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引きこもりの息子のために母親が女湯盗撮 下らないニュースその51

このニュース解説も50回を達成したため、そろそろ終了してマジメな記事に取り掛かろうと思ったのだけど、気が乗らないのでもうちょっとだけ続くんじゃ。

そんなわけで今回のニュースはこちら。

男と母親が女湯盗撮、20年引きこもりがちの「息子が少しでも落ち着くならと思って」

何が「落ち着くならと思って」だよ、逆に元気になっちゃうだろ!息子だけに、というのが第一印象。

しかし両親が毒親だった私には信じられない母親愛の話ですな。
私は両親からの虐待の数々に耐えきれずに潰れて引きこもったけど、こんな子供思いの親だったら息子も引きこもることもないんじゃないの、とも思ってしまいますわ。

あと盗撮といえば、スカートの中を盗撮して逮捕される人間がよくいるけど、あれの何が楽しいのか理解できません。
それこそ「布だぜ!?」と言いたくなるのですが、世の中にはホモビデオで欲情する人もいるし、人間の性癖は多種多様なのでしょう。

これぞダイバーシティ、多様性社会だな!

不安なんて誰にでもある

そんなわけで、涙がちょちょぎれる親子愛の話でございましたが、この息子は17から37までの20年間引きこもっていたとのこと。

引きこもり(というよりニート)期間3~4年だった私のような若輩者が意見するのも差し出がましいですが、何だかんだ言っても、たとえ社会から隔絶されている感覚や将来への不安があったとしても、引きこもり生活というのは結構楽しかった思い出があります。

好きな時間に起きれば良いし、観光地や名店も空いている時間に行けるし、ゲームし放題映画観放題だし、やりたいことやり放題でしたな。しかも親の金だったので喜びはひとしおという感じでした。

大体、「将来への不安」なんてものは、引きこもりだろうがサラリーマンだろうが経営者だろうが何だろうが、皆が皆抱えているものじゃございませんか。

最近は専ら出版社の宣伝行為に利用されている、あのエリートの芥川龍之介も、『或る旧友へ送る手記』の中で

レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎がめない。

或る旧友へ送る手記

※「レニエの作品」とはアンリ・ド・レニエ『不可説』のこと。『或る旧友へ送る手記』と同様、青空文庫にあるので皆読もう。

僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。

或る旧友へ送る手記

と述べているし、「これはな誰でもそうなるんや」案件でしょう。

なので、折に触れて書いておりますが、某英一郎のような身分に生まれて、暴れたりネット上でイキったりせずに静かに引きこもって過ごすのが一番良いと思うのであります。

まあ現在引きこもりしていない私が言っても全く説得力ないのですが、引きこもりの人も来る時が来たら何かの拍子で引きこもりから抜け出せたりするので、気長に引きこもっていれば良いと思います。

以上、今回はここまで。