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【振り返り】ミード造るのってどんな人なの?

こんにちは。nobanaの戸田です。鹿児島でミード(蜂蜜酒)を作ります。

ミードという言葉を聞き慣れない方も多いかもしれません。ミードとは蜂蜜を原料に発酵させたお酒のことで、世界最古のお酒かもしれないといわれているような、実は昔ながらのお酒なのです。

今回は僕がどういった経緯でお酒づくりをし、ミードを造ろうと思い至ったのかについて書いてみようと思います。サクッと書くつもりだったのですが、結構長くなってしまいました笑 いずれ要約版を書くかもしれませんが、今は原文でお楽しみください。

お酒を造るまで

僕がお酒づくりに興味を持ったのは大学生のときで、日本酒にハマったのがきっかけで造りのことも自分なりに調べてみたり、蔵見学に伺ったりしていました。大学では当初物理学科に所属していたましたが、将来はお酒に関わることがしてみたいと考え直し、少しでも分野の近いことを学ぼうと、生命科学科に転科したほどでした。

そんな中、2018年の夏にWAKAZEが三軒茶屋にどぶろく(クラフトサケ)の醸造所を立ち上げました。都内に醸造所ができるのか!と驚いた僕はすぐに突撃し、アルバイトができないかと聞いてみるものの、最初は醸造ではアルバイトを採用しないという方針だったため断られ、併設の飲食店のアルバイトに入ることになりました。

しかしその後、当時醸造担当だった今井さん(現 Linne)に直接アピールしたり、他の社員の人にも探りをいれていたのが功を奏し、結局再度面談して醸造所第一号のアルバイトとして醸造に関わることができました。

そこからはもうドハマリしてしまい、結局大学は休学し、酒蔵に住み込みで研修したいと考えました。ありがたいことに千葉の木戸泉酒造さん、群馬の土田酒造さんに受け入れていただき、初めてお酒づくりの現場でフルタイムで働くことを経験しました。特に土田酒造さんは、長い期間であったことに加え、星野杜氏にひたすら疑問を投げかけては答えていただくような日々で、とても濃密な時期を過ごしました。

間接的につながりのあった蔵だったというのもありますが、そもそも両蔵ともに自分自身がとても興味をもっていました。造る以前に、呑み助として日本酒にハマったなかで、その当時、興味の対象は生酛や水酛などの伝統製法に向いていました。そこに対してドンピシャリでハマる両蔵だったのです。(あまりご存知で無い方はぜひ調べてみてください。)

自分なりに調べれば調べるほど、近代科学のメスが入る前から、発酵という微生物の働きと人がこれほど共存していたのかと驚き、それが今や工業的にしか食品も加工しえない世の中に残っている(というか存在が許されている)ことがとてもロマンのあることに感じられたのです。(念の為、補足すると、工業的な食品加工技術を否定したいわけではなく、むしろめっちゃ好きです。)

両蔵とも独自性が強く、お酒づくりのスタンダートからはやや外れているかもしれませんが笑、その両蔵での経験は自分にとってはむしろ核になるもので、本当に貴重な経験をさせていただきました。

初めてのお酒づくり

土田酒造さんでの酒造期間を終え、僕は東京に戻りWAKAZEに入社し、三軒茶屋醸造所の杜氏代行という肩書をもらいました。代行ってなんやねん、と思われるかもしれませんが、WAKAZEは三軒茶屋に醸造所を立ち上げた翌年フランスはパリにも醸造所を立ち上げ、そちらの方に今井さんは行ってしまわれていたのです。同時に、三軒茶屋醸造所で造りを引き継ぐ後釜を探す必要があったわけですね。

三ヶ月ほどの引き継ぎ期間の後に渡仏してしまい、そこからは自分が造りの指揮をとることになりました。結局そこからは三年ちょいにわたってお酒造りをしていくことになります。

製造責任者とひとくちにいっても、WAKAZEでの三年間のお酒づくりは非常に変わったものでした笑 そもそも酒造免許の区分が「その他の醸造酒」なので本命ど真ん中の日本酒(酒税の区分としては”清酒”)は造れず、どぶろくや、日本酒の製造過程に副原料を一緒に発酵せたお酒(クラフトサケ)を造っていました。

