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今生きている人生を仮に何周目としましょうか

この記事を公開したのは、2023年の1月7日。そして今日、本文を書いているのはそれから4か月が経った5月です(もう6月になりますが)。

この記事を投稿した当時の僕は”noteはタイトルだけでも記事を投稿できる”ことに気付いて、わくわくしていたんでしょうね。なにか面白いことができないかなあと、考えてはいたのですが結局それきりで、この記事のことを今日まで忘れていた私なのですが・・・。ということで、ここに少しだけ自己紹介のようなものを書いてみようと思います。もう6月なのでね、


わたしは昔からかくれんぼが好きでした。誰にも見つからないのは得意でした。草陰や電柱の裏、時にはたくさん人が居るところに紛れ込んでみたりして。息を潜めて鬼をやりすごす。この技術は休み時間のドッチボールにも活きてきたりするのです。コートの隅っこで息を潜めてただ立っている。見つからなければ、ボールも当てられませんから。とにかく、見つからなければ”勝ち”の遊びはわたしが唯一自慢できる得意分野でした。
しかし、本当に見つからないというのは、必ずしも”勝ち”じゃないということに段々と気付き始めていくんです。でも、一歩遅かった。気付いたときにはもう、当たり前のように息を潜めて人をやりすごし、誰にも見つからないようにと過ごしてしまいました。得意なことを磨いて、身に着けた結果、本当に誰にも見つからなくなってしまったのです。

小学校の頃、月に一回クラブ活動というものが水曜日の放課後にありました。確かわたしは野外スポーツクラブに所属していて、ちょうどかくれんぼが予定されていた日のことです。いつものように誰にも見つからないように、林の中に隠れました。みんなは次々と鬼に見つかってしまいます。わたしは余裕をかまして、林からお尻だけ出してみたりします。それでもわたしは誰にも見つかりません。今度は足を出してみました。それでもわたしは誰にも見つかりません。しびれを切らして林から顔を出して、辺りを見渡します。もうみんなわたしを探してはいません。そこには誰もいませんでした。わたしは隠れることに夢中で、終わりの合図にもチャイムにも気づかずに、ただひとり隠れ続けていました。陽が暮れていく。ひとりぽっちの寂しい夕焼けを見ました。とても怖かった。とても怖くなった。ランドセルを背負って、かたく閉められた校門をよじ登って帰る。クラブ活動初回の日でした。あんなに怖い夕方は後にも先にも、あの日だけで十分です。




今でも隠れるのは好きです。こうして誰にも見つからないかもしれない記事も書いてしまっていますからね。自分自身、本当は見つかりたいんでしょうね。見つけてほしいんです。もしもこの記事を見つけた方は、TwitterのDMでもなんでもいいので、「みーつけた」といってわたしをつかまえてください。きっと、とても喜びます。

見つけてくれてありがとう。また見つけてくださいね。


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