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自分の役割を見つけることが出来ると・・・・・・

自分の役割?

私は今年で51歳だ。この年齢になるまで、自分が担っている役割なんてものは意識しないまま過ごしてきた。
社会人として働いていれば、稼いでいる給料や就いている職種によって、担う役割は決まってくる。私も南相馬に移住する前、トラックドライバーだった頃は、決まった時間内に決まった場所へ、注文通りの品物を届けるという役割を担っていた。その前の営業マン時代には、自社の商品やサービスをお客さんに販売するというを担っていた(営業成績は酷いものだったが)。
子どもを育てる親ならば、子どもを健やかに育てる役割があるだろうし、年老いた親の面倒を見るのは子どもの役割と言える。

ここでいう役割とは、立場によって決まってくるもの。

しかしながら、このように立場によって決まる役割とは別の役割があるといわれたら、多くの人は戸惑いを覚えるのでは無いだろうか。


自分と向き合う日々

自分が能動的に担うことが出来る役割があると、私は思う。
自分の得意や特性に合わせて、担いたいことを選ぶのだ。
ここにはもちろん、自分が就きたい仕事を選ぶという意味も含まれるのだが、担える「役割」は仕事とは限らない。

私は病を得て身体障害者となり、会社に所属して働くことが出来なくなった。残念ながら、健常者と同様に働いて収入を得ることが出来ない。現在生活保護を受けている。
この文章も、手に不自由さを抱えているため、何度も間違えながらゆっくりゆっくり打ち込んでいる(かなり早くはなったが)。

社会的に「役割を担う」とは、きちんと働いて納税をすることを示していると言える。それは最低限の役割で有り、それ以外に立場や収入により役割が割り当てられる。しかし私は、その「最低限の役割」が担えていない。

正直に言うと、これは精神的に大変コタエることなのだ。
自分の存在価値を見いだすことが出来なくなる。そして自分が価値のないものに感じられ、酷く落ち込むし激しく自分を責めてしまう。
自暴自棄になるし、酷く投げやりにもなる。

かくいう私も、そのような状態になりそうだった。
病に倒れる前に自分が立ち上げた団体「みんな未来センター」を、維持することが出来なくなり閉鎖したのだが、その頃が一番落ち込んだ。
それ以来、自分が何をすれば良いのか、自分に出来ることは何か、探し歩くことになる。

当時は生活保護も受けていなかったので、手持ちの資金はどんどん無くなっていった。収入が無いのだから当然だ。

「自分には何が出来るのだろう」

自分自身と向き合う日々が始まった。
この頃はメチャクチャしんどかったな。
こんな話は、誰かに話して解決するモノでも無いし。

自分が持っているモノ

自分が何を持っているのかを見つける必要が有ったのだが、そんなモノは、自分一人のチカラではなかなか見つからない。
私はそれを探すために、色々な場所に出かけ、色々な人の話を聞き、色々な本を読んで勉強をした。
自分が何を持っているのかを、探す助けになるのではと思って。

そんな生活を続けていると、「もしかしたらこれかも」というモノが、いくつか見えてくる。それは、自分がもともと興味を持っていたモノだったり、新たな出会いや学びから類推したモノだったりするのだが。
そうしたモノを、とにかく片っ端から試していくのだ。

アドバイス

その頃には、周りの人は色々なことを言う。「そんなことをしていてはダメだ」とか「あなたはこうすべきだ」といった具合に。
そうしたアドバイスは、全て「私を何とか救いたい」という気持ちから為されたモノだった。
となると、蔑ろには出来ないという気持ちになる。
だが、そうしたアドバイスを全て聴き、従おうとすると、当然全てに従うことが出来ない。すると、「従うことが出来ない自分はやはりダメなやつなのでは無いか」と思ってしまう。

私もそんな状態に落ちたことがあった。

そんな時は、信頼出来る人と話し、それまでの自分が何を成してきたか、どんな特性があるのかを聴いてみるのがいい。
そうして少しずつ、本当に少しずつ、自分が本当に持っている「強み」や「宝物」が見えてくる。
もともとアホだった私だ。特別なスキルなど何も無い。だけれども、移住した南相馬市で過ごした時間そのものが「強み」で「宝物」となっていた。きっと誰もがそうだろうが、そこでの経験や知見、築いた人とのつながりが、一番の強みなのだ。
信頼する人からのアドバイスによって、そんな当たり前のことを見直すことが出来た。

見いだした「役割」とは・・・・・・

私は南相馬市で、震災直後からの11年間を過ごしてきた。市民活動と称し、街の中であれこれと活動しながら。
「みんな未来センター」なる看板を掲げ、「震災後の南相馬をみんなで創る」をコンセプトに活動し始めたとき、突然わけの分からない場を開き、街を騒がし始めたよそ者のオッサンを、街の人は受け入れてくれた。病で倒れたときも、いつも心を寄せてくれていた。200km以上離れた病院に入院していたのに、見舞いに来てくれた。病院に差し入れの品を贈ってきたりもしてくれた。

