ダイアログインタビュー ~市井の人~ 岩井哲也さん 「エネルギーと恩のやり取り」 2
岩井 川越にも出張販売でお邪魔してますよ。「丸広百貨店(川越にある老舗百貨店)」さんだとかお邪魔してます。埼玉には結構行ってますよ。「川口そごう」さんとか、上尾の「丸広百貨店」さんだとか、大宮にも行ってますし。結構埼玉にはお客さんいっぱいいますね。大変お世話になってます(笑)。
――埼玉も人はいっぱいいますからね(笑)。埼玉って、県の大きさは福島のだいたい3分の1くらいなんですよ。そこに、730万人弱の人が住んでいて。福島の3倍ちょっとですね。
岩井 人口3倍…大きさは3分の1なのに(笑)。
――まぁ福島とは全然違う場所ですね。エラい違いです(笑)。
岩井 軍曹は埼玉のどこ出身なんですか?
――出身は埼玉の草加です。
岩井 あ~草加せんべいの。
――そうです。東京の北隣でしてね。当時の草加は工業都市でした。私の育った1970年代80年代は、環境汚染真っ盛りな頃でしてね。毎日夕方になると、街の景色が工場の排煙で煙ってるようなところでしたよ。だから、ネットなんかで最近の中国の環境汚染の様子なんかが話題になってるけど、あれ見てもあんまり驚かないんですよ(笑)。中国の川の水が真っ赤だったり真っ青だったりしてるのを見ても「俺んちの近所の川は深緑だったぞ」みたいな(笑)。そんなところで育ったんで、南相馬からすると「レベルの違うよそ者」という感じでしてね(笑)。ここは全然世界が違う感じがしました。私には物凄く良いところだと感じられましたね。
岩井 (笑)。でもそうなんですよ!南相馬はよそ者を受け入れる土地なんですよね。でも、私が一発目に来て感じた事は「競争が無い」という事でしたね。「隣よりも良いものにしよう」だとか。競争が無い街だなと。やっぱ競争が無いと成長しないっすよね。
――みんな横並びな感じって事ですか。
岩井 う~んそうなんですよね。「みんな横並びにしようよ」という感じは凄くしました。
――同調圧力があったって事ですか?
岩井 22歳でここに来たときそんな感じはしましたね。
――それはなんとなく感じない事も無いですね。就職して最初の配属が原町だったんですか?
岩井 そうです。
――「競争が無い」という事以外に、どんな事を感じましたか?
岩井 う~ん…もう24年前の事なんではっきり覚えてないんですけど…今と変わらないくらい、メイン通りがシャッター街でしたよ。ここはあの頃から変わらないですよ。前からこんな感じですから(笑)。
――それより前は栄えてたんですかね?バブルの頃とか
岩井 バブルの頃はどうだったのかな~?建物の感じからすると、バブル前な気はしますね。かなり古いですし。
――昭和な感じはしますよね(笑)。私が埼玉で過ごした昭和40年代50年代の雰囲気がまだ色濃く残っていて、そこも「何か良いな」と感じた部分なんです。「俺、ちっこい頃こんな感じのところに住んでたな」みたいな(笑)。
岩井 なるほど(笑)。落ち着けるわけですね。でもそうですよね。埼玉だとか東京あたりだと、こういう場所が潰されて、ビルやおっきな建物がぼーんぼーんと建っていったわけで、それが残っていたら今のここみたいな感じでしょうね(笑)。
――そうですね。私の生まれたとこってのは、イトーヨーカドーがどーんとあって、その周りにここと似た感じの商店街があって、今にして思うと、スーパーと商店街が上手く共存してる感じがあったんです。この地域は、大きなスーパーと商店街が共存してる感じは無いけど、そんな時代の懐かしい雰囲気は残ってますよね。それを考えると、今の雰囲気を残しながらの商店街の復活と、スーパーの共存ってのも、何かやりようがあるんだろうなという気はします。
岩井 私、平成5年入社なんですけども、当時すでにバブルははじけた後とはいえ、まだバブリーな部分はありましたよ。例えばその…経費の使い方ですね。タクシーチケットとか、領収証等々…ちょっと言えない部分もありますけど(笑)、今じゃ考えられないくらいバブリーでしたね。その前はもっとバブリーだったらしいです。例えば「薬を1万錠買って下さい。サービスで当時流行りの電化製品を付けます」みたいな事もあったみたいで(笑)。今からすると、何だそりゃみたいな話ですよね(笑)。そんなバブリーな時代もあったらしいです。
