【思案中】嫌な情動の発作への対処
以前書いたシリーズ、「愛着についての困難感、向き合い方の一例(マガジンはこちら)」の補足記事です。苛烈で嫌な情動の発作のとき――「半分しかないコップの水」の中に溺れたときのやり過ごし方について、現状で自分がやっていることをまとめました。
愛着に関する困難感において、いちばん生活を害され面倒くさいと感じるのが、トラウマ(的)経験に紐づけられた「嫌な情動の記憶」が呼び起こされる最中の過ごし方だと感じています。
ずっと悩んでいて、確たる対処法は実感できないままなのですが、今のところ実感している範囲内で私のやり過ごし方を記録しておきます。
みなさんの参考になるかはわかりませんが、一例としてご覧ください。
結論を述べると、感情の濁流に呑まれている際、私が今のところ心がけているのは以下の4点です。
1. 情動の発作にも終わりが来ることをひたすら信じて待つ(実際、いつかは必ず終わる)。
2. 負の感情に由来する衝動を、できる限り自己や他者に対して無害な行動に変えて発散する。
3. 積極的に自分を労わる(自分を責めず、嫌なことから物理・精神的な距離をとる)。
4. 他者からふいにやってくる労わりを大切に受け取る。
個人的には、負の感情に呑まれている最中に自主的にできることはほとんどないと考えていて、やるとすれば本当に「できる限り穏便にやり過ごす」ことだと思っています。
最初に念を押しておきますが、嫌な情動の発作には、必ず切れ目・休止の時期が来ます。
まずはそれを信じることが重要です。
呑まれている最中は永遠のように思われるかもしれませんが、切れ目・休止の時期を何度か経験すれば、少しずつ「絶対に大丈夫なんだ」と実感できるようになってきます。
また、切れ目・休止の時期を何かの拍子に実感できたら、それをしみじみと味わっておくと、のちのち心の支えになるかと思います。
安定した状態を初めて実感したあと、最初の数回の嫌な情動の揺り戻しには「またか……全部無駄になるのでは」と絶望感が伴うかもしれませんが、それでも必ず終わりが来ます。
無駄ではなかったと感じる瞬間が来ます。
これをふまえた上で、情動の発作の終わりを待つ間に当たり障りなく過ごす方法を考えてみます。
自分でできそうなことは、「突発的に自他に害を与えないように注意し、嫌なことから距離をとりつつ、何かしらの方法で気を紛らわすこと」、他者との関係性の中でできそうなことは、「ふいにもたらされた労わりを大切に受け取ること」――この2つが原則になると感じます。
私は特に、前者を重点的に、後者は余裕があれば、というスタンスで取り組んでいます。
順に説明していきます。
自分でできそうなこと
自分でできそうなことは、「突発的に自他に害を与えないように注意し、嫌なことから距離をとりつつ、何かしらの方法で気を紛らわすこと」と紹介しました。
私は特に罪悪感に苛まれるタイプで、突発的に自他に害を与えると後悔しがちなので、ここは重点的に守っていきたいと思っています。
「もう自分、なんかやらかしそうだしやばそうだな」と感じたときは、できる範囲で徹底的に人と距離をとることにしています。
私の場合、会話は最小限、物理的に生身の人と距離をとり、テレビもつけません(他者を誘因として余計に傷つくのが嫌だ、というのと、突発的に何かをやらかしたくない、という心理があります)。
では、ひとりで何をするかというと、めそめそ泣きながら暗い部屋で日記などの文章を書いたり、温かい飲み物を飲んだり、お布団をかぶって泣きながら優しい音楽を聴いたりします……。改めて字面にすると暗いですね!