その恩返しがしたい。
私は街の皆さんに「恩返し」がしたかったのだ。

とはいえ、受けた恩を一人一人に返して廻るということは、今の私には物理的に無理である。ならばどうしたら良いだろうか・・・・・・

みんなが喜ぶ場を作れば良いのではないか。でも、みんなが喜ぶ場とはどんな場だろう・・・・・

私が感じる、この地域の一番の魅力は、「人の縁の濃さ」だ。いや、人によってはそれを「煩わしいな」と感じるのだろうが、人の「縁」を感じる機会が少ない首都圏の新興住宅地で暮らしてきた私には、これほど力強く、安心感を感じられるモノは無かった。
それは、私がまだ幼かった昭和40年代後半~50年代初頭の頃には、首都圏の新興住宅地にもまだまだ残っていたモノだった。ご近所さんの井戸端会議の合間を縫って、小さな子どもが安心して遊べる時代。商店街に行けば「よぉ○○君、今日はお母さんは一緒じゃないのか?」と、あちこちから声が掛かった時代。そんな「古きよき人の縁」が、この街にはまだ残っている。
だけれども今、震災を経験したことも相まって、この街は過疎に直面しており、人の賑わいは失われてきている。私がこの街で感じた「人の縁」も、地域の方々からすれば薄まってきてしまったのだ。
それを惜しむ声もたくさん聞く。

ならばそれを思い出してもらおう。そうする事が、この街の魅力に気づいた私の「役目」ではないか。

では一体何をしよう・・・・・・。

  • 地域の魅力を発進する

  • 地域の魅力を味わい直してもらう

これなのではないか。

小高区大富で行われている「かけの森サロン」の様子を書いたニュースレター

まずは、よそ者の私の視点で、こんなに素晴らしいコミュニティがあるんだということを、街の内外の人に知らせるニュースレターを、毎月発行している。小高区大富で毎月開かれている「かけの森サロン」という地域の方々の集まりや、大富の方の暮らしぶり、四季折々の美しい自然などを記事にし、市内各所で配ったり、SNSを通じて県外に発信している。
地域の方々にもとても喜んでもらっていて、「毎月これを読むのが楽しみなんだ」「親戚にこれを送ってるんだよ」と言った嬉しい反応をいただいている。ご存じの通り、南相馬市小高区は原発事故による避難指示が出され、全ての住民が住み慣れた土地を離れ、長い避難生活を送ることになった。そのため大富でも、避難先から戻らない方も多く(これは無理もないことだが)。そうした方々に向けて、大富の方々によってこのニュースレターは郵送され、地域と人をつなぐ役割の一端を担っている。



もとまち朝市にて


もとまち朝市にて
もとまち朝市andフリマにて

次に、「もともと日常は楽しいモノだったよね」ということを思い出してもらおうと、南相馬市原町区の真ん中にある「三嶋神社」で野菜の軽トラ市「もとまち朝市」を、2021年11月から毎月一回開催している。生産者である農家さんから直接野菜を販売することで、「旬の野菜は何か」「この野菜はどう料理したら美味いか」などということを、丁々発止やり取りしながら買物を楽しむことが出来る。そうしたやり取りは、売り手も買い手も楽しいモノだ。そう、買物は本来、人とのコミュニケーションの中にある、楽しいモノだったのだ。今は食品など、日常の買物は殆どスーパーになってしまい、ここ南相馬でも八百屋さんは無くなってしまった。でもこの朝市では、コミュニケーションとしての買物を楽しむことが出来る。買物を通じて、もともとこの街にあった強みである「人の縁の濃さ」を感じ直すことが出来るのだ。そしてそしてその場を作った大勢の人も、その雰囲気を楽しむことが出来る。共にその場を作った「一体感」や、参加した「充実感」が感じられる。

今の私が出来るこの街への恩返しは、この2つでは無いか・・・・・・これが私自身の「強み」「宝物」から見いだした、私の「役目」。
この役目を果たすことで、労働や納税で社会貢献している健常者の方と、同じレベルで社会の役に立てるのでは無いか・・・・・・いや、役に立ちたいと、思うようになった。

役割を見いだした私

こうして幸いなことに私は、自分の役割を見いだすことが出来た。自分の持っている特性や学んだこと、やりたいことや心に残ったことなどと向き合い、信頼できる人の力も借りて。
今の私は、自分の生活環境が変わっても、幸せを感じながら生きることが出来るだろうと思う。健康を失えばできなくなることも多いが、その時はその時に出来るやり方で、役割を果たしていくことが出来るだろう。仮に南相馬を離れても、移った先で誰かと繋がり、何かを行っているに違いない。

役割を見出すことが出来れば、迷うことがなくなる(少なくとも迷っている時間は少なくなる)のだろう。これは生きていくうえで、とても大切な「灯台(道しるべ)」となってくれる。

自分の道を探している人は、きっと大勢おられるだろう。そうした方々に言いたい。自分と向き合うことはキツイ作業だけど、正しく向き合って「役割」を見出すことが出来れば、充実感を感じながら毎日を過ごすことが出来るようになるよ。

もとまち朝市を終えて、場所を提供してくれた三嶋神社に、みんなでお礼参り

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