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三軒茶屋のどぶろく〜生酛〜 発酵の魅力を1ミリでも伝えたい

生酛という言葉を知っているだろうか?

生酛は”きもと”と読む。日本酒の製法の一種で、江戸時代の中期頃より確立したといわれている手法だ。大体1700年頃?そう考えると300年前からある手法なわけだ。いやあ、すごいなあ。

江戸時代は酒造文化もとても栄えた時代だ。その中で「生酛」という手法は革命的だった。

少なくとも江戸時代前記における本には生酛の前身となる手法も含めて、様々な手法が記載されている。しかし、江戸時代が終わる頃にはほぼ生酛一色となっていった。今までの手法を捨て去るくらい、生酛が優れた手法だったということだ。

どこが具体的に優れているのかの話は割愛する。もしくは別に機会を設けようと思うので、マニアックな人はそちらもチェックしてもらいたい。

さて、歴史を前に進めよう。文明開化の音が聞こえただろうか?そう、ついに明治時代がやってきたのだ。

西洋の文化を必死に取り込む流れは、ついに酒造分野にも波及していった。そして先人たちの途方も無い努力の末に、また革命が起きた。速醸酛の誕生である。

日本酒にはある工程に於いて、極端に酸っぱくすることで雑菌汚染のリスクを排除し、健全に酵母を育成する。そこで問題になるのは、"どうやって酸っぱくするか?"ということだ。

あなたには放っておいた食べ物が酸っぱくなってしまった経験はあるだろうか? え、そんな不潔なことはしないって? でも酸っぱくなって食べ物は食べたことはあるはずだ。例えば、ヨーグルトや漬物。これらは"放おっておいたら酸っぱくなってしまった食べ物"だ。 正確には、乳酸菌の発酵によって酸味を得た食べ物だ、という説明があてはまる。

それを応用したのが「生酛」だ。乳酸菌の発酵によって酸味を出し、雑菌の汚染を防ぐのだ。(それで雑菌汚染が防げるのかって?考えてもみろよ、漬物だって保存食なんだぜ…!)

じゃあ「速醸酛」は?こいつはもっとすごい。酒造家が欲しいのは菌ではなく、雑菌汚染を防ぐための乳酸だ。それなら別で精製した乳酸を加えて酸っぱくしてしまえば良いではないか!というのが「速醸酛」の発想である。うーむ、まるで顧客が欲しているのは"ドリル"ではなく"穴"であると言わんばかりである。

job理論が優れた理論であったように、速醸酛も非常に優れた手法だった。このおかげで醸造がとっても安定するようになったし、労力も随分減った。

酒造りというのは非常に不安定な仕事だ。酵母が発酵することによってお酒は造られる。全くの別の生き物が味わいも香りも全部決めているのだ。彼らはちょっとした環境変化に敏感に反応するし、それで味わいも変わることもあれば、最悪の場合お酒にならず失敗することだってある。

だから酒造家というのは気苦労が絶えない職業だ。ある杜氏は酒造期の最中にジェット機が3台墜落する夢を見たと言うし、あるいはメニエール病を発症したという。

「速醸酛」が画期的だった理由もそこにある。「生酛」は乳酸菌を誘導しながら酵母を立ち上げるなど、4,5種類ほどの菌を巧みに操る技術が要請される。ところがどっこい、「速醸酛」は酵母を健全に育てれば良いだけだ。もちろんこれは乱暴な言い方ではあるが、両者を比較した時に圧倒的に安定的な造り方であることには間違いない。

というわけで、現在は「速醸酛」を採用する酒蔵が9割ほどだといわれている。いかに「速醸酛」の技術革命が素晴らしいか分かるだろう。

さて、現在筆者は三軒茶屋にある小さな醸造所でお酒造りをしている。そこで何と愚かにも、「生酛」造りに挑戦してしまった。

「そんなリスキーなことやめておけばいいのに。」
「別にやらなくても良いんじゃない?」

心の声が聞こえる、気がする。ちなみに実際に言われたことはある。環境的にも生酛は寒冷地であることが重要だったりするのだが、三軒茶屋の醸造所では、気温はそこまで下がらない。難しい条件だ。

それでもやるのはなぜか。やりたいからだ。当たり前だ。

ではなぜやりたいのか?楽しいからだ。様々な菌をちょっとした環境の操作によって誘導し、発酵を導いてゆくことが、楽しいからだ。

発酵というのは自然現象だ。ここで1つ話をしよう。発酵と腐敗の違いは何かご存知だろうか?どちらとも微生物が働き、物質を分解することを指しているのだが、重要な違いが”人間にとって有用か否か”だ。

例えば酵母が発酵してアルコールを出すこと。アルコールが人間にとって本当に有用かどうかはさておき、これは発酵にあたる。だが1週間前のパンに黴が生えたもの。こちらは腐敗している可能性が高い。

発酵か腐敗かは生じる物質、つまり生成元である微生物によって決まる。正しく発酵させるには、特定の微生物に活動させる必要がある。

生酛を行うということは、米や米麹をそのあたりに放置することと同じだ。そのままでは様々な微生物がやってきて、自由気ままに活動してしまう。これでは腐敗だ(微生物たちにとっては楽しそうだが)。

そこに人間が関与する意味が生まれる。あらゆる可能性を内包したカオスな状態に対して、人が介入することで選択肢を狭め、工夫しながら"腐敗"に陥らないよう面倒を見る必要がある。

できることは沢山あるが、最終的には微生物たちを信じて待つしか無い。そんな祈りの時間が好きだ。そしてそれが叶った瞬間、上手く発酵を誘導できた時の歓びは何にも代えがたい。

だが良いことばかりではない。予定とは全然違う動きをすることは、もはや当たり前だ。思うようにいかずに悔しい思いをすることもあるし、皺寄せが我々に行く場合もある(例えば昨年やったときは計画がずれて1,2時間おきに作業しながら、年越しギリギリまで作業することになった)。

でも微生物に悪気はないのだ。ただ起こったことが、自分にとって不都合だっただけだ。

今年の生酛は一発勝負だった。正直不安ばかりだったが、異変が起こることもなく、最後まで発酵させきることができた。昨年よりだいぶ良くなったことはたまたまかもしれないが、大きな自信になったように思う。

また生酛を行うことで、酒の味にも変化が出る。味の余白、明確に五味(甘味・酸味・塩味・苦味・うま味)で記せない感覚、厚み。明文化できない心地よい感覚がとても好きだ。

こういった味わいを出せただけで、生酛をやった価値があるように思う。出来上がったお酒を飲んだ時、含んでからグッと味が伸びてくる。その味の余白に耳を傾けてみて欲しい。そこに何かしらの温もりを感じてもらえれば、それ以上のことはない。きっと微生物の生きた証だ。

気になった方はぜひ商品ページもチェックしてみてほしい。
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それでは。

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