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レポ70:玄界島灯台(2021/1/11)

福岡県福岡市西区に属する玄界島(げんかいじま)。都会の喧騒を離れた自然豊かな小島に独り佇む趣のある昭和初期の灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ70:玄界島灯台(2021/1/11)

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福岡県最大の都市、福岡市。毎年クルーズ船の寄港数でトップ争いをする博多港ですが、福岡湾の出入口を見守るように玄界灘に面した玄界島(げんかいじま)。島へはベイサイドプレイス博多から渡船可能です。

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玄界島まで運んでくれるのは2019年に就航した『ゆうなみ』です。航行時間は必ずwebサイトで確認するようにしましょう。

 参考:玄界島への交通・アクセス

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船内は大変キレイです。片道約35分の船旅もゆったりと過ごすことが出来ました。

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途中、博多港東防波堤灯台(白塔)や博多港西防波堤北灯台(赤塔)が見えました。普段は陸地からかなり遠くにある離岸防波堤なので、こんな距離感で眺められるのは貴重です。

この日は天候が悪かったからか、船の外には出られませんでした。残念無念。船内撮影なので窓ガラス越しで青っぽいトーンになっています。

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とても可愛らしい小さな島にある博多港端端灯台(白塔)や玄界島到着の際には離岸防波堤にある玄界港第6号防波堤南灯台(赤塔)も見えます。

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玄界島は約400人(20年11月末時点)が暮らしている、周囲約4kmほどの島です。島民は皆、島の南東部に住まれているとのこと。
山の中腹に見える施設は玄界小中学校です。

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島はかつて殆どの道が階段だったそうで、階段が鳥の雁が斜めに並んで飛ぶ姿に似ていることから「雁木段(がんぎだん)」と呼ばれていたそうです。

それが2005年3月20日に発生した「福岡西方沖地震」により住宅の半数が半壊するなどの被害を受け、その復興工事の際に斜面移動用エレベーター(下記画像)の設置や車道などが整備されました。

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現在も自然に寄り添うように生活圏が作られており、非常に美しい整然とした街並みです。

玄界島灯台への訪問では、まず玄界小中学校を目標に向かいます。港からも見えているので迷うことはないです。登り階段を頑張るだけ。
元々は中学校はもう少し東にありましたが、地震で小学校とともに被災し、立て直しにより小中併設の学校になりました。

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港の待合所にある玄界島マップには、玄界小中学校は「福岡市一、ロケーションの良い学校」とのふれ込みでした。確かに校舎から臨むこの素晴らしい風景が見えるのは魅力でしょうね。

通学での階段登り降りは大変かもしれませんが、高い位置に建てたのは津波対策でしょうか。

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灯台へは小中学校の校門横の道を奥に進みます。
イノシシ注意だそうです。

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途中、若宮神社を横目に通過します。

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ここから先は旧中学校があるだけです。
ただ、灯台への入り口はこの通路の途中に不意に現れます。

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冬場でも雑草など放置状態で見えづらかったので、夏場はもっと分かりにくいかもしれませんが、この赤いシールが巻かれた棒が目印です。

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ここから先は荒れ道で危険も多い。ということで、今回は動画撮影して灯台に至るまでの道のりの一部始終をYouTubeにアップしました。
スマホカメラ片手に歩いているので、画質は非常に粗く、解説もしどろもどろですが雰囲気は伝わるかと思います。

最重要メッセージを記事本文にしておくと、「灯台への電線から目を離すな(でも足元もよく見て転ばないように)」ですね。

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……そんな訳で、玄界島(げんかいしま※発音は濁りません)灯台に到達しました。鉄扉は常時開放されているようです。

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玄界島灯台は1934年(昭和9年)に初点灯の灯台です。昭和初期の灯台ですが、フォルムに丸みがあって可愛らしいですね。
灯台後ろの退息所跡が広く感じます。

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玄界港の待合所に昭和30年代に撮影された玄界島灯台が展示されていましたので、現在の姿と比較してみたいと思います。
中景で少し分かりにくいですが、退息所は灯台のすぐ後ろにあるので、現在の跡地とほぼ一致しますね。

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何となく灯台の前面にある甲冑みたいな部分が、当時よりも分厚くなっているというか、付け替えられているようにも見えます。

これは仮説ですが、恐らく灯台の建っていた地形が変わり、新たに足場を作る必要があるため甲冑を着せ替えたのではないでしょうか。

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この一見無意味に見える下り階段は地形が変わったことにより新たに作った足場なのでしょう。

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階段を降りて見上げてみても、灯室は全く見えませんでしたからね。訪問した時は「何じゃこりゃ」と不思議な空間でした。

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真後ろから見ると本当に鉄壁の騎士のようですね。絶妙に左右対称でないところがカッコいい。でも兜(灯室)の損傷が痛々しいです。

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その眼は貴重なフレネルレンズを携えています。

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敷地入口のそばにある日時計跡も、当時の趣きを醸し出しています。でも、先程の昭和30年頃の写真には写ってなかったように思えたのは気のせいでしょうか。

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玄界灘から福岡湾を訪れる船舶を見守る玄界島灯台。訪問中も貨物船が頻繁に出入りしていました。

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暗くなると帰り道が非常に危険なのですが、暫く待つと、日の入り前にレンズが点灯し始めて、束の間のエメラルドタイムを鑑賞することが出来ました。

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すぐに灯台の光は神秘的な緑色から温かみのある黄色(白光)へ変化していきます。

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日没直後のマジックアワーの空と黄色に輝く、レンズの煌めきのコントラストの美しさは、海にポツリと浮かぶ宝石のよう。

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この時期は水仙が咲き誇り、独り働く灯台を彩ります。

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島全体を襲った未曾有の震災も耐え忍び、90年近い時を過ごしてきた玄界島灯台。
その後ろ姿には頼もしさを感じさせるとともに、ほんのりと哀愁を漂わせているようにも感じ取れました。

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このような灯台を是非とも未来に継承していきたいです。

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※日没後の灯台からの帰り道は本当に危険なためオススメはいたしません。訪問する際はくれぐれもご注意ください。

村上 記

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続・灯台護(とうだいもり)プロジェクト
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