工夫するなり、埋め合わせとして別の役割を果たすようにするなり、(あるいは過度な自己犠牲なしに貢献できないなら、その場からは身を引くなり、)出来る範囲で何かしら建設的な努力をしよう」という一見あたりまえのことを心の底から思えるようになりました。
これが私にとってはいちばん好ましいことでした。

というわけで、私の場合は、この「社会における役割をきちんと果たしていきたい」という前向きな感覚を「自分と他者を同等に尊重できるようになること」として、自分の愛着の困難感にケリをつける最終ステップに据えています。
現実的な行動におとしこむにはまだまだ時間がかかりそうですが。

みなさんも、自分の気持ちが安定してきたら、どうやって社会生活に参加していくかいろいろと考えてみてください。

未だに苦戦していること

一方で、今でも解消しきれていない愛着の困難感もあります。
それは、過去に体験した「嫌な情動の記憶」が、現在において似たような経験をしたり、疲れて精神的に脆くなったりすることをきっかけに、ときおり揺り戻しのように思い起こされることです。
私の場合は、具体的なできごとを思い出すわけではないのですが、当時の「危機感」を再体験してしまうのです。
できる限り、メタな視点に踏みとどまる努力はしていますが、踏みとどまりきれずに「半分しかないコップの水の中に落ちる」こともあります。
そういう「嫌な情動の記憶」も、安心感を学習してからは少しずつ印象が薄れてきているようには感じますが、今後この小康状態がどこまで続くのかはわかりません。

「半分しかないコップの水の中に落ちた」とき、どうすべきかというのは今後も取り組み続ける課題だと感じています。
今のところは「自分を安心させるような生活を心がけながら、時間が経過するのをひたすら待つ」という戦法でやりすごしています。
その間、いろいろと社会生活としての実務に支障が出るのが悩みですが、これはもうある程度は仕方がないことですね……。
割り切っているつもりです。

「コップの水から上がる」方法として、取り組みの中で何か有用そうなことがあれば、また記事にまとめます。

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本記事は以上です。
お付き合いいただきありがとうございました。

シリーズとしては次記事が最後になります。
総まとめとして、要点・注意点をまとめた上で、愛着の困難感を抱える人へささやかなエールを送ります。

→ 次記事はこちら 最後に:「まとめとエール」

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