「地元」の解釈について。ロックリー氏に対するデマの発生過程の推測
すんげーマイナーな論点ですが、ロックリー氏をめぐる論争の中ではけっこう重要だと思うので短い記事を書きます。
でね、なんか私がロックリー氏の本について発言すると「お前は間違ってる! ロックリーは嘘つきだとユーチューバーが言ってた!」みたいな人が話しかけてくるんです。やめて。悲しくなるから。ロックリー氏の日本語著作『信長と弥助』は無料サンプル部分もあるのでせめて自分の目で読んでからにしてください。いいか無料サンプルがあるんだぞ2回言ったぞ。
ロックリー氏に対するデマの中で最大最悪のものだった〈ロックリーは黒人奴隷は日本発祥だと主張してる!〉という言説。デマだと理解されたのか、昨日(2024年7月27日)から急に沈静化しましたが、それまで10日間ほどツイッター(現X)や動画サイトを席巻していました。まだ言ってる人も多いですけどね。その様子は以下のツイートやメディアを見ていただければと思います。
「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥 (2024年7月25日)
アゴラ 第2の慰安婦問題か?「日本が黒人奴隷を生んだ」というデマが世界に拡散 (2024年7月18日)
ニッポンジャーナル 【全編無料】「"日本が黒人奴隷を生んだ"というデマが世界に拡散」など内藤陽介&井上和彦が話題のニュースを深掘り解説!
(2024年7月19日)
さて、このデマが非常に興味深いのは、ロックリー氏の記述や意図とまったく逆なところです。ただの誤読ではなく、正反対の誤読。
『信長と弥助』は、黒人が西洋では奴隷だった時代に日本では弥助がサムライに出世したと主張する本です。なので、黒人奴隷はあくまで海外の文化であって日本人は黒人に偏見がなかったはずだ、という対比をいろんな角度から述べています。涙ぐましいほどの努力です。それも当然で、黒人イコール奴隷だったら弥助がサムライになれないやろがい。なのに、正反対のデマが吹き上がった。
その理由を考察してみましょう。どんな片言隻句でも曲解する人がいるってだけの話なのですが、その発生過程を推測できる気がします。問題の箇所を見てみましょう。ロックリー『信長と弥助』の第一章です。
日本の地で「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」とたしかに言っています。でも「地元」という限定があるので、日本全体に黒人奴隷がいたとか、日本に黒人奴隷制度があったみたいな解釈は不可能。この一文をみただけでしょーもないデマだとわかる。でも、その2つ前の文をみてみましょう。
「イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制に反対しており、通常はアフリカ人を伴うことはなかったからだ」。……ん? キリスト教の坊さんは黒人奴隷を連れていなかったのに、日本で黒人奴隷が流行した?
なんてことだ! 日本人が最初に黒人を奴隷にしただと!? 黒人奴隷の歴史を日本に押し付けようとしている! これは歴史戦だ! ロックリーとかいう嘘つき野郎を今すぐぶちのめさないと大変なことになる! ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!
デマの発生理由がいきなり判明してしまいました。そうです、「地元」「通常は」「貿易商たちが〔…〕アフリカ人を伴うことはあったが」といった語句をすべて読み飛ばせば、〈黒人奴隷は日本で始まったと言ってる!〉になるのです。いやいや、読み飛ばさないでよ。
その直前の段落をみてみましょう。
「地元」というのが〈九州北部の内陸部でイエズス会士の布教拠点があり、かつヴァリニャーノが巡回した地域〉を指していることがわかります。ヴァリニャーノっていうのはイエズス会のアジア方面トップの偉い奴で弥助の主人ですね。かなり限定された話です。考えてみれば当然で、黒人をみたことがない日本人が黒人をほしがるはずがない。そして黒人を連れて内陸部まで行ったのはヴァリニャーノくらいだったと言っているので、その範囲ということになります。
さらにこの少し前、第一章の最初(つまり本書の冒頭部)をみてみましょう。
史実には基づくけど、「推理して、空白のピースを埋め」、「読者諸兄とともに歴史探偵の旅」に向かうんだと宣言してるわけです。ようするに、手に入るだけの史料を使ったうえで推理したよと最初に断ってる。こういう歴史読み物はよくある。きわめて明快です。
第一章の少し後ろのほうもみてみましょう。
第一章の前半は特に「物語形式」だよとふたたび念押ししている。ただし全くの創作だとも言ってなくて、史料がないところはほかの史料から推理して物語形式に仕立て上げたんだ、と。さらに少し後ろをみましょう。
