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「東大生として生きるのが嫌になったら」チアリーダーズ三年 りお

美容院で大学名を聞かれたときに堂々と即答出来ない私はしょうもがない人間という自覚はあります。
「東大です!」って元気よく答えたら自慢に聞こえる?かといってよく聞く「一応東大です」もなんとなく感じが悪い気がするし、誰か正解を教えて~と思いながら、「東大なんですあははは」とへらへら答えるのが私です。大学名ごとき誰も何にも気にしていない、自意識過剰と言われたら確かにそうなのですが、東大ブランドの威力がまだまだ健在している日本社会で東大生を名乗るのは、その途端急に自分にフィルターを掛けられてしまう気がして、少し気がひけてしまう場面があるというのが本音です(これはコミュニティによっても変わります!東大生があまりいない場所だとそういうこともあるよっていうお話です)。私は東大ブランドにずっと苦手意識を感じてきました。メディアを始めとする世間がイメージする東大生像は私が憧れる人間像ではなかったから。桁違いに頭がいい、勉強漬けで生きてきた、変わり者、眼鏡、プライドが高い、面白みに欠けるなどなど。東大に受かったことを報告した時、第一声が「モテないよ~」だったこともあれば、東大生の割にはコミュ力あるねと言われたこともあります。漢字や計算で分からないことをやたらと聞かれ、答えられなかったら東大なのにごめんなさいと気まずくなるのはあるある。過度にすごい人だと期待されるのに、どこか下に見られるのが東大生なのかなって思っていました。それがすごく嫌で東大であることを隠したり、自分からは名乗らないようにしていたことが何度もあります。せっかく自分が夢見た大学に入学したのに、その大学を名乗ることに引け目を感じるなんて悲しいですよね。でも次第に気づきました。東大というブランドの強さを一番過大評価し、ビビっているのは自分自身だということに。大学内には本当に多岐にわたる分野で活躍し、自分を磨いている学生が沢山います。そんな人達にとって東大は単に自分が学びを深めるための、ある一つの大学にすぎません。世間がどんなフィルターをかけようと被写体本人の輝きで黙らせる、むしろより美しく魅せる、そんな力を持った学生(例えば応援部の先輩方✨)が沢山いることに気づいた時、東大を名乗ることが怖くなくなりました。世間からかけられることのある東大というフィルターは私の見られ方を変えるかもしれないけれど、私自身を変えるわけではない。そのフィルターは私を美化するものでも、悪く写すものでもなく少し味を加えてくれるもの、大事なのは自分がどういう人間であるか、どんな人間を目指すか。そう思ったら、東大ブランドに変に怯えていた自分はすごく小さくて恥ずかしかったなあと思うようになりました。東大生として生きるというのは得すること損すること色々あるけれど、結局全部自分次第。「東大生」というアイデンティティに捉われず「東大に通う学生」程度の認識で人間力を上げていきたいなと、深いのだか浅いのだか分からない(どう考えても浅い)ことを長々綴るチアリーダーズ三年りおでした。

P.S
こんなことを言っている私が図々しくも、堂々と東大を背負おうとし、東大しか勝たんと叫ぶ場所が応援部です。東大運動部の方々の輝きは女子も男子も半端ではありません。応援させて頂いている私達も絶対キラッキラです。先週末の東京六大学野球明治戦、熱くて、東大強くて、最高で、でも負けて最強に悔しくて、とんでもなく心を揺さぶられました。ただでさえ嬉しい長く続く攻撃回、ずっと弾ける笑顔でキレキレに踊る後輩の成長に感動して二重の嬉しさを感じました。大学生になってもまだ、こんなに沢山の感動に出会えるのは応援部に所属しているからだなと常々感じます。春リーグの神宮応援ぜひ来てください!新入生、まだ知らない感動に出会いに、そして東大を背負いに応援部においでください!

チアリーダーズ三年 りお

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