――おまけの方が豪華じゃないですか(笑)。ある意味良い時代でしたね。
■ 誤解の無いように言っておくが、この話は、20数年前とはいえ、原町での話だ。あの頃は日本全国がこうした狂乱の好景気に沸いていたわけで、それはここ南相馬でも例外では無かったのだ。この話を「景気の良かった頃の昔話」で片づけてしまわず、「これが南相馬にも備わっている『秘めたるポテンシャル』なんだ」と、今の事として捉えた方が良いのでは…なんて事を思った次第だ。
――とはいえ、その時に栄えた商売が今も栄えてるかどうかってのは、また別な話なような気がしますね。
岩井 う~んそうですね。当時の私は卸業者にいたわけですけど、当時から「卸不要論」ってのがありました。卸業者がいないと流通や回収の問題も出てくるんで、今でも卸業者は無くなってはいないんですけどね。でも、確かに卸を無くせば、かかってたコストの分は差っ引けるわけですからね。確かに直販にした方が良いなぁって点もありますね。んで、私は漬物屋のメーカーに再就職しましたんで、そこから見てみると、メーカーとしては、値段の設定も自由自在じゃないですか。原価も下げられるし、材料の変更も出来るし、つまりは自分の商品を自分でプロデュース出来るってところはありますね。
――その「自分でプロデュース」してる一つの答えが、今の「みそ漬処 香の蔵」というお店なんですね。
■ メーカーによるセルフプロデュース…商品ラインナップだけではなく、お店の雰囲気や佇まいからして、よその漬物店には無いものを出せているのが「みそ漬処 香の蔵」の最大の特長だと私は感じている。そこに至るには、様々な試みがあったであろうことは想像がつく。具体的にはどんな事があったのだろうか。
――岩井さんが「みそ漬処 香の蔵」の店長になったきっかけは何だったんですか?
岩井 きっかけですか。私、転勤の話が出てた頃、資格を取ってケアマネージャーにでもなろうかななんて思ってたんですよ。これから何をしようかなぁと考えてたんですね。そんな時、B5版くらいの大きさの2色刷りの求人広告がペラッと入ったんですね(笑)。んで、店長職と商品開発職を募集していたんですよ。それを見て「あ、商品開発やりたいな」と思って求人に応募したんです。で、面接で商品開発をやりたい旨を話をしたんですけど、商品開発って専門知識がいるんですね。営業職だった私にそういう知識があるわけも無く、「商品開発はだめだ」と言われたんです(笑)。んで「同時に店長も募集してるから、こっちに応募したら?」と社長に勧められて、勧められるがままに採用試験を受けて、店長になったんです(笑)。なので叩上げで店長になったわけじゃなく、何つーか…通りがかって店長になっちゃったんですよ(笑)。
――そうは言っても、営業職と店舗販売職って似て非なるもんじゃないですか。
岩井 そうですね。畑違いです。営業職をやっていたので、出来るのは喋り(笑)。お客さんのニーズをつかんで、こちらが出来る事の提案をし、お客さんの期待をちょっとだけ超えるような事をすれば、お客さんは喜んでくれるし、感動してくれる。それが次のお客さんを呼ぶ…というパターンを作る事は私にも出来ると思ってました。そこは問題無かったんですけど、店舗運営では色んな壁にぶつかりました。在庫管理なんかで言うと、余したら商品をダメにしてしまう。足りなければニーズに応じられずに、お客さんをがっかりさせてしまう。店のレイアウトや商品の並べ方、ポップの作り方、季節に応じたお店の演出だとか、それと他には、スタッフとのコミュニケーションなんかも苦労した部分ですね。前職では職場は男ばっかでしたけど、今のお店のスタッフは女性ばかりですからね。男とは違った気遣いも必要で(苦笑)。
――気を遣ってるんですね(笑)。
岩井 そうですね(笑)。コミュニケーションを取っておかないと、いざって時に部下から相談が上がってこなくなっちゃうんですよ。今はプライベートでの「こんな事でちょっと困ってるんです」なんて話も上がってきてるんで、それなりにコミュニケーションはとれてるのかな~と思ってます。上がってきた相談事には、なるべく答えられる様にとは思ってます。
――そうですか。そんなスタッフさんからの相談事で、震災後に変わってきた事ってありますか?