弥助の人生の「再現を試みた」ですから、史料には基づいてるけど推測なんだと、しつこくダメ押ししています。そしてどんな史料を使ったのかも明記しています。事実だとは主張してないし、純粋なフィクションだとも言ってない。弥助についての史料がないところはほかの史料から推測して埋めてみたよ、と言っている。
うん、なんかけっこういい本な気がしてきた。むしろ、この手の本のなかではすげー面白いのでは!? 〈このときここでこういうことがあった。弥助もそこにいたかもしれない〉の羅列にすぎないんだけど、弥助という黒人が戦国時代に信長のそばにいたのは事実なんだから、一つ一つの推理は〈そうかも?〉と思えるレベルで面白い。ただ、仮説のなかでいちばんいいと思うものを隙間なく連ねてる。なんつーかね、引き算がない。でもいいと思うよ。それを書きたかったと明言してるわけだから。第二章以降は物語形式はやめて(ふたたび物語形式にしてる箇所もあるけど)史料の考察が始まる。それもけっこう面白いんだわ。
さて、ちょっと私の感想に脱線してしまいましたが、ということは問題となった「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」も推理の部分なのです。学説として述べてるわけではない。いろんな史料からロックリー氏はそう推理するよ、というパートです。これを読み誤る人はいない…… いないはずなんです……。
もう一度、問題の箇所をみてみましょう。
さて唐突ですがここで私は、デマを流してしまった人たちに同情します。1ミリくらいね。「地元」っていう言い回しがちょっとわかりにくいんですよ。どこを指して「地元」なのか。これはあくまで私の推測ですが、英語をよく読む方ならピンとくると思います。おそらく英語原稿では local(ローカル)ですね。 local とは何か。
local というのは困った単語で、固定的な意味はまったくありません。一つの村だろうと国だろうと大陸だろうと惑星だろうと、何らかの全体の一部の範囲であれば、なんでもかんでも local と形容されます。ファンタジーやSFを読む人ならお馴染みだと思いますが、local people(地元の人たち)というのが何を指すのかなーと読解すると、「その大陸の人々」や「その星の人々」だったりします。そういう場合は「その地の」「その星の」とか、意味を汲んで訳します。もちろん日本語の「地元(特定の主体の活動範囲)」と同じニュアンスのことも多いけど、そうじゃないことも多い。「(全体や外との対比で)いま話題にしているそのあたりの」くらいの意味しかなく、文脈しだいです。
なのでこの箇所の「地元」は、さきほども言ったように「九州北部の内陸部でヴァリニャーノが弥助を従えて訪れたさきざきの地域」という意味になるわけです。そう訳されていれば誤読を防げたかもしれない…… けど、ふつうはそんなくどい訳し方しないよ! 一つ前の段落を読めばわかるんだから「地元」で十分です。これはしょうがない。
で、「地元」の意味がわかってみると、「キリスト教徒だろうとなかろうと」というフレーズの意味もわかります。〈イエズス会が布教活動をした地域では、キリスト教にすでに改宗した名士であろうと、そうでない名士であろうと〉と言いたいわけですね。
ここまでをまとめましょう。「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。」という箇所は、〈九州北部の内陸部でイエズス会の布教拠点がありヴァリニャーノが弥助を従えて巡回した地域の名士のあいだでは、すでにキリスト教に改宗した者であろうと改宗していない者であろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったかもしれない、と筆者は推理するよ。〉という意味です。
そしてこれは意外と無理のない推理なのではないか(ここは私の感想です)。イエズス会士や貿易商が従えていた黒人は何らかの技能をもちそれなりにまともな待遇だったことでしょう。海の向こうから連れてきた途方もなく貴重な存在ですからね。肌が真っ黒で珍しい衣装に身を包んだ従者やボディーガードをイエズス会士や貿易商にみせびらかされた日本の大名が「スゲェ!俺もそういうの召し抱えたい!」と思ったとしても不思議はない。ポルトガル人と交流してる時点で新しもの好きなわけです。「キリスト教徒だろうとなかろうと」というフレーズも、戦国時代の日本人は新しもの好きだったと言いたいのだと読めます。そして現に信長が召し抱えたわけです。
でも、なんでロックリー氏はそんな推理をしたのか? ロックリー氏がこれを書いた意図がわからないから誤読された面はあるでしょう。でもこういうときは本全体を読めば意味がわかることが多い。探してみると次の箇所があります。
「弥助が日本人に雇われた最初のアフリカ人だったかどうかは定かではないが、リチャード・コックスによれば数十年のうちに、数多くのアフリカ人が日本で雇用されるようになった」。
