日記#5 行方不明展の感想と█████
※この日記はフィクションです
行方不明展へ行く
東京日本橋で開催中の行方不明展。
フィクションの「行方不明」に関わる様々なものを展示する展覧会だ。
インスタのリールでこの展覧会の広告を見かけたとき、「これは絶対面白い」と確信めいたものを感じた。
展覧会のプロデューサーは梨さんと大森時生P。ディレクターはダ・ヴィンチ・恐山という信頼と魅力に溢れる面々だ。
つい最近、大森時生Pが手がけた「このテープ持ってないですか」を見てからモキュメンタリー風のホラーにどっぷりハマり、「祓除」「SIX HACH」と大森時生Pの番組を次々に見ていた。
モキュメンタリー風ホラーへの興味は既に強く持っていたので、広告を見た時点でこの展覧会へ行くことは最早自明だった。
実はインスタのアカウントだけでなく、行方不明展のYouTubeチャンネルも開設されている。
このYouTubeチャンネルでは展示に関係したいくつかの動画が公開されている。
1、2分ほどの動画が多い中で、1本だけ40分ほどの長さの動画がある。
この動画は行方不明と関わる不審な現象に直面した人々にプロデューサーの梨さんがインタビューをしに行くという、展覧会の前日談形式の動画である。
インタビューの1人目は娘が行方不明になったという女性。潮干狩りに行った娘がそのまま行方不明になってしまったそうだ。このインタビューで女性が、娘の行方が分からないことを受け入れている、というか、娘がどこかで生きていると信じている。そんな雰囲気が印象に残っている。
2人目は友人が行方不明になったという男子大学生。彼は、友人が行方不明になる直前に友人本人から電話をもらっていたという。その電話の音声も動画内で聞けるのだが、ノイズだらけで不明瞭な音声の中で確かに「おまえもこいよ」と言っているのが聞こえた。
3人目は近所の空き家で不審な人物を見かけたという女性。そこに存在しないはずの一家を探す謎の男性を女性が捉えた映像が流される。男性の表情は、本当にそこに一家が住んでいる、そう信じてやまないようなそういうものに見えた。
4人目は暗くてとても長い道を歩いた記憶を持つ男性。気がつくと男性は暗い道を歩いており、なぜここを歩いているのか分からないが戻った方がいいと直感的に思ったそうだ。ほとんど何も見えない道を壁伝いにずっとずっと歩いていくと、突然道が途絶えて森に出たらしい。
5人目は家にあるおもちゃが存在しない弟の物だという女の子。女の子の母親曰く、ある日突然弟のおもちゃで遊んでいいかと確認をとってきたそうだ。弟などその家庭にはおらず、またそのおもちゃも初めから女の子のものだったそうだ。女の子が「寂しい」「どこにいったの」と泣くのでなだめるのに大変苦労したそうだ。
動画の作りはとてもリアルでぞっとする。特に1人目の女性は、所作、話し方、住んでいる部屋、その全てがいそうな感じだった。娘を探したいけど見つからない諦めと、でも娘がどこかに存在していることを確信しているような語り口だった。
全くホラーとは関わりがない部分だが、その女性は部屋でたくさんの猫を飼っており、インタビュー中も猫がちらちらと映り込んでいて癒された。
この動画の中で梨さんも述べているが、今回取り上げられる「行方不明」はただの行方不明ではない。「居たはずの人が初めから居ない」「行方がわからなくなったのではなく、行方がわからないようにしたかった」そういう異質な雰囲気が滲む行方不明であることが語られる。
非常に引き込まれる内容の動画なので、行方不明展に行かない方も、そして行ったけど見ていない方もぜひ見ていただきたい。
該当の動画について確認を行いましたが、
そのような動画は存在しませんでした。
さて、日本橋の会場付近へ行くと行方不明展の大きなポスターが目立つように立ててあり、会場まで迷わずに辿り着けた。
早速その大きなポスターを見てみる。ポスター画像はすでにインスタでも見ていたが、それはスマホサイズの大きさだったので実際に大きな画面になって見てみると気がつくことがたくさんある。
晴れているのに不安な青空、影の落ちた芝生の緑。集合写真のトーンは顔が判別できない人物たちの違和感にマッチするよう絶妙に調整されている。
フォントも細部までこだわりがみえる。「行方不明」を構成する線の一部が文字通り行方不明になっている。また「A MISSING EXHIBITION」の上の訂正線は、一見1本の線に見えるが、実はサインペンのような線が2本引かれている。
ポスターを見ているだけで発見があり、入る前から既に楽しい。
入場時間になり、中へ通された。
中に入るなり、おびただしい数の行方不明者の貼り紙がまず目に入る。
貼り紙の一枚一枚の内容も、テクスチャも、摩耗具合も同じものが一つとしてない。
何度も雨に濡れて、そして何度も乾いたのであろうもの。誰かがくしゃくしゃに丸め、また開き直したようなもの。長い期間日光に晒されて紙が変色しているもの。
どれも、本当の行不明者を探しているように見えた。
会場の中では「この展示はフィクションです」ということが頻りに強調されている。だから頭では「これはフィクションだ」と分かっている。けれども、目の前にある圧倒的な物量のリアリティがフィクションの認識を超えてきていた。
きっとどこかにいたし、まだどこかにいる、そんな気すらしてくる。
この貼り紙だけで1時間は潰したいけれど、この展示は90分制なのでそんなことはしていられない。
会場内には写真、音声、映像、特定の形式にとらわれない様々な展示物があった。
また、キャプションが付いているものだけが展示物ではなく、床や壁あらゆる場所に作品が散りばめられている。
展示物とは無関係に見える写真が床に落ちていたり、赤茶けた汚い縄が転がっていたり、説明すらされないけれど「これはなんなのだろう」と興味を惹かれるものがあちこちにあった。
そういったものを見つけて楽しむ宝探しのことも含めると、90分で見終えるのは到底不可能なボリュームだった。
満足感というのは大抵会場を出てから感じるものと思われがちだが、ここではこういった宝探しと展示物への考察を同時並行で進めていくので回っている最中から満足感が感じられた。