逆にこれまでそういった形でお酒を造っていた事業者がいなかったのもあり、当時は全く未知の領域でした。それをただのイロモノで終わらせずに、いかに様々な文脈と結びつけて考え、それに沿ったお酒を造り完成させていくかが一つの大きな課題でした。

僕自身、家系はお酒とは全く関係がありません。勝手に好きになり飛び込んだ業界だったので、すべてをフラットに考えていました。そして既存の日本酒に対してのリスペクトもあったからこそ、自分はその外側の領域でなにか意味のあることができないかと考えていました。だからこそ、様々な副原料を使うこと、様々な発酵の技法を取り入れることで、新しいものを造りたいと素直に思えましたし、それは引き継いだ三軒茶屋醸造所のあり方にも一致していました。

様々な副原料を使う上で、毎回その使用方法・発酵との関連性もよく検討し、どのようにお酒として仕上げるかレシピ・醸造経過を組み立て(ときには国税局の鑑定官の先生ともガチンコで壁打ちしながら…とても鍛え上げられました笑)、水酛や生酛といった自然製法も取り入れていました。(ちなみに僕が一番気に入っているお酒は水酛・生酛のどぶろくです。あれは我ながら美味しかった…笑)

一方でお酒づくりのためのインプットの領域もより広がっていました。日本酒から入ったお酒の世界も、ビールやワイン、蒸留酒、料理、食材、農、などなど、すべてニワカ知識ではありますが、東京という圧倒的な情報量を誇るムラの中で様々なものを、見聞きして実際に食べ飲みしてきました。

特に影響を受けたのがワイン、そのなかでもナチュラルワインと呼ばれるもので、その出会いがミードにもつながります。

ミードとの出会い、そして鹿児島へ

本当に最初の出会いは大学生の時です笑 ナマイキにも未成年だったときはお酒を飲むことよりも造ることに興味があり、自家醸造について色々と調べていました。もちろん日本では自家醸造は違法なので、指を加えて眺めているだけ。ただアルコール度数が1%未満であれば清涼飲料とみなされるので、そうなるように調整して実験したこともありました。実はそのときに造ったのがミード(正確には蜂蜜水を発酵させた清涼飲料)だったのです。理由は原料調達と加工が簡単だから笑!

結果としては全然うまくいかず、やがて自家醸造の熱は冷めて、日本酒を飲むことに興味の対象は移っていくのですが、まさかミードに戻ってくるとは当時の自分はつゆ知らず…。

時を進めましょう。先述のとおり、WAKAZE在籍時にはさまざまなお酒をつくるなかでナチュラルワインに大きく影響を受けていました。ナチュラルワインといっても様々ですが、自分は「その土地の気候風土などから生まれるぶどうを大事にし、それを自然発酵させる」という要素が重要だと考えています。

日本酒から醸造を出発した自分にとっては、この要素はとても難しいものであると考えていました。そもそもコメはそれだけを水につけてもお酒にはなりません。蒸し上げてでんぷん質をα化させ、一部を米麹として製麹し、それらを水とあわせることで初めてお酒になります。この加工手順の多さ!ワインのように原料の要素を全面に出すのは難しいお酒です。(もちろんその分、違う良さがあります。)

しかし自分にとってやりたいと感じること、やる意味があると感じられることは原料を主体にしたお酒造りであると思うようになっていきます。加工⇔自然は対立ではなくグラデーションで、完全に加工であることも自然であることも難しいものです。しかし自分が独立してやりたいこと、あるいはイチ個人としての主観を活かすときに、加工の要素で戦おうと思っても結局大手や設備の壁がとても厚いと考えてしまうのです。

裏返せば、それだけ現代の加工技術に対してのリスペクトがあるともいえます。小規模の事業者でやるには限界がある、そう考えるからこそ別の切り口で価値あるお酒を造りたいと思うようになりました。

しかし今更ワインの醸造家になるのも違う。僕が惹かれたのはワインそのものよりも、その背景や行為であって、それを行うにあたって一番自分にとって合っていると感じたのがミードでした。

