12:用語解説 後編「意識」とは何か?
今回も前回同様、用語解説。まずは前回の続きから。
マインドやエゴは克服すべき課題ではない
前回書いたように、苦しみの原因は思考、特にエゴの「もっともっと」という、キリのない強迫観念によるものなのですが、
だからといって、思考やエゴを深刻にとらえたり、ましてや「そうなのか!エゴや思考が悪いのか!!よ~し、悪いエゴや思考を滅ぼすぞ!!」とやっても無駄、いやそれどころか火に油で、更にエゴを強化させることになります。
エゴとは、悪でも排除すべき対象でも克服すべき課題でも何でもない、ただの「自覚されていない意識」なのであります。
※意識:単なる「思考」や「知覚」の意味ではなく、思考やエゴや感情やその他諸々を含む、何か全体的なもの。英語だとConsciuosnessで、思考は意識の一部分であるが、殆どの人間はそんなことに気付かず一生を終える。
エゴが「滅ぼすべき悪いものたち」であったり「克服すべき課題」である方が、エゴ自身(つまりあなたの頭の中)は大喜びするのですが、残念ながらそうではありません。
自分の思考ですら「滅ぼすべき敵」「克服すべき目標」とみなした方が、思考そのものが喜ぶだなんて、笑い話にもなりませんが、そういうもんなのです。
※逆に「敵や目標なんてありません」と言われたら、何か落ち着かない感じがするんじゃないの?これを読んでいる今、まさにそうであろう?
なので、動物園や水族館で動物やお魚を観察するような姿勢で臨めば良いのです。まぁそうはいっても、こんなの読んだぐらいじゃ「ハイ、じゃあそうします」とはいかないけど。
以上、ここまでのまとめとしては、
・人類の殆どが「思考=自分だ」と思考に呑まれているから、苦しむ羽目になる。
・思考の中でも、何でもかんでも「自分だ!」と結びつけるエゴが、様々な現象を「自分の問題だ!」とやっちゃうから苦しむ。
・エゴは「無」「何者でもない」ことが耐えられないので、絶えず問題を探し続ける。無論、死ぬまで。
・ただし、こういう思考やエゴを敵とみなし、排除しようとしても、無駄どころか泥沼にハマる。
・エゴとは「自覚されていない意識」のこと。
こんな感じです。
意識
最後に、上の※でちょろっと書いた「意識」についてですが、これは何かというと、
意識≒何か形のない全体的なもの
であり、他の「思考、身体、知覚、所有物、財産、肩書、社会的役割、状況、人生、過去の出来事」などとは違って形のないものだし、頭では理解できないものなので、「意識」と気安く呼んでもそれでは理解できない、そもそも頭では理解できない、説明し難い度し難いものなのです。
なので、ラマナ・マハルシの『私は誰か?』にあるように、
思考やそれに伴う感情諸々は私ではない、身体や健康状態は私ではない、肩書は私ではない、周囲との関係や役割は私ではない、所有物は私ではない、知覚は私ではない、過去の出来事は私ではない…
と、次々と「私ではない」という真実を語り続けていった後、最後に残ったものが「意識」となるのですが、やっぱ言葉という制約された表現では説明し難いものです。
これは丁度、「この3次元空間において、4次元空間(4次元時空間じゃないよ)を明確に示せ」というようなものなので、そういうもんなんやと覚えておけばよろしい。
あと、悟り系界隈でよく言われる「『今』に在る」の「今」についても、この「意識」とほぼ同義で、「今」なんて聞いたら物理学的な「今」と勘違いする人が殆どですが、そうはならんので、その辺についても覚えときましょう。
じゃあこの「意識」なり「今」なりについて、どうやったら発見、というか認識というか、そういうことができるのかというと、そもそも言葉で説明できないものなので「各自で見出してちょ」と申し上げるしかありません。
誰かの猿真似をしたり、わけの分からんメソッドをしたからといって見出だせるものではありません。苦行林で6年間苦行した後に乳粥飲んだり、40日間荒野に出るだけでOKなら誰でもそうしとるわ。
ただ、見出すためのキッカケやヒントは必要でしょう。そのために本noteを書いてるんだからな、わざわざ田舎から(意味不明)。
最初に2つと書いておきながら「マインド、エゴ、意識」の3つとなりましたが、今回はここまで。
次回から実践方法を書いてまいります。