
日記#4 物語#1
2024/7/23 21:45 ドトールK駅前店(残り2日)
「さきちゃんめっちゃかわいいから仲良くなりたいわー。ほんまわんちゃんあるとおもうんやけどなー。ほんまに。」
「いったらいいんちゃうん。」
「前見かけたけど、あん子めっちゃかわいい。」
「やろ。付き合いたいー。」
金髪が大ぶりに頭を左右に振る。肩にかかるくらいのその髪が箒のように揺揺れる。金髪は前髪を茶色のカチューシャで止めていた。頭に乗ったカチューシャはのり弁当の白身魚フライのようだ。
「かおるちゃんは?」
「かおるちゃんはない。会ったら俺にいつも手ぇ振ってくれるからありそうやったけど、連絡とるとそっけないねん。」
「そうなん。」
「めっちゃ話すねん。空きコマとか、会ったらな。でもラインであれやったら無理やわ。」
「どれ、見して。」
金髪が座る壁側の2人掛けテーブルに周りの3人顔がキュッと集まった。
隣の机に座っていた短パンは箸に残った納豆のように金髪の横に張り付くように立った。
スパイラルパーマの方は金髪の斜め向かいから頭の上から覗くような体勢を取っている。自分の体を支えるためについた腕は黒く焼け、手首には所々錆びついたか銀色のバングルが鯖寿司のような輝きを放っている。
突如どっと笑いが起きたかと思うと、各々が席に戻る。折り目を付けた紙が元に戻るみたいだった。
「おもろ、むりかもー、やって。」
「絶対無理な返しやな」
「ほんまにないねん。」
「これいつ?昨日やん。」
「あかん、おもろい。」
短パンは腹を抱えて自席に尻もちをついた。
するとここで眼鏡がスマホを出しながら言った。
「俺よくかおるちゃんとラインするけどもっと反応ええで。」
「え!?ほんまに??」
「ほんまほんま。」
「うそやん。」
「ほら、見てみ。」
「どれどれ。」
付いた折り目をもう一度折りなおすように、さっきと全く同じ位置に各々が戻った。「おお」という歓声が上がり、その後ほんの一瞬だが沈黙が下りた。
ここで金髪が目線で短パンに合図を送る。
しかし、短パンは気が付かない。そこで金髪は素早く手を伸ばして短パンの腕をトントンと叩く。短パンの肩がびくんと跳ねたかと思うと口を開いた。
「えーめっちゃいい感じやん。何、これって明後日2人で天神祭り行くん?」
大阪天満宮の「天神祭り」は日本三大天神祭りの1つに数えられ、7/24を宵宮、7/25を本宮と呼ぶ。本宮の夜には奉納花火大会があり、数千発の花火が打ち上げられる盛大な催しである。
「ほんまや、りんご飴食べたいー、やって。」
「せやねん。実はこないだ誘ったらOKもらった。」
「急に天神祭りの話はじまってるってことはラインじゃなくて、直接OKもらってるってことやんな。」
スパイラルパーマが天井スピーカーのように頭上から聞いた。
「うん。」
「これほんまにあるんちゃうん。」
「やるやーん。おいもうお前は終わりや。」
そう言いながら短パンが金髪の頭を小突いた。
「はなから脈ないねん俺はー!」
そこでまたどっと笑いが起きた。
「めっちゃ人混むし、かおりちゃんエスコートせえよ。」
「分かっとるわ。言われんでも。」
「りんご飴、忘れず買ったれよ。」
「それも分かっとんねん。」
「りんご飴、絶対忘れたらあかんで。」
「いや、分かっとんねん。」
ここで店員がやってきてもうじき閉店であることを告げたので、彼らは各々の荷物を持って店をでた。
「俺、鶴見緑地線だから、じゃあ。」
「おう、じゃあなー」
眼鏡は金髪、スパイラルパーマ、短パンに手を挙げて歩いて行った。
3人は眼鏡の背中が見えなくなるまでそこで手を振っていた。
2024/7/23 22:07 K駅前アーケード裏通り(残り2日)
「さき。」
金髪が電柱にもたれて立つ女に声をかけた。
「あ、高坂くん。」
女は電柱から離れて金髪に駆けよってきた。金髪の後ろにはスパイラルパーマ、短パンが立っており、その表情は少し不安げだった。それを見た女の顔色がみるみる青ざめていく。その様子に気が付いて慌てて金髪は言った。
「多分、うまくいった。」
「多分?」
「これまでの【周回】の抑えるべき部分はきちっと抑えた。俺のさきに対する好意の強調、かおりとの関係構築可能性が低いことの明示、それに最後に【りんご飴】も念押しした。」
「2人のラインは?」
「あいつから能動的に出させた。俺たちから提示を要請するルートは避けられた。」
