11:用語解説 前編「マインド」とは何か? 「エゴ」とは何か?
今回は、これから使用するであろう用語について、その定義を解説してまいります。
なるべく専門用語的なものは使用しないように努めてまいりますが、たまにパッと出てくるかもしれないので、出てきたときに混乱が起きないように書き留めておきます。
とはいっても用語は2つ。
2つなら別にしなくてもいいのかもしれませんが、色々と明確にしといた方がいいので、この際だからしておきましょう。
マインド
まず「マインド」について。
マインドというのは思考およびその付属物(思考に伴い湧いた感情や感覚)のことで、中村元大先生の和訳をはじめとして日本では「心」と訳されていますが、大雑把にいえば
マインド≒思考
と思っていただいて結構ですし、私はそう思っております。
本noteでは「マインド」なんて横文字は使わず、できる限り「思考」という言葉を使ってまいりますが、何でこのマインド(≒思考)が苦しみと関係あるのかというと、
人類の殆どが、思考を適切に使う代わりに、マインドに呑まれているから
人類の殆どが、「思考=私だ」と思い込み、そう思い込んでいることにすら気付いていないから
であります。
思考とは丁度「火」のようなもので、上手く利用すれば火の如く色々と役に立つのだけれど、現代人の殆どが火の扱いを誤り「火だるま」になっている状態で、そこから苦しみが生まれているのであります。
※その火だるま状態から抜け出すのが本noteの主題。
これを読んでいる時点で「何を言っているのかさっぱり分からない」という人でも、後に紹介する訓練(しかもタダでできる)を実践すれば、自分がいかに思考に呑まれ、問題でないものを問題と決めつけ、苦しんでいるかが分かるようになります。
エゴ
その思考の中でも一番苦しみを生み出しているのが「エゴ」というもの。
エゴとは一言でいえば、上でも書いたけど
「『これ※』こそが私自身だ!」と思い込んでいる思考
のこと。
「これ※」には思考、身体、知覚、所有物、財産、肩書、社会的役割、状況、人生、過去の出来事等々、様々な「形」が入り、この「形」を総称して「エゴの中身」と呼びます。
そして、「『エゴの中身』こそが自分自身だ!」と思い込み、何の疑いも抱かないことを「エゴの構造」と呼びます。
この「中身」と「構造」により、例えば、何らかの出来事が他人の身に起きたら、無関心、嘲笑、嫉妬のどれかだけど、自分にそれが起きたら一大事、みたいになるといったことが起きるわけです。
要するに「エゴ」とは、これを読んでいるあなたを含めた「普通の人」が、毎日起きてから寝るまでしている「普通の思考」のことです。
そして、「普通の人」は、思考やエゴに囚われ、そして囚われていることにすら気付かず、一生を終えるわけです。
エゴの核心―「無」への恐怖
で、このエゴと苦しみと何の関係があるかというと、エゴは常に「問題」を探し出しているから。
過去に起きたこと、将来の未確定なこと、今の身体の状態、今の状況等、ありとあらゆるものをサーチして、それを「問題」と認識しているのです。
結果、「何であんなことが起きたんだ」「一体どうなるのだろう」「調子が良くならない」「俺の人生どうなってるんだ」なんていって苦しむわけです。
何でそんなことするのかというと、「問題」が無いとエゴの存在意義が無くなるからで、エゴは「自分が何者でもないこと」や「無」が大嫌いというか、それらこそがエゴの天敵なので、
「もっともっと」という執着および強迫観念によって、
思考、身体、知覚、所有物、財産、肩書、社会的役割、状況、人生、過去の出来事etc.
といった形、つまり「エゴの中身」と同一化するのです。それが「良いこと」だろうが「悪いこと」だろうが、さらには「問題」であろうが、一切関係なしです。
※解決できない問題の方がずっとキープできるので、よりエゴは喜ぶ。これ以上解説するとキリがないので、詳しいことは私が書いた『ニューアース』の解説でも読んでちょ。
解説ニューアース 完全版:1章1節から最終章最終節まで全て解説している優れモノ(自画自賛)
本当は一回で終わる予定だったけど、長くなりそうなので今回はここまで。
次回に続く。