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特集「引き寄せの法則は人生を救うか」その7 感想文『引き寄せの法則の本質』

前回で言いたいことは大体言ったので、今回から年末に読んだエイブラハム引き寄せ本の感想文、おそらく引き寄せ信者の方々は「良い気分」にならないような感想文を書いてまいります。

一発目はエイブラハム金本こと『引き寄せの法則の本質』、原題は『A NEW BEGINNINGⅡ』についての感想文。

感想

まず本当に久々に読んだ感想としては、

わたしたちはすべて完全に自由なのだ。ところが、多くは自分が自由であることを理解していないため、自由に生きようとしない。

エイブラハム金本 以下同じ

あなたがたに力強い「今」という感覚を取り戻してもらいたいのだ。

大半の人間は楽しみや満足感を未来に期待するが、今、ほとんど喜びを感じられない。だが、何かを実感できるとすれば、今、このときしかない。

素晴らしい内なる可能性が輝き出すのを阻止しているのは大抵、自己評価の欠如である。

というようなことが序盤で書かれており「おお~ええやん」となるのですが、その後から雲行きが怪しくなってまいります。

シャンカラをはじめとするアドヴァイタ・ヴェーダーンタではこっから

  • あなたがあなた自身だと信じて疑わない「私」という幻想から抜け出しましょう。

  • あなたが真実だと信じて疑わない「世界」という幻想から抜け出しましょう。

みたいな流れになり、「世界」がどんな状況であろうとも、決して損なわれることのない、既にここにあった自由・喜び・平安が発現するのであります。

ところが本書では

自分の内にあるナビゲーションシステムを活用しよう。良い感情か悪い感情かで分かる。

自由感じるんでしたよね?

とかいって、あくまで感情や感覚止まり、幻想である「私」、要はエゴ止まりではありませんか。

なんでーどういうことー

感情のナビゲーションシステムについては最早論外で、自由についても、自由とは感じるものではなく、最終的には「私=自由」という主体および感じる対象が消え去った一体の境地に至るのですが、なんで中途半端になってるのでしょうか?

本書を読んで「人生の攻略法を手に入れた!」とか大騒ぎして分かった気になっても所詮は生兵法に過ぎず、街亭の戦いの馬謖みたいなオチになるのは火を見るより明らかではありませんか。

まあそうやって生兵法を振りかざして痛い目に遭った方が学ぶところは多いだろうし、
いきなり何も分かっていない状態から『ウパデーシャ・サーハスリー』とか『私は誰か?』とか『覚醒の炎』とか『ニュー・アース』とか読んでもサッパリ分からないだろうから、常識や固定観念といったものにとらわれた人のゲートウェイとしては良いと思います。

なんだかんだ言って、「肯定的側面の本」「節目ごとの意図確認」「財布のプロセス」等、エゴに囚われていてもそこそこ役に立つことが一通り書かれているし、

「わたしは<X>になりたい。ゆえに<X>である」と言える地点にたどり着いたとき、あなたの願望は物質化する。

ということがなぜか本書だけに書かれているので、エイブラハム本の中ではなんか一番マトモっぽい気がするし、何か一冊という場合は本書だけ読めばいいんじゃないでしょうか。

※何も知らん人間だと青本が良さそうな気もするが、後々役に立たないことが判明するであれ。

最後に、本書ではなぜか何度も出てくる「行動」についてですが、行動を重視するかどうかは各人が決めればいいことでしょう。

以上、素っ気ない感想文だけど今回はここまで。

次回はBeginningⅠについての感想文の予定。

<参考文献>


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六郎
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