岩井 いっぱいありますよ(笑)。まずは…震災があってみんな避難して、3月24日の日に「みんな集合」という事で一度集まって片づけをして、4月4日にお店を再オープンしたんですよ。当時はまだお客さんは全然いなかったです。国道6号線も、護送車みたいな警察車両と見た事も無いような自衛隊車両しか走ってなくて。初日はほとんど売り上げが無かったような感じでしたね。そんな、売れるか売れないか分からないような状態だったので、社長から「お店は岩井が一人で切り盛りしろ。まだ他の従業員は呼ばんな」という風に言われてまして、「お客さんも来ないですし、私一人で十分です」と、一人でお店を開けていたんです。そうしてるうちに、お客さんが1人来て2人来てと徐々に来始まったわけですけど、そうしたら今度はお店のスタッフから「お店はオープンしたのに、私たちは仕事に戻れるのか?」という声が上がってきたんです。売り上げが上がれば戻せるんですけど、当時は売り上げも上がってないし、先行きが不透明でしたから、「本当に戻れるのか」という話が何人かからのスタッフから上がってました。その時はスタッフには「俺が絶対呼び戻すから、もうちょっと待ってろ」と言ったんですけど、そんなのは全然無責任な話で(苦笑)。本当に戻せるのかよこれという感じはありましたよ。結構しょっぱかったですね。スタッフに対する「今後どうする」という話は。そこから徐々に徐々にお客さんから問い合わせの電話がかかってき出したりしてきたんで、一人戻し一人戻しとスタッフを呼び戻していったんですね。んで最終的には、戻りたいと言ったスタッフは全員戻しました。一人だけ萱浜で家が津波で流されて避難してる子がいたんですけど、その子以外はみんな戻ってきました。
――スタッフさんは遠くには避難してなかったんですか?
岩井 いや、避難してたんです。「福島の体育館にいた」とか「埼玉の親戚のところにいた」とか。そんな感じでみんなバラバラになってたんですけど、「戻ってきても大丈夫だよ」と話したら、みんな戻ってきましたね。一人結婚するんで退職したスタッフがいましたけど。んでそのうちに、「みそ漬処 香の蔵」で新しくスタッフを募集したいという事になったんですけど、会社全体で見てみると、工場の出荷高は減ってしまっていたんですね。工場が1ヶ月くらい出荷を停止している間に季節商品の入れ替わりとともに売れ筋商品も変わってしまって。それに「何で福島のものを売るんだ」なんつー声も一部から上がったりなんかして、なかなか工場の方で出荷高が上がらずにいたんです。となると、工場の方では人が余ってるわけなんです。そこで工場の方から人を回すという事になりましてね。今お店で働いているスタッフのうち3人は工場から来た人なんです。で、工場で働いてる人は「工場で働く」事には優れていて、何かに集中したりすると物凄い力を発揮するんですけど、臨機応変に「かゆいところに手が届く」「お客さんのニーズを引き出す」ような対応が求められる、接客に関するスキルはあまり無いんですね。工場で働く人を悪く言うわけでは無くて、あくまで適性の話なんですけど。その辺は最初苦労しましたねやっぱり。
――接客「術」って言うくらいですからね。
岩井 そうですね。でも「心を込めて接客にあたればそれは伝わるから、そこからやって行こうよ」という話をして、それを心掛けてもらいました。そうしているうちに、みんな一所懸命取り組んでくれたので、徐々に徐々に接客もこなせるようになって、今に至っています。
