10:なぜ人生は苦しみの連続なのか?
ここまで、私が実際にやってきて効果のあった様々な「苦しみから解放される方法」を紹介してきましたが、いよいよ、今回から真面目な話をやっていきます(じゃあ今までのは何だったんや)。
今回のテーマは「なぜ人生は苦しみの連続なのか?」という、おそらく誰もが知りたいことについて。
これを読んだ人全員がすぐに理解できるとは到底思いませんが、まあ書いてまいります。
苦しみの原因
それでは、なぜ人生は苦しみの連続なのか、なぜあなたや私は毎日毎日、「大きなこと」から「小さなこと」まで、ありとあらゆる苦しみに苛まれなければならないのか、ということについてですが、
別に「苦しみの源となる物質」「苦しみのウィルス」みたいなのが実在するわけでもないし、「絶対苦、絶対悪な出来事」が実際に連続して起きているわけでもないし、ましてや、ディープステートやギフハブやゴリホーモといった悪いものたちが、あなたや私を監視しているからでもありません。
それは、あなたや私の思考、特に「この思考こそが私自身だ!」と何の疑いもなく思い込んでいる、
いや「思い込んでいる」とすら自覚できていない思考が、毎日毎日、自動的に問題を探し続けているから、となります。
なので、たとえやっとこさ問題を解決しても、そんなものでは思考は絶対に満足しないので、何度も何度も新しい問題を探し続け、人生が苦しみの連続となるのです。
「嘘だ!俺はそんなことしてない!」「思考が問題を探し続けて、それが苦しみの原因だなんて信じられない!!」と思うでしょうが、それに対する答えは、
「いやしてる 聞いてる」であります。
丁度「東大合格」や「ブラック企業脱出」といった「人生における大問題」を解決しても、ちっとも苦しみがなくならなかった私が良い例だし、これを読んでいる皆さんも
このような「キリがない」と感じた経験の一つや二つあるでしょう。
これでは「人生=苦」であるし、死ぬまで苦しむ羽目になるではありませんか。
実のところ、仏教の八苦も別に「苦」ではない
さらに言わせてもらうと、本noteの「はじめに」で紹介した
の八苦についても、真実を語れば、
といった感じで、「生老病死」なんてものは、思考抜きで客観的にみれば「ただの身体上の変化」「諸行無常の一部」に過ぎないし、
残り4つについても
というように、思考抜きで客観的にみれば「ただの状態や環境の変化」「諸行無常の一部」に過ぎないから、これらは実際には「『苦』でも何でもない」のであります。
要するに、思考、特に上に書いたような「無自覚な思考」が、
ただの「状態および変化」や、日々の「単なるニュートラルな出来事」にすぎないものを、「一世一代の大問題」とみなしているから苦しみが生まれ、
そして、思考が苦しみを探し続けているから、死ぬまで苦しみが続くのです。
※ゴータマ・シッダールタ的にいうと「正見」「正思」ができていないとうこと。この正見&正思の「正」というのも、学校とかで押し付けられる下らない「道徳的な正しさ」などではなく、「あるがまま」「中道であること」「等であること」の意味。
こんなことを書いていると、「えーどうしてー」「ああん?何で?」「何だコレコレ変態野郎」といった疑問の声が聞こえてきそうですが、それも無理のないことでしょう。
「苦しみの原因は外にある」と考えるのが普通だし、「外の原因をどうかしないと苦しみから解放される道はない」と思い込んでいる人が殆どでしょうから。
そろそろ長くなってきたので、まとめると
ということで、今回はここまで。
次回は用語解説をしてまいります。