レポ41:部埼灯台(2019/10/22)※一般公開
九州の最北東部にある部埼(へさき)灯台。令和天皇の即位礼正殿の儀が行われる日を祝した灯台一般公開日に、九州最古の現役洋式灯台を訪れました。
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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。
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◼️レポ41:部埼灯台(2019/10/22)※一般公開
部埼(へさき)灯台は福岡県北九州市の最北東部にあります。最寄りのバス停から徒歩30分以上はかかる場所にあり、おそらく灯台目当ての人と釣り好きの太公望しか訪れないでしょう。
舗装道路の突き当たりまでたどり着くと、一方が鋭く削れた丘が見えてきました。この丘に部埼灯台はいます。
終着点まで到着するとこれまた急斜面に、ジグザグ状の階段が設置されており、その丘の上に灯台が顔を出しています。
灯台までは120m。昨年工事が行われ、灯台までの道が格段に綺麗になりました。
階段を上ると即位礼正殿の儀を祝う万国旗を掲げた灯台とご対面。一般公開時間ちょうどに訪れましたが、既に熱烈な灯台ファンの皆さんが駆けつけていました。
灯台一般公開日には、普段立ち入れない灯台内部を見学することができます。特に部埼灯台は貴重なフレネルレンズを設置していますので、間近に見れるまたとないチャンスです。
灯台内部に入るとすぐ、急な階段が現れたので、心許ないロープを手繰りながら上ります。
上ると灯ろう部の台座の下に出ましたので、もう一段上に上がると、そこには太陽光の下でも煌めく灯台レンズが。
息を呑む美しさです。
部埼灯台は「連成不動単閃白光 毎15秒に1閃光」という灯質(光り方)ですが、これは不動光という一定の光を出し続けている中に15秒に一度ビカッと強い光(閃光)を発する光り方です。
通常の灯台は、それを二つの灯器を使って表すそうなのですが、部埼灯台はレンズの回転だけで表現するとのこと。
つまり、上段レンズは光を水平方向に常に発して近場の船に知らせる不動光。そして中段の円形レンズは光を中央に集中して発して遠方の船に知らせる閃光。狭くて複雑な関門海峡ならではの灯質となっています。
海上保安部の職員さんが丁寧に説明してくださいました。
灯器部の中はこのようになっています。
小さいのは予備灯だそうです。
レンズが設置されている台座部には刻印があります。"SAUTTER HARLE PARIS 1894"と刻まれており、これはフランスのレンズメーカーのソーターハレー社が1894年に作製したという意味で、歴史ある灯台の証左です。
レンズには、もう一つ刻印がありました。"C&J FAVRE-BRANDT.REPRESENTANTS"と書かれており、これは輸入商社の「ファブルブラント商会」のことだそうです。
灯ろう部の外に出ると瀬戸内海のパノラマが広がります。奥には満珠島、手前には僧清虚火焚場跡が見えます。
灯台のある台座部には免震装置が付いています。
謎の三角ガラスが架けてあります。後日、灯台通の方にお聞きすると、玻璃板(はりはん)と呼ばれる灯室を囲むガラスのスペアではないか、とのことでした。
1階には暖炉のようなものが備え付けられています。かつては灯台で内勤されている方の暖をとっていたと教えて頂きました。
灯台の外に出ると、天皇即位を祝うかのような青天の下に風格ある灯台がいます。
丘の下には部埼灯台が建てられる前に、「念佛崎」と呼ばれるほどの航海の難所であった眼前の周防灘を通過する船舶を守るため、13年もの間、目印となる火を焚き続けた僧侶の清虚像が建立されています。
でも実際に火を焚いていたのは灯台のある場所より高所だったそう。現在は崖が崩れてしまい無くなってしまったそうです(冒頭の写真で削れてしまっていた部分)
その清虚の想いを受け継いだのが、その後の村人たちであり、部埼灯台だとも言えます。そう考えると、灯台の歴史以上の重みを感じることができます。
村上