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特集「引き寄せの法則は人生を救うか」その2 なぜ引き寄せられないか


前回をご覧の通り、既に引き寄せに対して冷めた感じになっているのですが、最終的に所謂「真我」に到達するキッカケみたいなのになれば、引き寄せも浮かばれるんじゃないでしょうか。(あなたは今も真我と全く離れておらず、真我と一つなのだが…)

私も『ザ・シークレット』から始まり、『エイブラハムとの対話』&有象無象のインチキ本、『ニュー・アース』、『ポケットの中のダイヤモンド』、そして最終的に『ウパデーシャ・サーハスリー』『覚醒の炎』および『私は誰か?』となったので、あまり偉そうなことは言えないんですヮ。

同じ考えるなら楽しいことを考えよう

また、前回「引き寄せ⊂自己探求(「引き寄せ∈自己探求」かもしれんが)」と書きましたが、それについて興味深いインタビューを紹介します。翻訳はもろちんChromeの翻訳機能。

デイヴィッド:あなたは時々、人々に「私は自由だ」あるいは「私は自由そのものだ」という考えを育むよう勧めます。時には、このフレーズを自分自身に繰り返し唱え、これが真実であると確信するよう人々に言うこともあります。これは典型的なマナナです。グルの言葉を熟考し、それが真実であるという確信を生み出すことです。あなたはまた、いかなる努力も実践も解放にはつながらないとも言っていますが、このフレーズ、あるいは「私はブラフマンだ」などの他のフレーズを繰り返し唱えることで、どうして自由につながるのでしょうか。

パパジ:私は人々に「私は自由だ」という言葉を繰り返すように言います。なぜなら、誰もが「私は苦しんでいる」と言っているからです。そして、それを言うから、彼らはそれを信じて苦しむのです。それは単なる言葉、あるいは考えですが、何度も繰り返されるから、それを信じる人にとっては現実になります。あなたが考えるとおりに、あなたはそうなるのです。あなたが「私は縛られている、私は苦しんでいる」と考えれば、それがあなたの経験になります。
だから私は人々にこう言います。「その逆を試してみて。自分自身にこう言い聞かせなさい。『私は縛られていない。私は苦しんでいない。私は幸せだ。私は自由だ』」
確信を持って言いましょう。それを信じ始めると、苦しみが消えていくのがわかるでしょう。

かつて二人の少年が一緒に歩いていました。少年の一人がポケットに手を入れて取り出し、口に持っていき、噛み始めました。
もう一人の少年は彼が何を食べているのか見えなかったので、「何を食べているの?僕に少し分けてくれない?」と尋ねました。
「僕はひよこ豆を食べている」と最初の少年は言いました。「でも、君にはあげないよ」
2 番目の少年は、最初の少年が笑って「冗談を言っただけだ。本当に何かを食べているわけじゃない。君の反応を見るために、ポケットに手を入れてひよこ豆を食べているふりをしただけだ。見て。ポケットには何も入っていないよ」と言うまで頼み続けました。
2 番目の少年はそれを見て、彼が言ったことが真実だと分かりました。
最初の少年は本当に何も自分に与えるものがないことを確信したとき、2番目の少年は言いました。「でも、なぜひよこ豆を食べているふりをしていたんだ?こんなふりをするなら、アーモンドのような何かおいしいものを食べているふりをしたらどうだい?」

同様に私は人々にこう言います。「もしあなたが偽りをするなら、なぜ自分が苦しんでいるふりをするのか? 代わりに、なぜ自分が自由であるふりをしないのか? 余分な費用はかからない」
「私は自由だ」と言うのに10ルピーもかかりませんが、「私は束縛されている」と言う代わりにそう言い始めると、あなたの人生は大きく変わります。「私は自由だ」というのは考えであり、「私は束縛されている」というのも考えです。しかし、前者の考えの方があなたを幸せにするなら、なぜそれを信じないのですか?

『Nothing Ever Happened』David Godman

こんなことが書かれているので、どうせ考えに囚われるなら「私は自由だ」と思い込んでみてはいかが?

まあ、この引用のすぐ後に、

(フリはフリに過ぎないので)根本的な解放への解決にはなりません。あなたは既に自由なんだから解放のために無駄な努力はしないでね(笑)

『Nothing Ever Happened』David Godman

なんて書かれていて、実際その通りなのですが(じゃあこんな長々と引用すんなよ)。

読んだ本

それはともかく、今回読んだ本はこちら。

  • エイブラハムとの対話(通称「赤本」)

  • お金と引き寄せの法則(通称「銀本」)

  • 引き寄せの法則の本質(通称「金本」)

  • 実践引き寄せの法則(通称「青本」)

  • エイブラハムの教えビギニング(通称「ビギニング」)

なんかエイブラハム関係ばかりなのですが、それは以前Kindleで衝動買いしたからで、赤、銀、青本は吉田利子氏訳、金本は菅ナントカ氏訳のものです。

久々にAmazonを検索したら、同じ内容で吉田利子氏ではない翻訳の赤本や銀本があるようですが、もう翻訳者名を見るだけで軽薄そうで、読んでも全く効果なさそうな感じがヒシヒシと伝わってくるので、もし今更ながら読むならば吉田利子氏の訳一択です(菅氏の訳も、吉田氏かそれ以上に良いと思う)。