なぜミードが適しているのか、もう少しミードの造りについても書きたいところではあるのですが、さらに長くなってしまいそうなので笑、また別の機会に譲ろうと思います。

実は鹿児島に移住する前からひっそりとミードを試作的につくって販売していました。最初に声をかけていただいたのが、自分と同じタイミングで鹿児島に移住し「どちゃく」という飲食店を営まれている方の前身のお店(神楽坂のさいめ。現在は店主が変わっています)でした。僕にとってのワインの入口もそのお店です。

日本で単発酵をやるならミードが面白いのではと、まずは全量買い取るからやってみてよ、とオファーをいただき自分のミード造りはスタートしました。そして都内の醸造所でのミードの試作販売(途中からは酒屋さんにも一部外販していました)をするうちに、もう少し自然環境を活かしたお酒づくりをしてみたいと考えるようになりました。

そんな中、日本のお酒の中でも一番共感している白石酒造という焼酎蔵さん(銘柄は天狗桜)に出会ったことがきっかけで、鹿児島県に移住しました。最初は白石酒造さんで働かせていただき、今まで経験のなかった農業から醸造まで担う蔵のあり方や、ミードづくりのための準備を進めてきました。今はようやく着工し、2025年の年明けから醸造予定です。

さいごに

かなり固有名詞多めというか、専門用語もあったのでお酒好きな方が読めば、こういうやつなのか〜と納得されるかもしれませんが、あまり詳しくないと何のことやら…となる(もはや長すぎてここまで読んでいない笑)かもしれません。そんな方には申し訳ないですが、今回は振り切ってこの形のまま締めようと思います。

僕にとってお酒の世界の入口は日本酒でしたし、造りのキャリアとしても日本酒の製造技術をベースにしていました。ともすると、ミード造りにおいてそのキャリアは何の関係もないように思えたり、あるいは日本酒を捨てて別のものに行った、と思われるかもしれません。

釈明というわけでもないのですが、まずミードは「蜂蜜と水で発酵させる」というのが基本のお酒で、それは加工手順の違いこそあれど「米と水で発酵させる」という水の要素が非常に重要なお酒であることに変わりありません。水分量を活かした発酵技術や、お酒自体の仕上がりは共有できるものがあるのではないかと考えています。

このように書くあまりに抽象的というか、加工のことはすべて科学的に説明されるべきと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、繰り返しになりますが現代の加工技術へのリスペクトがあるからこそ、もう少し別の思考の枠組みを用いたり、もう少し強く言えば秘儀めいたものがあっても良いのではと思うのです。だってお酒なんだもの。

またミードが面白いのは、季節ごとの果実など近くの自然の恵みを使うのにも非常に適しているだろうという点です。そういった様々な原料を発酵過程で取り入れることは、むしろ自分の持つ技術のユニークな点であり、最大限に活かしていきたいと考えています。

そして僕が大事に考えたいことは、自分は日本で生まれ育ちその文化背景や環境でお酒造りをする、ということです。別に僕はナショナリストでは全く無い、つまり日本のものこそ絶対!という立場とは違いますが、それでも自分の背景や制約としてそういうものがあるのは事実です。僕が入口として日本酒を選んだのも、ある意味では同じ理由です。

だからこそ日本のお酒業界に対してなにかしたいという気持ちは変わらないですし、自分はお酒造りの家系でも何でもないからこそ、外側(めっちゃアウトサイダーになってしまいましたが…笑)から何か新しいものを見いだせたらと考えています。

簡単にまとめれば、「小規模ならではの価値があるお酒(自然、再現不可能性、原料の多様性)を日本という土地・文化背景を活かして模索していきたい」という感じですかね。日本酒の伝統製法→クラフトサケ→ミードの流れの中に自分はこういったものを置いているつもりです。

まあこのあたりは自分でも明確に姿が描けているわけでもないですし、やりながら模索していくものだとは思うのですが、そんなことができたら良いなあと思っています。

大口叩いてしまったので、あとは美味しくお酒をつくれるよう頑張ります笑 不定期でこういった長めのnoteは更新していこうと思います。ぜひミードができたら飲んでみてください〜

nobana
戸田


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