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日記#2 レモンと応えること

じゃあ、レモン買ってくるね

  • 大阪、阪急宝塚本線の蛍池駅のほど近く、ある喫茶店でコーヒーゼリーとカフェオレを楽しみながら本を読んでいた。カフェオレを一口飲む。この日はとても暑かったので冷たいカフェオレがますます美味しい。

  • このカフェオレの上には生クリームが乗っている。マスターのおじいさんが注文のときに「上に生クリームを乗せてもいいですか?」と聞いてくれた。私は「もちろんです」と答えた。するとおじいさんが「オッケー」とお茶目に返事をする。なんて気さくなマスターだろう。

カフェオレとコーヒーゼリー。どちらもま~~じでおいしい。
  • マスターのおじいさんは腰が曲がっていて、数字の「7」みたいな姿勢になっている。最初このお店に入ったときはお体がとても辛そうな方だなと思ってしまったが、これには後悔した。大変失礼な誤解だったと。

  • あのお店の中で一番お元気なのはマスターだった。注文を受け、コーヒーを淹れ、冷蔵庫からケーキを取り出し、空いた皿を下げる。

  • 一連の動作はテキパキとしていて無駄がない。テーブル席ではなく、カウンター席に座った方がよかった。マスターの手元を近くで見ることができたらもっと素晴らしかっただろう。

  • そして、より心惹かれたのはその一連美しい動作の中に挿入されるお客さんとの会話だった。お客さんとの会話はささやかだけれど、優しさに満ち溢れたものだった。

  • 常連のお客さんが来て、恐らく定位置らしい椅子に腰かけ、恐らくいつも通りらしい口調で「アイス」といった。マスターが「あいよー」といってアイスコーヒーを出す。ここで常連さんがぐびぐびとアイスコーヒーをほとんど一気に飲み干してしまった。今日は気象庁から梅雨開けが報告された日、外はすごく暑かった。だからこの一気飲みはいつも通りではなかったらしく「へへもう飲んじゃった」と笑みを浮かべていた。

  • それを聞いてマスターが「いいよ、何杯でもいれたる」と答えた。背中を向けていたが、これは確かに笑っていた。

  • 「ああ、かっこいいな」率直にそう思った。

  • あの返事がすぐにできること、そしてあのやり取りができる関係性が常連さんとあること、その関係性が明日も大切にされるだろうなという安心感があること、それらすべてがかっこよかった。

  • マスターがふと手を止めてカウンターに座る別の人に声をかけた。「○○くん、おつかいたのめるかい、レモン買ってきてほしいんやけど、何個か」、すると「うんうん、ええよ」とその人は答えた。少ししてお皿のサンドイッチを頬張り終えると「じゃあ、レモン買ってくるね」といってその人は出ていった。駅からの来しなの道にスーパーがあったそこへ向かったのだろう。

  • 私はカフェオレを一口飲み、ほっとひと息ついた。マスターのお元気さであればスーパーまで行けてしまいそうで、いや実際行けると思う。でも、マスターにはおつかいを頼める人がいて、その人はその頼みを快諾してくれる人である。

  • この状況はおつかいをお願いをできるハードルが低い、つまり心理的安全性が保障されている、そう表現することもできそうだが、そうではない。状況の要約によって抜け落ちるものがある。

  • 重要なのはおつかいが実施されることでも、おつかいに行ってくれる人がいることでもない。

  • いつの間にかお店はほぼ満席で、その誰もひとりではなかった。

  • ご夫婦や家族連れはいた、でも、私と同様に1人で訪れている人もいた。でもこの場にいる誰も「ひとり」ではない。温かくて、心地よくていつの間にか一員になっている、そういう緩やかな繋がりがあった。だから誰も「ひとり」ではないような気がした。

  • 「ひとりでないこと」これがこのお店の状況を表現するにおいて、しっくりくる言葉だと思う。

応えること

  • 私はこのとき「人が人を罰するということ―自由と責任の哲学入門(山口尚、ちくま新書)」を読んでいた。あるとき「反省するってどういうこと?」「自分って本当に反省したことあるのか?」と疑問に思って、「反省」という事象に関わりそうな書籍を読み始めた。

  • 「反省」には「責任」と「罰」が密接に関わってそうだなと言葉のイメージから着想を得て、キーワード検索でヒットした書籍だった。

  • 丁度読んでいたページにこのような記載があった。

本書は《責めたり罰したりすることが人間の生の一般的な枠組みに属す》と指摘したが、これは決して責めや罰の称揚ではない。むしろ人間は赦すこともできる。そして〈赦すこと〉は人間の生の重要な部分を形づくっている。

人が人を罰するということ―自由と責任の哲学入門、p252(山口尚、ちくま新書)
  • 私は〈応えること〉も「人間の生の重要な部分を形づくっている」とそう思った。

  • 応えるとは、働きかけにたいして反応を示すこと。応えるには、働きかけてきたものに対して、働きかけ以上の何かを伝播・浸透させるイメージが私にはある。

  • この喫茶店で感じた「ひとりではない」感覚、この感覚の軸に〈応えること〉がきっとある。マスターとここにいる人のコミュニケーション。そのコミュニケーションでは目的以上の何かが応えられている。

  • 「アイスコーヒーを淹れる」以上のことが、「レモンを買ってくる」以上のことがそこにはあって、それがコミュニケーションを傍観する私にまで伝わっている。それは確かに、人にとって大切なもので、ここではそれが守られている。

  • だから、私は〈応えること〉も「人間の生の重要な部分を形づくっている」と思う。

  • 私も少し何か応えたくなって、席を立つときにカフェオレとコーヒーゼリーのお皿をテーブルからカウンターまで運んだ。それを見てマスターは「いいのいいの」と言った。大切なものをもらったのは私の方なので小さなことでもしておきたかった。

  • お金を払い終えると「ありがとうね、外、暑いから気を付けて、また来てね」とマスターが笑って声をかけてくれた。私はドアノブに手をかけて「はい、ぜひ」と答えた。

  • ドアを押すと扉にぶら下がったベルが「カランカラン」と音を立てる。来た時よりベルの音がちょっと明るい気がした。この夏、カフェオレをまた飲みに来ようと思う。

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