ボクが知らなかった坂本龍一と友部正人の絆 初レコーディングとバイト時代
坂本龍一さんが2023年3月28日、死去して2ヶ月。米アカデミー賞作曲賞を受賞するなどした世界的音楽家はまだ71歳だった。
ボクは教授のことを詳しくは知らない。YMOにもハマらなかったがクラプトンがカバーしたBEHIND THE MASKは好きで、忌野清志郎と演った♬いけないルージュマジックや♬戦場のメリークリスマスや幾つかの楽曲、稀に参加するコントなどは大好きだった。亡くなってから故人の偉大さに圧倒されることがあるが、教授の場合もそうだ。今、読んでいる本📕SELDOM-ILLEAGAL 時には違法(角川書店) を読んでいたら、友部正人さんとの事が書かれていて驚いた。
私の友人のミュージシャン三宅伸治とたまに活動(故 鮎川誠氏と3人で バンド3 KINGSをやったり)をしていたこともあり、3人でBillboard Japanにコンサートを見に行ったこともある。真面目で優しい人柄の先輩という印象で、優れた作品を作り続けている方だ。
坂本龍一さんの初レコーディングは、友部正人さんだったと、本に書いてあった。
教授は、就職する気は皆無で学生の身分を延長するために、東京芸術大学の大学院まで行ったと語る。就活というものは一度もやったことがない、と。そして、金を稼ぐために銀座のクラブやホテルで酔客相手にピアノを弾いていた。ひと月やることをハコといい、当時、月12万円ほどもらっていたらしい。脱線するが、地下鉄工事のバイトもやったらしく、「深い深い地下にある(千代田線)新御茶ノ水駅はワタシが工事したんですよ(笑)」とも語っている。日に9時間働いてヘトヘトになり4500円と、キツイ分、バイトとしては良かったと。でも、3日でやめたらしい(笑)。
新宿ゴールデン街で出会う
ハコだと同じ場所で1月単位で通い、30分ステージを4,5セット弾くので、飽きるししんどいから「トラ」(エキストラ)といって、ハコの代役で色んな場所に行く方が、性に合っていたという。そんな中、新宿ゴールデン街の飲み屋で、隣で飲む友部正人と出会ったという。長髪でギターを持つヒッピーみたいな風体だったようだ。実はオレ、芸大でピアノを弾くんだ、と話したら、翌日のレコーディングに誘われたという。『フォークはあんまり好きじゃなかったけど、適当にピアノで伴奏したら、そこで2,3時間で1万円にもなっちゃって、スタジオ・ミュージシャンってのはオイシイ!と、もうハコとかトラとかやってらんない、と。クラブとかとちがって好きに弾いてたらいいんだもん、楽』
坂本龍一、23歳の時のエピソードだ。
⭐️ 坂本龍一が参加した友部正人の名盤アルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」で坂本は3曲弾いている。
坂本「友部も、音楽的にはわりと単純だけど詩が面白いし、詩人だというんで、こっちもヒッピーだから面白いって言うんで、レコーディングの後、友部と半年くらい、日本中のライブハウスを回ったりしてさ(笑)。おかしいでしょ?映画見たいでしょ?半年くらい、友部と、彼のマネージャーと3人でぶらぶらスケアクロウしていたわけ。日本中を歩いたんだよ。大体、大学院に行って卒業するまで延べ1週間ぐらいしか学校なんて行ってないんだから」
*スケアクロウ=70年代の映画で、ジーン・ハックマンとアル・パチーノのロードムービー
当時の話を友部正人が週間朝日に語っている
友部「僕が坂本龍一に会ったのは、彼が音楽家として軌道に乗る前のこと。僕の4枚目のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」のレコーディング中でした。まだ東京芸大の院生で学生だったからか、子どもっぽく見えた気がします。初めて会った翌日、龍一がスタジオにやってきました。事前にどういう曲をやるのか、コードはどうなのか、まったく説明をしないまま僕が歌いだす。するとリュウイチはピアノでついてきて合わせてくれる。びっくりしました。彼が参加したのは3曲ですが、今聞いても音色がとても深い。その3曲が、アルバム全体の空気を作っているような印象的な存在だと思います。
あるとき、「もっと(曲の構成を)工夫したら?」と言われたことがあって(笑)。僕は基本的には3コードの曲ばかりなのですが、それでちょっと工夫した曲を聞かせたら、「このほうがいいんじゃない」と言われたことを覚えています。考えてみれば、ずっと音楽の勉強をしてきた彼とフォークのことだけやってきた僕が一緒にやってたのも不思議な話ですね」
坂本「友部って、そんなにメジャーじゃなかったんだろうけど、まあ、フォークロック業界では、日本のディランとか言われるほど名前が知られていた。ぼくは無名だけれども、友部とやっているピアノが面白いというんで、なんか仕事が来出しちゃって、当時、もの凄くヒットしていたりりぃのバックなんかをいきなり頼まれたりして1年くらいやって、ツアーとかもやって、一晩でステージ1時間半で、2万円とか2万5千円とかなっちゃうわけよ、アゴアシ枕、タダだからギャラはそっくりお小遣いになって、もう裕福なわけで、気づいたら、アレンジやって、好き勝手やれるわけ。りりぃのバックでフュージョンとかファンクとか、もう難しいドラムスなんかビシバシ叩いて、分かる?ハコでシャンソン弾くより面白いし、金もいい。バックバンドも最高。でさ、スタジオアレンジとかも楽譜とか書いて、ハイとか言って指揮しちゃって、みんな、おう!とか思っちゃったわけ。それが間違いのもとだった(笑)。でもプロになろうなんて思ってなくてさ、バイト、いいバイトって気分だった」
りりぃ vo,key
坂本龍一 Key,synyh,v
伊藤銀次 g,v
吉田健 b,v
上原裕 ds,perc,v
斎藤ノブ perc,v
村岡健 sax
平野肇 ds
りりぃのライブ音源(1976)
友部正人「龍一は、その後、いろんな人と会って、セッションして、人の間を魚のように泳ぎながら成長していったんだと思います。その出会いによっては、全然別の方向に進み、映画音楽も作らないしアカデミー賞も取っていない坂本龍一だったかもしれません。 もしずっと生きていたら、また一緒にやることもあったかもしれませんね。そのときもやっぱり即興でピアノを合わせてくれるのかな」
友部正人 はじめぼくはひとりだった 他
一本道 友部正人&三宅伸治
反復 友部正人と三宅伸治
THE ALFRE 坂崎幸之助が語る友部正人
吉田拓郎が嫉妬し、井上陽水が憧れた
SELDOM-ILLEGAL 時には違法 / 坂本龍一
(角川書店)