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特集「引き寄せの法則は人生を救うか」その6 引き寄せの手順
内容が少々とっ散らかってきたので、これまでのまとめというか手順です。
この記事を読めば今から君も引き寄せマスターだ!(迫真)
手順
まず「私は誰なのか」を徹底的に探求する。→私は思考、感情、知覚、身体などの「物質」を超えた存在だと分かる。
頭で考えることと「現状」とは、真我は区別がつかない。→「現状」を超えて思考する。ルール無用なので何を思考してもOK。→「私は~を望む、よって私は既に~である」が当然であると認識する。
過去のことを考えようが未来を考えようが、力は「今」発現する。力は「今」にある。→1日の節目毎に立ち止まって意図してみる。常に肯定的側面や感謝できる物事を探す。
引き寄せの第一目的は「気分が良くなること」「自由を感じること」なので、実現しようがしまいが構わない。
文字を読んでもしょうもなく、こういうのは体験を通して分かるのですが、
簡単に言えば上記の通りで、それぞれ簡単に説明すると以下の通り。
1.「私は誰なのか」を徹底的に探求する
これが大前提で、これが実感できないから相変わらず物質世界に束縛されて効果が出ない、というのは何度も書いた通り。
エイブラハム金本にも
「あなたは誕生してからずっと外部の価値基準で生きてきた」
「なぜ暗い人生なのか?自己評価の欠如が全ての原因」
「あなたの内に『内なる存在』があることを思い出そう」
みたいなことが書かれているのですが、じゃあどうすればいいのかが上手く書かれていないのが玉にキズ。
なので自己探求しましょうとしつこく言っているのであります。
別にラマナの系統じゃなくても、ニサルガダッタ・マハラジでもクリシュナムルティでも、はたまた『ニュー・アース』でも何でもいいので、
ともかく「私は身体である、私は思考である、私は知覚である…」といった固定観念にヒビを入れる情報に触れて、自分でヒビを入れてみてその隙間を垣間見て実感しましょう。
これをやらずに「思ったことが現実になる」なんていくらやろうが、引き寄せ的にもあまりにも視点というか視野が違いすぎるので無駄です。
まぁヒビが入らないなら入らないでいいし、16歳のラマナ本人に起きた出来事や『覚醒の炎』にあった複数の事例のように、ヒビが入るどころか全てが崩れ落ちて、傍からみたらキチガイみたいになっちゃうかもしれませんが、それはそれでいいじゃありませんか。
この1さえ進めばあとは楽勝なのですが、初っ端から物欲の方向に突き進んでインチキに騙され、カモられる人間が多すぎや!
2.頭で考えることと「現状」と、真我は区別がつかない
真我(内なる存在、宇宙、全体etc.呼び方色々)は、人が「現実」「現状」と呼ぶものと頭で考えている思考の区別がつかない
(真実は「現状」「思考」のどちらも「非実在」「幻想」「妄想」なのだが、それは脇に置いとく)
よって「現実」「現状」を超えた思考をしよう、思考はルール無用だろ、
そして「祈り求めるものはすべてすでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」というのは書いた通り。
※「感情なんて関係ない」というのも書いた通り。例えば東大合格した人間が合格してから卒業するまでずっと「良い気分」でいたと思うか?十数億円の資産を持ちロレックスやヴィトン等を手に入れやりたい放題していた人間が死ぬまでずっと上機嫌だったとでも?
既にかなえられているなら「良い気分」でいる必要なんてないし、大体「良い気分」になるのは合格や入手したとき、つまり「合格したい」「手に入れたい」という欲望が消失したときだけやんけ。
欲望の消失なら1で事足りるで。
しつこいようですが「私は~である」の認識に変容がないと、いくら「なりきりゴッコ」をして「良い気分」になっても、「私」に一つの概念を付け加えただけに過ぎず何の効果もありません!
3.力は「今」発現する
2同様これもオマケで、引き寄せ系で散々書かれていること。
エイブラハム本でも
「他人の価値観」「古い信念」の2つが創造を阻んでいる
なんて書かれております。
他人の価値観も古い信念も1の自己探求が進むにつれ消えていきますが、ちょっとは引き寄せ的なことがしたいという人は、
(古い信念や習慣を捨てるのに役立つモットーを教えてという質問に対し)
「わたしの力は『今』にある」という言葉はどうかな。古い考え方を捨てようという努力は勧めない。捨てようとするとかえってそのことを余計に考えるようになる。それに、古い考え方でも継続する価値があるものもある。
というようなことを宣言すれば、誕生してからこれまでに身についた古い習慣や考え方を捨てられる、というか幼い頃より堆積してきた習慣や信念とは全く関係なく、「『今』だけに力がある」ことが多少は実感できるでしょう。
「わたしの」をどう解釈するか人それぞれだろうけど。
あとは「節目ごとの意図確認」や「肯定的側面の本」や「今感謝できることを探すプロセス」等を好みによってやればいいです。
引き寄せとか抜きにしても、わざわざ暗いニュースや自分と関係ないロクでもないニュースを読んでSNSで吠えたり罵り合ったりするよかよっぽど健全でございます。
ニート時代の私も2ちゃんで大マジメにやっていたけど、あれって一体何が楽しくてやっているんでしょうか。
まぁ、その程度の人間が大多数だから、「節目ごとの意図確認」「肯定的側面の本」「今感謝できることを探すプロセス」みたいなことを少しやっただけで、そんな大多数よりもマシになり、結果人生が救われるのかもしれません(タイトル回収)。
それはともかく、『ニュー・アース』的な気付きを鍛える?と「今に在る」とかちょっとは分かってくるので、「あ、今古い考え方が湧いたな」「古い習慣の言いなりになったな」「現状と同一化しているな」などと気付くのもいいと思います。
※ちなみに私はエゴ&ペインボディの塊のような人間のため、ラマナが提唱していた自己探求と『ニュー・アース』とかにあった観察&気付きの両方をやって、やっとこさ真我(意識、全体etc.)の何たるかを、概念の追加でなく実感でき、行為に真我(意識、全体etc.)が流れ込むのが分かるようになりました。
4.引き寄せの第一目的は良い気分や自由
これも前書いた通りで、別に望むことが実現しようがしまいが関係ないのであります。
私たちにできることは「~を望む!」とかいった思考レベルのことまでで、その後のことはただ委ねるしかないですし。
物質的観点から成功や失敗をとらえ、たくさん物を獲得できればできるほど成功すると考える。
究極のトロフィー、それは喜びなのだ!
なんてエイブラハム本にも書かれていて、これはまぁ実際その通りなのですが、
この「喜び」つまり「良い気分」というのが曲者で、「欲望が満たされれば『良い気分』、満たされなければ悪い気分」という「条件付きの良い気分」だと捉えている人が99%でしょう。
「私は~を望む!」→「やったぁ!」
「私は~を望む!」→「…ちょっとズレてるかな」
「私は~を望む!」→「実現しないじゃねえかバカヤロー!」
上記3つがどれも全く同じで何ら変わらないということ、(細かなニュアンスは違うかもしれんが)岡本太郎的にいえば「勝って結構、負けて結構」みたいなことだと気付けた人は、真の良い気分や自由というものを垣間見た人なのですが、垣間見るには1の自己探求を進めるしかないのであります。
以上、簡単に書きましたが、1あってこその2と3である、何なら1だけで完結してOK、2と3はゲーム感覚でやりましょう実際ゲームみたいなもんだし、ということで今回はここまで。
次回からエイブラハム本の感想文になるかも。
<参考文献>
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