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大森一樹監督亡くなる&ガメラ新作発表 下らないニュース解説その42

朝の冷え込みが一段と増し、いよいよ朝起きるのが億劫になってきた本日のニュースはこちら。
ニュース自体は下らなくないけど、解説が下らないといういつものパターン。

映画監督の大森一樹さん死去 「ヒポクラテスたち」やゴジラシリーズなど作品多数

あの『ゴジラ対ビオランテ』や『ゴジラ対キングギドラ』の監督が亡くなったとのことで、ご冥福をお祈り申し上げます。

『ゴジラ対キングギドラ』は映画館に観に行ったし、ゴジラシリーズの中で3番目に面白い映画と今でも思っております。

※1番が昭和29年の初代、2番目がモスラ対ゴジラで、奇しくもシネマサカー(AVGN)のランキングと同じである。

ゴジラシリーズ全作品がAmazonで無料だった際、あらためて本作を観たのですが、アンドロイドの特撮がT1000を意識していたのかどうか知らないけどやけにチャチだったり、未来なのに記憶メディアがCDだったり、アメリカ軍役でケント・ギルバードが出てたり、ダニエル・カールに至っては若き日のスピルバーグ役だったりとツッコミどころが多々あるじゃございませんか。(この辺のツッコミどころもシネマサカーと大体同じである)

それでもなお、タイムスリップという下手をしたら意味不明になるテーマがきちんと練られており、子供でも理解できるよう作られているので、何十年経ってもやっぱり面白かったのでありました。

そういや平成のゴジラシリーズって、半分「上田耕一を探せ」みたいなところあるよね。
上田耕一って伊丹映画とゴジラでしか見たことないわ。私みたいな邦画をあまり見ない人間が知っているってことは凄い俳優さんなのだろうけど。

あと伊丹映画で思い出したけど、『シン・ゴジラ』は私に言わせれば「伊丹映画を目指したけど失敗した映画」「伊丹映画の出来損ない」という感想。

ガメラ新作発表

と、こんなことを書いていると、ガメラの新作が出るというニュースも見つけました。

大怪獣ガメラ復活、そして世界へ 新作『GAMERA Rebirth』製作決定 Netflixで配信

「あ、いらない」というのが第一印象で、もう湯浅監督いないのにガメラ作ってもしょうがないやろ、というのが正直なところ。

私が生まれて初めて見た映画が『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』のテレビ放送で、その面白さに幼稚園児だった私が釘付けになったというのは何度も書いてきた通りで、対バイラスや対ギロンや対ジャイガーも夢中で見たものでした。

※ガメラ対ギャオスは今見ても充分面白いし、舞台があの富士吉田でたまげたというのは以前書いた通り。

そんなガメラシリーズの中で唯一面白くなかったのが『ガメラ対バルゴン』で、巨大オパールがどうだのダイヤモンドがこうだの、おっさんおばさん達の人間ドラマがメインでちっともガメラが出てこなくて、子供ながらに大変つまらない思いをしたのでありました。

下らない人間ドラマ→バルゴン出現→ガメラ対バルゴン1戦目→ガメラ氷漬け→ずっと下らない人間ドラマ→ラス前10分くらいでガメラ復活→バルゴン倒す、だったという記憶がある。ああ思い出しただけでつまらない。

何が言いたいのかというと、「怪獣映画は子供のものである」「子供が見て楽しいものを作れよ」ということ。

ここでWikiを長々と引用すると

また大ヒットにもかかわらず、特撮監督の湯浅憲明らは内容に不満が多かったという。その理由は作劇が「主軸観客層である子供向けでないこと」であり、劇場での子供たちの反応を基にしてのスタッフの反省会では、「バルゴンが出てくるまでが長すぎて子供の集中力が続かない」「大人向けのドラマは子供たちには退屈」などの意見が出された。
こうして湯浅が全編監督となり、翌年制作された『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)では、子供たちを飽きさせない演出が最重点に置かれ、子供が主役の湯浅の理想とする作劇が徹底されることとなった。 

ガメラ対バルゴン

「怪獣映画が大好き」という湯浅は、「出来れば全編怪獣だけが出てくる映画をやりたかった」と述べているほどで、本作でも観客である子どもたちを飽きさせない、さまざまなアイディアを脚本の高橋二三とともに組み込み、サービス満点の「怪獣映画」に仕上げている。
湯浅によると、前作『対バルゴン』のあとスタッフで反省会があり、「怪獣が出てこないと観客の子供たちが画面に集中しない」との意見から、本作では冒頭からスピーディーにギャオス出現につなぐ演出となっている。 

ガメラ対ギャオス

ということで、湯浅憲明監督こそが怪獣映画監督の鑑であり、ガメラ同様子供の味方であり、私の中で「ガメラ>ゴジラ」となっているのは湯浅監督のおかげなのでありました。(ちなみに平成のガメラは見たことないし見る気もない)

ロボットアニメも同様である

この「怪獣映画は子供のものである」論についてはロボットアニメでも全く同様で、巨大ロボットが景気よく大暴れしてこそのロボットアニメ、ストーリーや人間模様や伏線なんて二の次だと私は断言するのであります。イデオンはちょっと暴れすぎだけど。

翻って、ロボットが全然出てこないロボットアニメなんて駄作も駄作、『閃光のハサウェイ』なんて下の下、ロボットアニメと呼ぶのもおこがましい下痢便アニメじゃございませんか。

『逆襲のシャア』が開始直後にアムロ対シャア&ギュネイ、開始30分でνガンダムが登場したのに対し、『ハサウェイ』なんて30分経ってもまだハイジャックだ何だでグダグダやってるんやで。

そのハイジャックシーンが面白ければまだ救いがあるのだけど、『エアフォースワン』や『コン・エアー』や『フライト・ゲーム』といった数あるハイジャック映画の足元にすら及ばない猿芝居じゃないか。(そこで視聴を停止した)

あんな猿芝居見て喜ぶ子供いるの?喜ぶのは子供は子供でも「子供部屋おじさん」くらいのものじゃないの。
Amazonとかのレビューを見ても肯定的意見は「映像がきれい」としか書かれていないし馬鹿じゃないの。

そんなに人間ドラマが見たけりゃ『ゴッドファーザー』とか『リービング・ラスベガス』とか『奇跡の人』とか『きっとうまくいく』とか『市民ケーン』とか『街の灯』とか『マルサの女』とか、
真っ当な面白い人間ドラマ観るわ、稚拙なドラマモドキ作ってんじゃねえよナメとんか、と叫びたくなりますわ。

少子化の世の中なので子供をターゲットにしても金にならない、ということなのかもしれませんが、子供にとっては意味不明で、かつ大人にとっては「子供騙し」な半端な映画作っても仕方ないでしょう。そういうのを「駄作」と呼ぶんやでホンマ。

そういえば、劇場版『鬼滅の刃』があれだけヒットしたのは、『ハサウェイ』みたいに製作側の自慰行為を見せつけるのではなく、子供でも楽しめる単純明快なストーリーかつ派手なアクションが主要因でしょう。

鬼滅を見た幼稚園児が何十年か後、丁度『ガメラ対ギャオス』を見て感動した私の様に、鬼滅を懐かしく思い出すのかもしれないなと思ったりするのでありました。

以上、私は好きなものは神の如く崇め奉るけど、嫌いなものは徹底的に腐して落とすという、好き嫌いの激しい人間だと改めて自覚しつつ、ラドンもそうだそうだと言っているので今回はここまで。