ダイアログインタビュー ~市井の人~ 高橋秀典さんさん 「『認めて貰える居場所』づくりの旅」1

『認めて貰える居場所』づくりの旅
~高橋秀典さんダイアログインタビュー~
インタビュー日時:2016年9月1日 15時00分~17時00分
インタビュー場所:南相馬市鹿島区 「かしま福幸商店街」内 さくらはる食堂
天気:残暑感じる晴天


 夏の名残の日差しが未だ残る9月の午後、この日の語り手である高橋秀典さんが経営(2016年当時)する「さくらはる食堂」を訪れた。昼食時はかなり混雑する「さくらはる食堂」だが、約束していた15時は昼営業が終わる時間であり、店内は私と高橋さんの2人だけだ。貴重な休憩時間を割いて、このインタビューの為に時間を取って下さったのだ。とても有難い事である。
高橋さんはこの「さくらはる食堂」以外に「たこ焼 円達」というお店を経営している。この「たこ焼 円達」が、「復興グルメF-1大会」という東北地方のB級グルメを一堂に会して開かれるイベントで、何度も優勝している。大げさでも何でも無く、相双地域でたこ焼と言えば誰もが「たこ焼 円達」を思い浮かべるような、地域の有名店なのだ。高橋さんはそんな「たこ焼 円達」を率いて地域の様々なイベントに出店し、イベント集客に一役買っている。その人気は、イベント出店した際はいつも出店の前に長蛇の列が出来るほどだ。
そんな高橋さんは今年で45歳。私戸田と同い年なのだ。そんな事もあって、私としては勝手に親近感を感じている。しかし高橋さんご本人は、その活躍とは裏腹に、とても物静かで穏やかな人柄な人だ。あちこちのイベント出店する人にありがちな「目立つ事が好きな兄貴肌」な気質なタイプには、とてもとても見えない。はたして、高橋さんを今の大活躍に導いているエネルギーは、どんな想いから生まれているんだろうか。一体どんな話が聴けるのか…正直に言うと、事前にはあまり想像出来なかったのだが、実際に聴けた話は、少し意外に感じられるものだった。


――今日はお時間を取って頂き、有難うございます。しかし…もう9月ですね。早いなぁ。

高橋秀典さん(以下高橋) 今日はもう9月1日ですね。早いですね~。

――今日はちょっと暑さも残ってる感じで。

高橋 風はそんなに熱くないんだけど。日差しが強くて、ちょっと痛いくらいな感じがします。

――南相馬の夏は短いですね。

高橋 短いですか?自分はそんな感じは思ってなかったですけど。

――私はもともと埼玉ですからね。あっちの方って、暑い時期が無駄に長いんですよ。海に入れる時期は終わってるくせに暑さは続くみたいな(笑)。

高橋 なるほど(笑)

――東北の方って、夏は昼間の時間が関東より長かったりして、その「東北の夏」という感じが個人的に好きだったりするんです。そんな変なところに何故か「東北を感じる」というか…。

高橋 何て言うのかな…改めてこの地域に「何か無いのかな」なんて事を考えてみた時に、確かにこの地域って何も無いんだけど、逆に言うと何をするにもやりやすい場所でもあって。雨はまぁそこそこには降るけど、雪は降らない、寒さはそれほど厳しくない、気候は温暖、山もあれば川も海もある。「ある意味何でもあって何でも出来る無難な地域だなここは(笑)」なんていう風に思ったり。

――私が感じたこの土地の第一印象が「とにかく良いところ」だったんです。気候も人も食い物も良くて。私なんかそのおかげで住みついちゃったわけですけど(笑)。

高橋 そうですね~。そういう立地的には良いところだなと思います。

■ この会話を交わした時、何やら若干の違和感を感じた。その違和感の理由は、後程わかる事になる。


――高橋さんって、生まれも育ちも南相馬なんですか?

高橋 そうです。南相馬市鹿島区。

――鹿島なんですか。外に住んだ事は?

高橋 ん~と、仙台の専門学校に通ってたんで、3年半くらい仙台にいました。19歳の時から22歳の頃までです。

――何の勉強をしてたんですか?

高橋 今とは畑違いなんですけど、建築です(笑)。

――あら、そうなんですか。

高橋 (笑)うちの実家って、鹿島でも一番大きな金物屋だったんです。自分が3歳の時に親父さんが亡くなって、何となく母が後を引き継いでお店をやってたんですけど、私が大きくなる頃には金物屋として商売を続けるのも厳しいなという感じになってまして。そんなわけで「建築でも勉強しに専門学校さ行ってこぉ!」となりまして(笑)。金物つながりでもありますし、建築の勉強をしに行ったんです。

――そうですか。それで専門学校を出て、建築関係の仕事をしたんですか?

高橋 んで結局1年半ちょっと通って学校を辞めてしまったんです。その後1年半くらいプラプラしながら、派遣バイトの会社にいました。

――そうですか~。その間も仙台にいたんですか?仙台の街はどうでした?

高橋 はい仙台にずっと住んでました。仙台は好きなところなんです。程良く都市で、近くには秋保温泉みたいなとこや自然もあって。快適ですよね。たまに交通渋滞がひどい事もありますけど(笑)。

――「地方都市」という色合いもありつつ、都会で便利だし、遊び場には困らないし…国分町あたりで飲んだりも出来ますしね(笑)。

高橋 そうですね(笑)。専門学校を辞める頃から人材派遣業界で働いてたんですけど、人材派遣のバイトって日雇い労働みたいな感じでしてね。そこで働いてた人たちって、ある意味アウトローな人たちだったんです。んで、そういう人たちの集まりが面白かったんですね。その日働いて貰った日給を握りしめてパチンコ屋に行っちゃうみたいな人たちばっかでしたけど(笑)。そこで給料スッちゃって、次の日「金無くて何も食えね~!」とかみんなで騒ぐみたいな(笑)。そんな暮らしをしてる輩がうちのアパートにいつも10人くらい溜まるようになって。そういう場所って遊びに行きやすいじゃないですか。だから常に誰かが遊びにくるような場所になっていて。それがまた楽しかったんです。そこが「自分の居場所」みたいに感じて。そんな仙台での生活が、自分としては居心地がよかったんです。「遊ぶトコねえからあいつんちに集まっぺ」みたいな感じで集まって、部屋の一方で誰かがギター弾いてたり、もう一方で別の誰かがゲームやってたり(笑)。

――なんか「青春」って感じだなぁ(笑)。その人たちって、同年代くらいの人だったんですか?

高橋 ある意味青春ですね(笑)。だいたい同年代でしたね。そんな感じで、常に誰かいる場所だったから、もっともっと人が来る。日雇いのバイトが終わった後で集まってくるんです。

――それって面白いでしょうね。

高橋 何て言うのかな…「自分の居場所を探す」って意味では、今でも居場所を探してる感じですけど。その当時から居場所探しをしてて、今の商売もその居場所探しの延長線上だと思うんですよね。

■ 自分の居場所…確かに人は誰でも自分の居場所を探してるものだけど、「今の商売も自分の居場所探しの延長線上だ」という高橋さんの言葉は、正直に言うと、この時点ではどう読み解くべきかピンと来ていなかった(なのでこの後、ちょっと間抜けな受け答えをしている)。この言葉は、インタビューを進めていくうちに私の中で腑に落ちていくようになる。
~続~

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