ちなみに『ビギニング』ですが、案外と良かった金本の原題が「A New BeginningⅡ」だったので、その前に出版された「Ⅰ」も読んでみようとスケベ心を起こして今回初めて買ってみたもの。

中身についてはいずれ書きますが、結論から言うと買ったことを激しく後悔いたしました。1600円返して。

こんなもの買うくらいなら、『ニュー・アース』や『真我』や『覚醒の炎』買った方がよっぽど良い、
というか「人生を変えたい」「自由になりたい」と本気で思っているなら不二一元論とか道徳経とかその他インド哲学とか禅とか、そっち方面の本を読んだ方がよっぽどいいですマジで。

Kindleだとブック・タフに売却したりできないので紙版を買った方がいいかも。
というか、今となってはエイブラハム関係はブック・タフの二束三文コーナーにあります。

なぜ引き寄せられないか

何だか前フリばかりを延々と続けておりますので、そろそろ本題に入ります。

まずは赤、青、金、銀、ビギニングについての感想文を一冊ずつ書くよりも全体について大雑把に書いちゃおうということで、

今回は「なぜ引き寄せられないか」について独断と偏見で抜き出してみます。その対策については次回に書きます。

ザッと挙げてみると

  • 現状に反応しているから(金本、銀本)

  • 「欠落」に注目しているから(金本、銀本)

  • 「行動」が必要と信じているから(金本)

  • 物事を深刻に考えているから(銀本)

  • こんな本を鵜呑みにして言いなりになっているから(私個人の意見)

といった感じになります。
金本と銀本ばかりになっていますが、どれもほぼ同じ内容なのでしょうがないね。

現状に反応しているから

そんなわけでまずこれ。

現状や己の固定観念を超えた思考をする」が引き寄せのベースだと私は思うわけですが、大抵の人間が良いことがあれば良い気分に、悪いことがあれば悪い気分になる、という現状に反応し、さらにその気分を引きずっております。

これでは引き寄せ以前の話、犬や猫といったケダモノと何ら変わらない生き方だし、気分を引きずる分、犬や猫にも劣るというのが正直なところであります。

「欠落」に注目しているから

「○○が欲しい!」「△△を望む!」とか言いながら、頭の中では「私は○○や△△を手にしていない」「だから手にする必要がある。でないと私は幸せになれない」と思っている。

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

『新約聖書』口語訳 マルコ福音書11章24

イエスが説いた内容に反していては効果が無いのは当然でしょう。あなたがイエスよりも優れているというなら話は別だけど。

「行動」が必要と信じているから

物質世界を観察していると、大半の人が「する」ことにかまけ、大変忙しくしているのがわかる。みんな狂ったように何かを「している」が、楽しんでいるようにはとても見えない。
一部の者たちは成長するためや報酬を貰うために、意図的に楽しみを「犠牲」にしている。実際に喜びや楽しみを得たいと思っている者もいるが、瞬間的にしかそれを味わえないようだ。

エイブラハム金本

世界を物質的視点でしか捉えることができないから「行動」が最優先となり、働きアリの如く行動して一生を過ごす、というやつ。

ここから「働きアリから脱出しよう!その方法は…これ!」とネズミ講(アム○ェイ含む)の誘い文句に移行できそうですが、狭い視野で行動してもロクなことにならないというのは、別に引き寄せだけに限らず『ニュー・アース』9章にもあったし、自己探求の分野でも同じです。

物事を深刻に考えているから

言い換えれば「移ろいゆく無常な諸々を『真実』とみなし、それに執着し同一化しているから」となり、引き寄せというより仏教や不二一元論だなこりゃ。

こんな本を鵜呑みにして言いなりになっているから

最後はこれ。

「『感情のナビゲーションシステム』って本当?真我を垣間見たら感情などという移ろいゆくものの起伏なんてどんどん緩やかになっていくんだけど」
「なぜ良い気分にならないと望むことが実現しないんだい?私の実経験を鑑みるに、たとえ悪い気分でも望むことは実現するで」
などと検証することもせず、他人が書いた本の内容を鵜呑みにするのが大多数の人間だから。

本の内容を鵜呑みにするだけならまだマシな方で、ペテン師共が主催するバカ高いインチキセミナーに何の考えもなしに参加して一時的な「良い気分」になる、こんなの「私は他人の言いなりになる無能です」と宇宙に対して宣言しているようなものじゃないですか。

結局こういうのって、自分自身で検証したり自分で自分の人生の責任を取りたくないから他人の意見を鵜呑みにして流されるのであって、自己探求どころか引き寄せの原則からすらも大きく逸脱しているのは明白でございます。

※たとえば上で聖書を引用しているが、私は聖書の内容を全て信じているわけではない。自分で読んで信じるに足る箇所は信じる、何かおかしいと感じる箇所は信じない、分からない箇所は分からない、そもそも全部が全部イエスの言葉ではないだろうからな、というスタンス。こんなこと書くと原理主義者が怒るだろうけど。

以上、長くなったけど今回はここまで。次回は引き寄せの為の実践方法でも書いていきます。

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六郎
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