――「みそ漬処 香の蔵」は、漬物屋さんもジェラート蔵も、とってもスタッフの雰囲気が良いんですよ。特に漬物屋さんの方はお店に行くとすぐにお茶が出てきて、試食もたんまりあって、「そんなに買わないんだけど良いのかなぁ」なんて思ったりして(笑)。
岩井 良いんです!あのお店が出来たコンセプトは、もともと6号線のあの辺りはコンビニも無いような場所で、そこを通ったドライバーさんに、トラックドライバーでも誰でも、ちょっと立ち寄ってもらって、「トイレ休憩してお茶飲んで、一服してもらおう」という場所として出来たお店なんです。だからああいうお迎え方をしてるんですね。
――なるほどね。この辺りで人が集まって茶飲み話でもしようって時のお茶うけって、たいてい漬物だったりするじゃないですか(笑)。「みそ漬処 香の蔵」でお茶飲んでる時って、そんな「茶飲み話の場」と雰囲気が似てるなと感じてましてね。ゆったりとした雰囲気があって、とっても良いなと思うんです。そういう感じを目指していたんですね。
岩井 そうなんです。「みそ漬処 香の蔵」には、甲冑館が併設になってるんですよね。あそこにある甲冑って、創業者である初代社長が趣味で甲冑を作ったり直したりしていたものなんですけど、それがたくさん集まったんです。社長は60歳過ぎてから甲冑にハマっていったんですけど、そのうち甲冑を1領丸々作ってしまうくらいの腕前になったんです。で、趣味で作った甲冑がいっぱいになったんで「展示する場所が欲しいな」という事になって、それで出来たのが「みそ漬処 香の蔵」なんです。だから、漬物をバンバン売ろうという事で出来たお店じゃなくて、あそこを通った人に。甲冑を眺めながら一服してもらおうという事で出来たお店なんですよ。
■ 最初に感じていた疑問が解消した。「みそ漬処 香の蔵」の雰囲気の良さの理由だ。答えは単純明快、初めから「訪れた人にゆっくりしてもらう」という事を大きな目的として作られたお店なのだ。そんなお店を作った理由も「近くにそういう場所が無かったから」という明快さ。今でこそ「みそ漬処 香の蔵」の店舗周辺には何件かコンビニも出来ているが、お店が出来た頃(「みそ漬処 香の蔵」がオープンしたのは平成6年5月)はそうしたお店は全然無かった(とは言え今でも「みそ漬処 香の蔵」のような雰囲気を持ったお店は無いと思うが)。この明快さゆえに、お店の雰囲気に筋が通っているんだと思う。「漬物屋」であり「ジェラート屋」であり「甲冑展示館」である…という情報だけ聞くと、「どんなところなのそこ?」という感じもしてしまうだろうが、実際にお店を訪れてみると、私の言う「雰囲気の良さ」は感じて頂ける事と思う。
そして、岩井さんはそのコンセプトを実行するに、まさに適任な人物だと思う。明るくて人当たりが良くて、丸っこくて(笑)。震災でスタッフの解雇を行わなかったというところも、なるほど納得である。その頃のスタッフはすでに「みそ漬処 香の蔵」特有の接客を身に着けていて、人材として他に代えがたいものがあったのだろう。お店として利益を上げる必要はもちろんあるだろうが、震災の直後、そうしたドライでシビアな経営判断以外の気持ちが、店長である岩井さんを始めとする管理職の方々にあった事は間違い無い。そんな人たちが開いているお店だからこそ、この地域にマッチした良い空気感を持つ事が出来るのだろうなと、この話を伺いながら思った。
~続~