「直接OKもらったセンテンスあったわよね。」
「ああ、それも高橋がきちんと聞こえるトーンで頭上から言った。聞き逃しはない。」
「じゃあなんで『多分』なの?聞いていた内容は問題なかったわ。」
彼女は髪をたくし上げて隠れていた右耳を出し、付けているAirPodsを指差した。
「じゃあ一体なんなのよ。」
「それは…」
金髪が暗い表情で目線を落とす。
「俺だ…俺が…」
短パンが声は震わせて答えた。目に涙を浮かべながら強く歯を食いしばっている。短パンは目の涙を拭きながら言葉を繋いだ。
「竹内にラインを出させた直後、あそこの一言目は俺じゃないといけなかった。俺が天神祭りの話を持ち出す必要がある。」
「ええそうよ。高坂くんから声をかけると、好意への後ろめたさを理由に竹内くんが委縮する可能性がある。だから、高坂くんが私に好意を向けている事実と、かおりとの関係構築可能性が低いことの明示するセンテンスを挿入した上で、恋愛から一歩引いた立ち位置の清水くんが起点となって天神祭りの話を持ち出さないといけない。そうしないと『当日』に影響がある。」
「そうだ、でも。俺はあのとき、一瞬だけセンテンスを飛ばした。」
「え?」
金髪が「ちょっと待ってくれ。」といって短パンと女の間に割って入った。
「いや、正確には飛ばしていない。清水の一言目が遅れたんだ。俺がすぐにこいつの腕を小突いて合図した。それで想定通りのカンバセーションフローに戻った。だから一言目はこいつだった。でも、確かに…。」
そこまで言って金髪は腕を組んで下唇を噛んだ。
「沈黙があった。あの場の人間であれば、気になるレベルの沈黙だった。全部俺のせいだ。俺が竹内を見てて、あのとき、だからタイミングを逃して。」
短パンから止めどなく涙があふれ出ている。ラブホテルの赤いネオンの光が涙が溶け込み、赤い血が滴るように頬を伝う。
「今回の沈黙が致命的なミスだったら?高橋のバンクルももう限界だ。もう1回戻れるのか、それすら怪しい状況なんだ。なのになんで、くそう。くそう。なんでこうなんだよ。」
短パンは膝をついて、地面に力強く拳を叩きつけた。
スパイラルパーマは右腕の時間跳躍のバンクルに指先で触れた。触れた指先に小さな破片がこびりつき、小さな錆の粉塵が舞った。それはもうバンクルが崩壊寸前であることを物語っていた。
女は「はあ」と大きなため息をついて額を手で押さえた。
「確かに、その沈黙が竹内くんに取ってどう受け取られているかそれはまだ分からない。知っての通り、これまでの経験の中でごく小さな変異がプロセスに大きな影響を及ぼすパターンはいくつか確認されている。結果に直接的な影響を及ぼすものもあれば、結果に全く関与しないと思われるものもある。ただ、今回の場合『当日』に近すぎる。だから、もし影響を与えるのであればそれは確実にクリティカルなものよ。もしかしたら、既に修正不可能なシナリオに乗っている可能性がある。だからその場合、またそうよ、また今回も、かおりと竹内くんは死ぬかもしれない。」
いつの間にか金髪と、スパイラルパーマも涙を流していた。3人の男がすすり泣く音が煙草臭い路地裏にこだまする。すすり泣く音を仲間の声だと勘違いしたのだろうか、暗がりに小さな猫の目が光る。
「ぱちん」と手を叩く音がして3人は女の方に顔を上げた。
「ただ、私が聞いていた限りカンバセーションに違和感はなかった。これは事実よ。私たちはかおりと竹内くんを救うために何度も世界を『やり直し』てきた。そしてその度に修正を重ね、今回『当日』二日前まで完璧な形で持ってくることができた。ここまで来たら私たちに必要なのは未来を変えることじゃない、未来を信じることよ。自分を信じましょう。不確定な未来の中に自分だけが信じられるものを見つけた時、人はそれを希望と呼ぶのよ。」
女は真っ直ぐ3人を見つめていた。何百回という時間跳躍を経ても褪せることがない彼女の強い目を、彼ら3人は誰よりも信頼していた。この時、彼女を信じている自分自身を信じる、その信頼の循環に深い確信が得られたのだった。
「次のチェックポイントは【りんご飴】ね。」
「明日の勉強会もあるよ。」
「まずはそこね。気張っていくわよ。」
街灯の蛍光灯が彼らの足元を照らす。どこかの暗がりで小さな猫がにゃあと鳴いた。
完
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