つまり、〈日本で初めて黒人を雇ったのは信長だ〉と記述していいのかどうかを考えたときに、〈この時代に日本人が黒人を雇う例がけっこうあったと言っている史料がある。ということは信長より前にも例があったと考えた方が自然なのではないか〉とロックリー氏が考察したということではないでしょうか。貿易商やイエズス会士が黒人奴隷を従えて九州で活動していたことは前提なんだから、これも無理のない推測にみえてきます。
私のみるかぎりロックリー氏は史料を捏造したり嘘をついたりしてないんですよ。すげー調べまくってて、奇妙な主張にみえるところも全て根拠がある。その史料からそこまで推測するのは想像が逞しすぎやろー、ってのはあるけど、一つ一つの仮説は〈そうかも?〉という根拠がある。引き算があんまりないけどね。明確にだめな説は退けてるけど、足し算で考察していくから、そのやり方だといわゆる歴史読み物だよ、とプロの研究者には言われちゃうだろうし実際に言われてる。でも面白いよ。弥助と関係したありとあらゆる史料を集めて考察してる。
で、この箇所には注がありませんが、2つ前のセンテンスと同じ文献に基づいているのでしょう。私には注の文献の内容まで検証する根気はないので、その信頼性については歴史クラスタの人たちにお任せします(すでにその考察が始まっているようです)。
いい加減に長くなってきたのでまとめます。
ロックリー氏は〈黒人奴隷は日本発祥〉なんて言ってない。むしろ、日本以外では奴隷の扱いがいかに酷かったかを本書全体で強調してる。〈秀吉が奴隷貿易を禁止したことをロックリーは知らないのか!〉とか怒ってる人たちもいましたが、それも本書に書いてあるんだってば。なんなのもう。
イエズス会についても、結局は抜け道を作ってイエズス会も黒人奴隷を使ってたよ、と欺瞞性が強調されています。弥助自身については奴隷ではなく雇用だった可能性を挙げていますが、信長へと献上されているわけですから結局はイエズス会の所有物みたいなものでしょう。ともかく、イエズス会は清貧になんて描かれていません。ちなみにジェラール氏との英語共著では、銃や奴隷を貿易するポルトガル商人と表裏一体という側面が強調され、人殺しの道具を渡すのと引き換えに魂の救済活動している、と皮肉っているくだりもあるほどです。ロックリーお前大丈夫か? イエズス会に出禁くらったりしてない?
そしてそもそも、ポルトガルなど海外の奴隷貿易の歴史を何十ページも解説している。弥助のルーツを推測しようとしてるんだから当然そうなります。その中でポルトガルの奴隷貿易は15世紀に始まったと明記してる。弥助が日本にきたのは16世紀です。黒人奴隷の始まりを日本に押し付けようとしてる!なんて読みは絶対に不可能。不可能なはずなんです……なんなんでしょうねほんと。
結論です。デマを流した人たちは、問題だと思ったそのセンテンスをよく読んでないし、その前の段落をよく読んでないし、本の出だしもよく読んでない。もちろん通読なんてしない。うーむ。これはもうどうにもなりませんね。解決策はありません。日本人のリテラシーを高めねば!とか叫ばないでくださいね。たぶん人間というのはこういうものなのです(私を含め)。おしまい。
すでに否定的反応の一部が予測できるので予め答えておきます。
問題はそこじゃない!お前は問題を矮小化してる!
→ 「地元」という一語を論じるだけでこの長さの記事になるんだわ。きみはきみの問題を論じてくれ。頼む。
日本語版しか読んでないのかよ!ロックリーは日本語版と英語版で本の内容を変えてるのが問題なんだよ!ってユーチューバーが言ってた!
→ 両方読んだよ。ロックリーには日本語書籍一冊と英語共著一冊があるんだよ。著者構成からして違うんだから、別の本なの。内容を批判したければ批判すればいいけど、同じ本の「日本語版と英語版」なんてない。「この本には日本語版と英語版がある」と言った時点で全員デマ屋なの。
お前はアサクリ問題の全体が見えてなくてうんぬんかんぬん
→ アサクリやったことないからわからん。すまんな。
Wikipediaとブリタニカの改竄が本当の問題でうんぬんかんぬん
→ 前者は何回か編集したことあるけどロックリーの何がそんなに悪いのかわからんのだわ。きみらは普段からウィキペディアンだから悪さがよくわかるってこと? ほんとすまんがピンとこない。後者はもっとわからん。
ロックリーを擁護するお前は○○(=任意のとても巨大な悪)の手先だ!
→ よくわからんて。ロックリー擁護にみえるんだろうけど、私もロックリーに対するデマをいくつか流したかもなんだわ。ロックリーすまん。
これだけ言っても「お前は間違ってる!ちゃんとこのまとめ動画をみて勉強しろ!」とか言われると思う。かなしみ (´;ω;`)
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