数ある展示物の中で個人的に印象に残ったのは、中部地方のとある行方不明者の最後の足取りを捉えたという防犯カメラの映像だ。
印象に残った理由はこの展示物に2つの親近感を持ったからだ。
1つ目が映像への親近感だった。映し出されている防犯カメラの場所にとても見覚えがある。
私自身中部地方の出身なので、多分ここに訪れたことがあるのだと思う。██湖の西側湖畔の国道か、それか██市の海沿いの国道だと思っている。よく似た木の並びがあったと記憶している。
ふと思い出したが、あそこはやっぱり██市の海沿いの国道だったと思う。夏の日にあの道を1人で歩いた。潮風が強く吹いていて鼻の奥までしょっぱい感じがしたから確かにそうだ。でも、なぜあそこを歩いていたのか覚えていない。
2つ目が出力媒体への親近感だった。映像が出力されているSONYのブラウン管テレビが、かつて実家で使っていた型と全く同じものだった。
200█年までは実家のテレビとして同じものを使っていて、██████や█████を見ていたのをよく覚えている。
下の写真のように、スマホでテレビの画面を撮影するとシャッタースピードの関係でテレビの画面が明滅して映る。丁度こんな具合の明滅が、当時テレビを見ている最中にも頻繁に起こった。そんなときはテレビの横をバンバンと叩いて直していた。
昔のテレビは、異常が発生すれば叩くと治った。テレビに限らず電化製品全般がそんな品質だった気がする。今ではそんな低い品質の電化製品はほとんどない。どれも高品質できちんと動く。
でもたまに異常を抱えたものがある。
学生の時、新生活にあわせてPCを新調した。███のPCだった。新品だったが、それには電源がつかない初期不良があった。だから、窓口に問い合わせ、代理店を通じて修理業者に配送してもらった。
それは不良品というカテゴリーに振り分けられ、回収され、検査された。検査の結果、異常の原因が完全に取り除けるものではなかったため、機器自体を取り換えることになった。
私のもとに届いた「それ」は正常に電源が付いた。でも、「それ」は初めの初期不良を抱えた「それ」ではなかった。電源がつくようになった「それ」ではなく、電源がつく「別のもの」だった。
異常含む個体はなくなり、正常なものだけが残る。
異常は許容されない。
私が初めに買った「それ」の行方は分からない。
どこかにいるのか、もういないのか。
どちらにせよ、そうなることを望んだのは𥝠だった。
そして他の別の人でもそう望んだ。
異常は許容されない。
望めば消える世界。
異常は許容されない。
今や不良品は、叩いても、治らない。
治らないのなら――
展示を見ていて気が付かされるのは、行方不明という事象の「非対称性」です。
この非対称性とは、残された物品や記録を、行方不明者"でない人物"の視点から解釈することはできても、その答え合わせとして存在するはずの、行方不明者"自身"の視点での解釈は不在であらざるを得ないということです。
𥝠たちがどんなに思いを巡らせても、想像しても、本当のところは分からない。確認のしようがないから分かるわけがないのです。
当然と言えば当然のことです。行方不明になっているのだから、本人の視点などあるはずもありません。
でもこれは理屈ではないのです、客観的な事実でもないのです。これはいうなれば感覚です。
視点の抜け落ち感。あったはずのものがごっそり抜け落ちている感覚。抜け落ちたもの以外では埋められない穴がある感覚。それがずっとついて回るのです。
そこに絶対あるはずの𧗟方不明者本人の「意図」が見えない。そのことが気がかりであり続けるのです。
縺翫§縺�■繧�sが██████
展示を見ていて縺倥>縺。繧?sが██████を思い出しました。
あれは██████のときでした。█年ほど前から██が████と母から伝えられていました。
𥝠は███に住んでいたので███に住む母よりはよっぽど近く、電車で片道█時間ほどで███駅前の████まで𧗟くことができました。
████に█回ほどのペースで会いに𧗟きました。
その間いろいろな話を縺倥>縺。繧?sから聞きました。
仕事の話、家族の話、趣味の話、███████████████。
特に昔███で██を██████████████████████です。████の███に𧗟って██を██████████したそうです。とても怖い思いをしたそうですが、結局うまくいったそうです。
なぜなら彼らは██しか███████からだそうです。よく言えば██さえ██████従ってくれたそうです。██の時代にはそういう人たちがとてもたくさんいたようでとても大変だと思いました。
それまで縺翫§縺�■繧�sは縺翫§縺�■繧�sでしたが、話を聞いて██の██であることを心から感じました。𥝠も██の██であろう、そうしていこうと思いました。
██████はそのすぐのことでした。
でも、不思議と悲しさはありませんでした。何度も会いに𧗟っていっぱい話ができたからでしょうか。まだどこかにいるような、そんな感覚さえしました。
そう思っていた矢先、とても大きな𭈬失感を覚える出来事がありました。
それは書斎にあった██████を見た時です。█████に「█/█ ████」と書いてあったのです。
𥝠は██████████████████████████████████████████。██とは██でしかない。████████████などありません。
ああそこに「意図」などないのです。
そこで𥝠は、陦梧婿�ƂĂ�繧偵■█████――――――――――――――
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以降の文章は散逸しており判読不能な状態でした。
なお、この文章を残した人物についての情報は現在調査中です。存在しませんでした。
以上
※以下お知らせはノンフィクションです
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