しかし、無理に元気になろうとする必要はないと思うのです。負の感情に苛まれるのも、そこから逃げたくなるのも自然の摂理です。
大切なことなので何度も繰り返しますが、ときが来れば必ず、自然と情動の発作にも切れ目・終わりがやってきます。
ですので、穏便にやり過ごすことだけに集中します。
本当は、甘えられる範囲で他者に甘えたいというのが本音ですが、なかなかどうして感情の渦に呑まれているときは、全力で他者にしがみつくあまりに共倒れになりそうでちょっと恐ろしいんですよね……。
そもそも悩みの本質として日常的な友人に話せる話題自体が少ないし、やはり直接的な悩みを話すとしたら友人よりは良いカウンセラーを見つけた方がいい気もします(専門家であれば、対処法についてもより突っ込んだアドバイスをもらえる可能性も高いですしね)。
友人と親しければ親しいほど、話すか否かには慎重になってしまいます。
友人や他者に求めるなら、次項にまとめたような、悩みの根幹とは直接関係のない部分での労わりでしょうか……悩むところです。
みなさんも自分なりのやり過ごし方を見つけてみてください。
他者との関係性の中でできそうなこと
他者との関係性の中でできそうなことは、「ふいにもたらされた労わりを大切に受け取ること」と紹介しました。
これは、嫌な情動の発作の切れ目・終わりをより強く実感するための、プラスアルファのオプションだと感じています。
前項のようなやり方で、上手いこと自分のエネルギーを発散できて、少し疲れによって冷静になったくらいの段階でやると効果的な感じがします。
できるならやった方が望ましいと感じますが、できないならそれはそれで仕方がないし、できないからといって自分を責める必要はないと思います。
頭の片隅にとどめておけば、ふいにできるようになる瞬間が来るのではないでしょうか。
要するに、「他者との関わりの中で芽生えた自分の中の安心感を自覚する」作業により、「今、自分は大丈夫になりつつあるな」という実感を補強する感じです。
気遣いの言葉がけをしてもらって嬉しいとか、何か差し入れをくれて嬉しいとか、ささいなことに共感してもらってほっとしたとか、直接的な労わりはわかりやすくて気付きやすいですよね。
ほかにも、こんなのはどうでしょう。
手の届かないところにあるものを近くの人に取ってもらってありがたい
道端で、ジョギング中の温厚そうな人と互いに会釈する
散歩中の犬がこっちに寄ってきて可愛かった
ふてぶてしい野良猫を見かけた
とんでもない場所に生えている雑草を発見して思わず笑ってしまう
上に挙げたのは私がほっとするものの一部ですが、こういうちょっとつまらないくらいの見逃しがちな「ほっとする瞬間」に気付けるようになってくると、「自分は今だいぶ大丈夫になってきてるな」と自信を持てるように感じます。
もちろん、日常的な所作の中に負の情動の発作を引き起こすトリガーがある場合もあると思うので、他の人がほっとすると言ったとしても、自分が嫌だなと感じるなら距離をとることが大事です。
重要なのは、自分の中で「無意識下に自然と芽生えた安心感」を顕在意識によって掘り起こす・自覚する感覚だと思うのです。
自分ひとりで何とか安心を錬成しようと頑張るのもひとつの方法ですが、私の場合は結局のところ、その過程でふいに外側からもたらされる安心に気付くことの方が多いです。
自分で何かをコントロールするというよりは、安心を拾えたり貰えたりしそうな環境に繰り出す感覚でしょうか?ラッキーを拾う?……説明が難しい。
何にせよ、安心したいという気持ちを「漠然と」もっておくことは、ふいに現れた「ほっとする感覚」をつかまえるのには意義があると思います。
自分の気持ちに正直になることを学びつつ、気持ちに余裕があるときには、みなさんも自分がほっとするものを開拓してみてください。
たぶん意識して探すといろいろあります。
まとめ
最後に、ポイントを再掲しておきます。
1. 情動の発作にも終わりが来ることをひたすら信じて待つ(実際、いつかは必ず終わる)。
2. 負の感情に由来する衝動を、できる限り自己や他者に対して無害な行動に変えて発散する。
3. 積極的に自分を労わる(自分を責めず、嫌なことから物理・精神的な距離をとる)。
4. 他者からふいにやってくる労わりを大切に受け取る。
今のところ、私が重要だと感じるのはこの4点です。
何度でも念押ししますが、いちばん重要な事実は、「嫌な情動の発作にも必ず切れ目・終わりがやってくること」です。
これを信じて、切れ目を経験したときに「やっぱり自分は大丈夫だった!」という実感を積み重ねていくことが大切だと感じます。
以上、嫌な情動の発作に呑まれたときの私なりのやり過ごし方をまとめてみました。
同志のみなさんのご参考になれば幸いです。
みなさんそれぞれにもう頑張りすぎていると思います。私にできるのはせいぜいこのくらいですが、陰ながら、みなさんがほっとできる瞬間が少しでも増えるよう祈っております。
どうかご自愛ください。