レポ45:柏原港西防波堤灯台(2019/12/29)
かつて官営八幡製鉄所により一大工業地帯となった福岡県の北九州地域。遠賀(おんが)川と国道の交わる海と陸の交通の要衝であった港に佇む防波堤灯台を訪れます。
=================================
年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。
※今後も不定期で灯台情報を更新していきます(無料)。ご興味のある方は『全国の灯台巡礼レポ』をフォローお願いします
◼️レポ45:柏原港西防波堤灯台(2019/12/29)
福岡県の一級河川である遠賀(おんが)川。明治20年ごろには河川周辺に炭田が開発され、石炭輸送で活躍しました。
福岡県遠賀郡はその遠賀川を挟むようにあり、河口一帯は芦屋(あしや)町となっており、江戸から明治時代までは石炭積出港として繁栄しました。
その後、鉄道開通などで若松港に積出港の機能が移りましたが、近年では漁業に力を入れ、響灘のケンサキイカを「あしやんいか」と命名しブランド化に取り組んでいます。すぐ近くの海の駅で食せます。
河口の突き当たりに見えるのは「洞山」と呼ばれる場所です。正確には2つの岩池が連なっており、手前に見えるのが「堂山」で、沖にあるのが「洞山」だそうです。
蛭子宮が祀られている鳥居の隣に、町指定有形民俗文化財の「堂山の石塔群」が祀られています。
明治30年ごろに柏原(かしわら)に住む老女がこの堂山に延命地蔵堂の建立を発願し工事したところ、地下から石仏など三百数十基が出土したとのこと。
石仏は、壇之浦の合戦後に平家一門の追悼のために落人が密かに祀ったものという説と、平安時代に平家方で闘った武将の山鹿(やまが)兵藤次秀遠の部下である山鹿水軍の遺族が供養のため造立したという説がある。
堂山周辺の千畳敷は、釣り人の絶好のスポットとなっており家族連れで憩いの場所となっています。遠方に見えるのは同じ遠賀郡の岡垣(おかがき)町。
「洞山」の方は立ち入りが出来なさそうだったので、堂山をぐるりと一周すると、防波堤が見えてきました。
こちらも灯台への防波堤はネットで立入禁止のようになっていますが、ちょっとだけお邪魔することに。
昔ながらの電柱が防波堤上に連なっており風情がありますが、灯台までは続いていない様子。電灯用にしては贅沢なので昔の名残でしょうか。
防波堤灯台は極めてシンプルな赤灯台のデザインです。昭和40年に初点灯しました。
灯器はLED化されています。この日はぼやっと薄暗い天候だったので、早めに点灯していました。
対岸には「波懸け遊歩道」と「千畳敷の狩尾岬」という観光名所があります。
それほど大きくない港ではありますが、漁港から眺めると洞山の自然が間近に感じられて港と対照的なのが面白いです。ぐるりと船着場を囲むように防波堤が広がっています。
ちなみに遠賀川を挟んだ対岸の右岸部には芦屋港と芦屋海浜公園が広がっています。対岸へ行くには、なみかけ大橋を渡れば車で5分ほど。
芦屋浜はビーチになっており、波も穏やかで家族連れにも人気です。
現在は防砂林として松林の植樹活動がなされていました。シーズン期にはマリンレジャーをされる方で賑わいます。
芦屋浜にも離岸防波堤に白灯台がありますが、こちらの灯台もシンプルな立ち姿です。
工業都市に隣接しながらも自然を感じられる港町の灯台、ということでまた過ごしやすい季節に訪れてみたいです。
村上 記
年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。