13:苦しみから解放される方法 基本のキ 自分の思考を観察する 前編
今回からいよいよ、苦しみから解放される方法の紹介に入ってまいります。
何度も申し上げている通り、本noteで私が実際におこなって効果があった方法なので、万人に当てはまるとは限らないのですが、今回の「自分の思考を観察する」については、イロハのイ、基本のキというもので、これができないとお話にならないので、ほぼ全ての人に効果あるものとなります。
「自分の思考を観察する」とは何か?
それではまず、「自分の思考を観察する」とは一体何かについて説明すると、これは文字通り、
自分がたった今考えていることを、ただ観察する
という、それだけのものです。
別に思考をコントロールしろとか、「悪い」思考を封殺せよとか、そんな手間のかかる無理難題ではありません。
「なんだ、簡単じゃないか」「それくらいすぐにできる」と思う人が殆どでしょうが、その「簡単なこと」ができているならば、最早あなたが人生において苦しむことは結構稀になるのですが、まだ日常的に苦しみがあるということは、つまりはそういうことなのであります。
例えば、SNSやネット上の広告なんかで
「私はこの方法でFX取引で億万長者になりました!!」
「これでサラリーマンから脱出し自由になりました!!」
「この方法でモテモテ!!意中のあの人とラブラブ!!」
などというのがありますが、それを見てどう思うでしょうか。
殆どの人は「こんなのインチキだ」と思い、まあ実際インチキなのですが、
「自分の思考を観察する」という場合、
「あ、俺は今『インチキだ』と思っているな」
で済ませてはダメだということです。
「羨ましい」「俺も金が欲しい」「何でこんな奴が金持ちになるんだ」「何でこんな奴がモテるんだ」
なんていう羨望や嫉妬も湧き上がってきたのではないですか?
本当はあなたも「金持ちになって自由を手に入れたい」「モテたい」と思っているのではないですか?
「そんなこと思っていない!!」と誤魔化しても無駄です。思っていなきゃ、あんなインチキな宣伝文句に心を動かされ反応することはないのですから。
このように、「思考を観察せよ」というのは、「こんなのインチキだ!」という思考の表層をなぞることではなく、
その下にある「羨ましい」「俺も自由になったりモテたりしたい」というような、隠していたい、自分では認めたくないような思考も、言い訳せずに素直に観察する、ということなのです。
その辺がきちんと観察できないと、存在意義を確立するために次々と問題を求め続け、苦しみ続けるという「思考の所業」に気付くこともできないのであります。
思考の観察の先にあるもの
そして、思考の観察を深めていくと、自分が感じている苦しみというのは、実は自分個人のものではなく、
人類に共通する、人類全体の苦しみだということが、頭の中の知識ではなく、実感で分かるようになります。
例を挙げると、SNS上において悩んでいる人や弱音を吐いている人のみならず、ハッピーな生活を見せびらかす人、知識をひけらかす人、他人を攻撃して自分の正当性を主張する人…
そいういう人々の根底には、苦しみ、主に「私は何者でもない」といった恐怖から逃れようとする「誰か助けてくれ!私は劣った存在でないと誰か証明してくれ!」と必死にもがく無自覚の苦しみがあるということが、まるで自分自身のことのように分かるのであります。(一言でいえば「これはな誰でもそうなるんや」ということ。お前そればっかやな)
そこであなたが何をするか、その人を憐れむのか、そのままにしておくのか、あるいはスターウォーズのシスみたいに、その苦しみを刺激して相手を更に苦しませたり操ったりするかはあなたの自由なので、どうぞお好きなように。
以上、語りたいことが多くて話が長くなり、今回も御託だけになったけど、次回はこの思考観察を鍛えるための具体的トレーニング方法を紹介するやで。