07:苦しみから解放される方法その4 酒を飲む 中編
前回に続いて今回も酒に関するエピソード。
こんな下らない自分語り、全然ためにならないし読んで面白いのか分からないけど、書けという天の声が聞こえるので渋々書いてまいります。
事の顛末 続き
前回のように酷い目に合った私ですが、あのミュージックステーションという、非常につまらない糞番組が面白いと思えた程に、酒の威力というものは凄いんだと感激した私は、何としても酒を飲まねば!という使命感に取り憑かれたのでありました。
色々試した結果、バーボンのオレンジジュース割りが、経済的にも酔い方的にも色々な意味で一番効率的だと分かり、カナート洛北のやまやでヘヴンヒルかジムビームを買ってはオレンジジュースで割って飲んでおりました。
最初はコルドンネグロ1本飲んで気絶していた程度でしたが、半年もすると、コルドンネグロ1本飲んだ後、更にウィスキーを半分飲んでも気絶せず良い気分になるくらいには強くなり、1年後には一晩で瓶一本飲めるようにはなりました。
その後、ニートやめて東大受験のときは流石にバーボンは飲めずに一旦お休みとなり、アサヒの黒生の瓶か地元のワンカップ酒がメインとなり、週2くらいのペースで駅そばのコンビニで買っては待合室で飲んでおりました。
東大時代は主にワイルドターキー8年の1L瓶を買っては3~4日に1本のペースでロックで飲んでいて、外で友人達と飲んだときは、吉祥寺や渋谷など東京の至る所で吐いておりました。
ゼミの後に教室で同期や教授としこたま飲み、本三→新宿→上北沢の帰り道、丸ノ内線の上下揺れで気持ち悪くなって霞ヶ関駅で降りトイレで吐いたときなどは、「ここではサリンで苦しんだ人が大勢いたというのに、俺は一体何をやっているんだ」と非常に情けない気持ちになりましたが、酒をやめようなどという気は起きず、酒と心中するんだというくらいの勢いでおりました。
卒業後、大阪の同心に住んでたときはジョニーウォーカーの黒を大学時代と同じくらいのペースで飲んでおりました。
近所にジョニ黒が安く売っている店があったからね。しょうがないね
(ワイルドターキー8年の値段は20年前に比べて上昇しているけど、
ジョニ黒の値段はそんなに変わっていないのは何で?)。
※しかし、今考えるとニート、東大、大阪時代の酒量にはゾッとする。自傷行為の如く一人で陰鬱に飲んでいたのが大半だったし、死ぬつもりで飲んでいたから、女子高生のリストカットを笑えない。ただ、アル中カラカラのwawawaさんには遠く及ばず、あの人は桁外れやと心底思う。
クリスマスイブに漏らす
そんな酒に飲まれた状態、中島らものことを段々笑えなくなってきた状態になっていたのですが、大阪北区の堂島で働いていた頃の私は情報システム部所属で、休日に部の誰か一人が出勤し、全社データのバックアップ作業をおこなうのが業務となっておりました。
そんな忘れもしない2007年12月24日のクリスマスイブ、何故か私が休出の当番で、社内にポツンと一人いたのでありました。
「あーめんどくせーマジで」「クリスマスイブって何だよ(哲学)」などと思いながら二日酔いの頭でネットサーフィンをしておりましたが、腹が減ったので近所の天下一品に行くことにしました。
そこでラーメンとチャーハンのセットを食べてまた会社に戻り、バックアップ作業をおこなっていたのですが、ハイカロリーなラーメンがいけなかったのか、酒の飲みすぎで内臓がガバガバになってたのがいけなかったのか、とにかく急激に腹が痛くなってきたではありませんか。
これはいかん、サーバー室で漏らしたら情シス生活終わるナリとトイレに行こうと立ち上がったところ、
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)
とはなりませんでしたが、トランクスを捨てなければならないくらいには漏らしてしまい、誰もいないビルの中をダックウォークでトイレまで行き、午後はノーパンで過ごす羽目になったのでありました。(幸いスラックスにまでは到達していなかった。ああよかった)
このエピソードが聞くも涙、語るも涙な感動秘話だというのは寸分の疑う余地もありませんが、この話と苦しみから解放される方法と、一体どういう関係があるのでしょうか。
車の運転
その後、京都のブラック企業を経て山梨へと島流しとなり、山梨で車を運転するようになってからは、たまに1升瓶ワインを飲みすぎるくらいで、酒の量は減っていきました。
山梨にいた頃は自然の中をドライブするのが楽しくて、それで酒の量が自然と減っていった感じです。自然だけに。
密かに想いを寄せていた女性が酒で狂ったとか、病に冒された子供達を助けるために酒を断ったとか、そういう酒を減らすキッカケとなった何か感動的?なエピソードでもあればウケるのでしょうが、そんなもの一切無かったからね、しょうがないね。
ともかく、酒の量を減らしたいという人は、酒の他に何か楽しいこと、ドライブに限らずゲームでも博打でも風俗でも何でもいいので見つければ良いと思うのですが、「そんなものはない」「都会に住んでるから車運転しない」というなら飲み続けてもいいでしょう。
人間ごときでは推し量れない人生
というわけで、私と酒との関係を長々と書いてまいりましたが、あれだけ飲んでいてよく天下の東大を留年もせず4年で卒業できたな、よく犯罪に巻き込まれなかったな、よく寝下呂を喉に詰まらせて死ななかったな、よくK澤T洋みたいに人前で盛大に漏らさなかったな、信じられないと今更ながら思います。
そして、こういう「人生の流れ」というものは、人間ごときでは推し量れない、ましてや人間の頭ごときでどうこうすることができないものなんだな、というのが今では実感できます。
要するに、人生における「あれが起きたらどうしよう」「あれが起きないように気をつけないと」なんていう心配は殆どが無駄であり、
特に、健康に気を使ってあれこれしたからといって健康に過ごせるわけではない、良いことをしたからといって良い人生を送れるわけではない、
そもそも「良し悪し」の基準なんて、人間が各自勝手にこさえたもので、そんなものはない、なるようにしかならない、が真実であるということであります。
まぁ、それでも飲み過ぎだと思うけど。
後編に続く